2012年9月29日土曜日

8カ国目のコスタリカに入国!

今日はたくさん書くことあるな・・・。
今日も苦しい1日だったが、最後はやけくそになり日本食に走った(笑)
お金がぶっとんでいった1日でした。

あっ、今日のブログは長いですので、毎回読んでくださっている方ありがとうございます、
読むときには覚悟しておいてください。
時間ができたときにでも読んでください、けっこうどうでもいい話です(笑)

まずは、朝ニカラグアの首都マナグアを出ました。
宿のおっさんとっても親切で、「あっ、マナグアにもう少しいてもいいかも」
と思ってしまいました。
1時間半ほどでグラナダという街に到着。バスで1ドルでした。
このグラナダでだらだらと時間を過ごし、おいしいコーヒー、料理を食べ、
さあ国境へ!と気合をいれたはいいものの・・・
 
カラフルな街並みのグラナダ、ここ学校
キューバに似ているんだけど、ガツガツしていない、
穏やかな雰囲気を感じる街だった

街の教会の鐘楼からの景色、イタリアの町サンジミニャーノや、規模は違うけどフィレンツェの街並みにも似ている


 
中米歩いていると、結構この景色に出会う
電線に靴・・・


コーヒーめちゃうま!
「豆はどこ産?」って聞いたら「・・・」だった。
ニカラグア産じゃないんかい!

国旗はエルサルバドル、ホンジュラスと似ています。
ここらへんの国だいたい青と白。


ここからです、今までの国境越えの中で最も「?」だったのは・・・。
ここでの「ミス」は、「情報収集を怠ったこと」でした。
コスタリカ国境からリベリアという滞在予定の街に向かうバスの中、
「あぁ、おれ、子どもたちにもよく言ってたろ・・・『情報は待っていて受け取るんじゃなく、自分から探して選ぶんだ』って。」
でもさ、おれが納得行ってないのは、
行き当たりばったりの旅をするやつだっているんだって。(少数ではあるけど)
旅しながら次の行き先を考えるやつだっているんだって。
いつその国出るかとか次どこに行くとか決めないで入国する人だってたくさんいるんだって。

陸路でコスタリカに出入国する方、ご用心ください。
「リターンチケットがないと、国境で買わざるを得ない状況になります。」
ビーケアフルです。
そしてパナマ入国時も同じようなことが起こります。
パナマ入国時はどうしよう・・・。

さて、旅の続きですが、昼過ぎ、だらだらグラナダ滞在を終え、
バスで国境付近のリバスというところまで1ドルで行きました。
リバスに着くと、タクシーの運ちゃん達がバッと駆け寄ってきます。
運「15ドルで国境まで行くぞ!」
大「15ドルなんて払えるわけねーだろ!バスで2,3ドルだろ?バスで行くよ。」
運「じゃあ、10ドルでどうだ?」
大「8なら行く。」
運「わかった、じゃあ8で。」
というわけで、どんだけふっかけてきてんだというかんじでしたが、
バスだったら2ドルしなかったとか。
まずここでいつもの自分ではなかったのです、いつもだったらバス使ってました。

30分のタクシードライブを終え、国境に着き、
イミグレオフィスに向かおうとすると、なにやら紙を渡して「書いてから行け」という兄さんがいるわけです。
ここでもいつもの自分ではなかったのです、いつもだったら無視してイミグレオフィス内に
真っ先に行っています。
その紙はどこの国に入るにも必要な情報の紙で、よく飛行機で配られて事前に書いておくやつです。
世間話しながら書き終え、その兄さんに1ドル払い、イミグレオフィスに行くと、
職「入国税で2ドルね。」と職員さん。
大「あれっ、さっき払ったのが入国税じゃないん?」
職「あっ、あいつ関係ないから。」
・・・ただのおせっかいのぼったくり屋さんでした、あの兄さん。

くっそー、なんか自分のペースで歩けてないなと思って、
コスタリカ側のイミグレオフィスに行き、
窓口で「さっさと終わらせてね」という満面の笑みを浮かべて職員さんにパスポート渡したら
職「リターンチケットは持ってる?」
大「ないとだめなの?」
職「ないと入国できないわ、外で買ってきて。」
大「んっ?外で買ってきて?なにを?」
職「マナグアへのリターンチケットよ。」
大「おれ、パナマ行くんだよ、これから。」
職「パナマシティなら45ドル、マナグアなら25ドル。」
大「・・・。」
混乱し、外でぼーっとする時間5分。

同じようにプロブレムあります的な雰囲気をかもし出している欧米人3人とともに、
必死に外でチケット売ってるおばさんに食い下がります。
もっと安いチケットないの?ところで何でリターンチケットないと入れないの?ばかげてるよね。などなど言いたい放題言い、結局最終的にマナグアへのリターンチケットを買うことになりました。

えっ、マナグアに戻るってか?

おれ、パナマに進むんだよな・・・てことは、この買ったチケットはゴミ箱へポイっか。

そうなんです、売ることもできない(名前が入っているので)このチケットは、
使われずにゴミ箱へポイっと。25ドルがポイっと。

さよならおれの3泊分・・・。

というわけで、写真の後の一文に戻ります。バスの中で考えました、
今回何がいけなかったのか・・・まさしくこれ。
『情報は待っていて受け取るんじゃなく、自分から探して選ぶんだ』でしたっけ?
安全情報だけは確認していたのですが、こういうこまごまとした情報を自分から集めることを忘れ、
情報が入るのを待つ自分がいました。

そして、いつもの自分ではないかんじがしていた今日。
きっと、旅に流されていた自分がいます。

最初に戻ります。こうなったら今日は思い切って発散!
ということで日本食レストランに入ったというわけです。トータル12000コロン!
どんだけ高いんだという額ですが、だいたい2400円です。・・・高っ!
コスタリカ、他の中米諸国と比べて物価高っ!
近々ホームページに載せます「物価比較表」に、某有名飲料500mlペットボトルの
値段を載せ比較しているのですが、今日来たニカラグアの2倍しました。
心臓に悪い国です。

でも、自然豊かです。
エコツーリズム盛んです。
美人が多い国で有名です。

2012年9月28日金曜日

エルサルバドルから一度ホンジュラスへ再入国しニカラグアへ

ニカラグア入国、ここでの荷物検査は、
チャック開けてカバンに手突っ込まれて3秒。
やる意味あんのかい!
長い1日だった・・・。
朝4時にエルサルバドルの首都サンサルバドルを出発し、夜7時にニカラグアの首都マナグアに着きました。

Ticaバスという中米では結構有名なバス会社を使ったのですが、足の置き場が40cmという、エコノミー症候群覚悟のバスだったもので、2度と使うかと心に誓いました。

途中、ホンジュラスに再入国することとニカラグアに入国することで、入国税がトータルで18ドル。意外と痛い出費でした。

マナグアの治安の悪さは結構有名です。
夜7時に着いたことで、どうしようか迷ったのですが、バス会社近くの10ドルの宿で手を打ちました。
ネットが使えるので助かった。
宿のおっさんが「(隣のお店に飲み物を買いに行くのに)財布を持っていってはだめだ。紙幣だけにしな。じゃないと、横からパッて盗られるよ。」
その言葉聞いて笑っちゃいました。

というわけで、すぐに移動します。グラナダという街に向かいます。

2012年9月27日木曜日

首都サンサルバドルに滞在して

スペイン語で「acogedor(アコヘドール)」という形容詞があるのですが、
まさにその言葉がぴったりくるかんじがします、ここサンサルバドル。
アコヘドールは、「温かい、居心地の良い、感じが良い」という意味で、
プラスの意味として用いられる形容詞です。

エルサルバドル出身の友人は、まさにアコヘドールなかんじの方で、
その性格がわたくし大好きなのです。

前回書いた内容で、あっ付け足したほうがいいなと思ったことは、
チーノチーノについてです。もちろんここでもあります、チーノといわれること。
でも、嫌味が感じられないのです。
たとえ蔑視していてもわたくし気にしません。あくまでそれを態度や言葉に出さなければ。
こんな言葉を言うためにスペイン語を覚えたわけではありませんが、
「思うのは自由、言葉に出すのは差別になる」とメキシコ、キューバ、グアテマラなどで
差別的な言動をした現地の人に言った覚えがあります。
みんな人間ですから、わたくしも人間ですし、差別はあります。
差別を全くなくそうなんて、そんな社会は不可能だと思っています。人間ですから。
今日本で問題になっている「いじめ」、こんなの昔からありましたが、
これも、言葉に出すか出さないか、行動に出るか出ないかで
大きく結果が変わってくることだと思います。
「からかい」は本当に人を傷つけます。
「思うのは自由、言葉に出すのは差別になる」
中米では、からかわれるのはチーノ(アジア人)です。

さて、今日はホヤ・デ・セレンという噴火により埋もれた町、世界遺産を見に行きました。
Opico行きのバスで首都サンサルバドルから1時間。バス停降りてすぐ目の前にありました。

 かなりの層が重なっていました。何度も噴火し、堆積した跡がわかりました。
 もしかしたら・・・と思って撮っておきました。イタリアポンペイ遺跡のようです。
マイス、とうもろこしです。炭状になっています。今も昔も変わらず、中南米の人たちの生活を支えるのは、とうもろこしです。とうもろこしから、主食であるトルティーヤやタマリートスを作ります。

幾度となく噴火した山
地元の中学生(12、13歳)が見学に来ていました。キモチ、かわいい子に寄っているでしょうか(笑)
学校の先生が撮ってくれました。
ここでのやりとりがおもしろかったので、ちょっと細かく書きますね。

まず集団でバスで来ていたので、課外授業的なかんじだったのでしょう。
「おい、チーノだ、チーノ」という声が聞こえてきます。
背景の遺跡の手前で彼らと話すことになったのですが、彼らの好奇心が旺盛なことに
驚きました。
「ねえチーノ、どこから来たの?」「ハポンだよ、ハポネス。ハポンの写真を見せてあげるね。」
日本の山の写真、受け持っていたクラスの写真、浅草の街の写真、相撲、大きなプールの写真などを見せると、押し合い圧し合い是が非でも見ようという勢い。
「ぼく日本のアニメ知ってるよ、ナルト、ドラゴンボールセータ・・・」
「じゃあおれからはワンピースをすすめるよ。覚えておいてね。」
「ねえチー・・・じゃなかった、ハポネス、名前は?」
みたいなやりとりをしていたのですが、彼らの一人がハポネスと言い直したことに驚きました。
今までそんな経験はなかったのです。
つまり、東アジア人を一緒くたに「チーノ」と呼んでいるわけで、
私たちが「中南米人」と一緒くたに呼んでいるのと同じで、
こんなとてもとても些細なことなのですが、非常にうれしかったのです。
一人の「ハポネス」として認識してくれたことにうれしかったのです。

このあと、日本語のサイン会と日本語教室がまもなく始まりました。
彼らとのやりとりの中で、嫌味なかんじはなく、好奇心の塊を受け取りました。

ストレートで接してきてくれました。

みんなの目がまっすぐでした。

彼らはアコヘドールでした。

非常に嬉しかったこのやりとり、忘れられない出来事になりました。


明日、ニカラグアの首都、マナグアに移動します。

エルサルバドルの首都サンサルバドル

「中米、南米の首都はあぶない」
こういう会話は、旅行者同士、国籍問わずあります。
ですから、首都にバスや飛行機で入る場合、結構荷物や行動時間に注意して旅しています。

エルサルバドルは友人の出身地ということもあり、
首都サンサルバドルをぜひ見たいなと思い、身を引き締め、歩いています。
グアテマラやホンジュラスと比べて、人々があまり「金、金」となっていない点や
「チーノチーノ」とアジア人をあまりからかわない点で、
いままでの中米とちょっと違うぞと思わせてくれた1日目でした。
一言でいうと、「やさしい」んです。
その見返りとしてお金は求めないんです。
道案内、ちょっとした小話、ホテルや店での対応が「やさしい」んです。
だからといって気は緩めませんが、少し驚いています。

町中排気ガスであふれている

旧市街の夕方、人で溢れかえっている

屋外プール、1時間3ドルは外人価格か
 見つけました、プール!泳げない日々を過ごしていたわたくしにとって
是が非でも入りたかった!がらっがらのプールでした。

町を走っている車はほとんど日本製、TOYOTAの力って本当にすごいと思います。
メキシコはアメリカ製の車がやっぱり多かったけど、中米は日本製の車ばかり。
さらに、電化製品といえば日本というイメージが強いらしく、出身はJaponというと、
特にこのサンサルバドルの人たちは「グッ!インテリヘンテ。」と口をそろえて言います。
おれは別に電化製品を開発したり直せたりしないんだけどさ。

改めて日本人であることに誇りを感じます。
そして、そこで働いている日本人を尊敬いたします。



2012年9月26日水曜日

遺跡とうとう9発目!コパン遺跡

とうとう、9箇所目になりました、マヤ遺跡。
ホンジュラスのコパンルイナスという町のとなり、歩いていける距離に
コパン遺跡はあります。

ここもだいぶ未開拓な部分を残す遺跡でした。
ホンジュラスのコパン遺跡。入場料はマヤ遺跡過去最高の300レンピーラ(日本円で約1200円)
見られる遺跡の範囲は広大で、丸1日かけました。
ところで樹木の力ってすごいですね
 グアテマラのキリグアと近い関係にあって、貿易も相互にしていたようだし、
戦闘も繰り返していたようだし。彫刻なんかも、石の質が似ているからでしょうか、
深いんです。マヤ芸術の素晴らしさを目の当たりにしました。
左から2番目が有名な18ウサギ王、繁栄に大きく貢献したようです

きれいな鳥、グアラスという名前らしい

このウサギ王の頭には、大地の怪物がのっているという

コパンという都市の象徴がこうもりだったそうです

初代コパン王(左)と16代コパン王(右、16代で途切れる)が対峙しているのがおもしろい
ここ、コパン遺跡は、今まで見てきたマヤ遺跡の中でも広大さでは、トップクラス、
ましてやキリグアとは比べ物にならないくらい大きい。しかし、キリグアに戦闘で負けて
その後衰退していったという。あのキリグアに!?という印象をもちました。

広大な敷地にぽつんぽつんと石碑が

各彫刻が本当に素晴らしい。マヤ文字も至るところに彫られている。


コパンで有名なのが、この階段。すべての石にマヤ文字が彫られていて
しかし、発掘段階でもうすでに崩れていて解読が難解になってしまったとか

2012年9月24日月曜日

遺跡8発目!キリグア遺跡

早朝、グアテマラ北部にあるフローレスを出て、ガテ東部にあるキリグアまで。
いやー、朝5時半に宿まで迎えにくるといって、タクシー来たの6時半。
早朝のバスには乗り遅れましたー。それでも謝らないのがガテ人(笑)
そして、バスの時間がずれても乗れちゃうのがガテのバス(笑)

さて、キリグア。ここは、ホンジュラス(いまホンジュラスにいるんですが)のコパン遺跡と
密な関係をもっていた都市。規模は小さいが、石碑があることで有名で、
それだけを見るために行ったのですが、
あまりの蚊の多さに、数十箇所さされるというお土産が付いてきました。
ここらへんの蚊って、かゆみ大です。
こう見えて下は安定している芝生に見えるけど、水はけ超わる。

石碑に刻まれる彫刻がきれいに残っている


これが最後の王らしいです。その記述がマヤ文字で刻まれているそうです。

こうやって、まだ未開拓の部分が多くありました

石碑の大きさは、これが10.5mだそうです。
 この上の石碑は、一番大きいのですが、3つのイベントを記念して作られたそうです。
3つとも戦闘による勝利とそれに起因する出来事だそうです。
前日の夜の雨がなかなか抜けないくらい水はけが悪い
 よくここに住めたなというくらい、水はけが悪く、蚊も多く、蒸し暑かったです。
それでもなんでここを選んで都市づくりをしたのでしょうかね。
紀元前500年ころから人は住み始め、820年まで存在していた記録が残っています。
軍事力もあったようで、隣の都市コパンを戦闘で破っています。
コパンを見てきた(後日書きます)から思うのですが、「よくこの都市が勝てたな」と思うくらい規模は小さく、環境は悪かったです。

さて、そんなキリグアに負けたコパンという遺跡を見に行こうと、
5カ国目のホンジュラスに入国!
チキムラという町を朝に出発し、昼には到着。

国境は平穏で、わずかなワイロで出入国できました笑
ホンジュラス、コパン遺跡は、「芸術の都」でした。次回!
 
 




2012年9月22日土曜日

遺跡7発目!ティカル遺跡

強烈なインパクトを残したティカル遺跡でございました。
ぽかっと浮かぶ遺跡の頭 
 ジャングル、そうほんとに暑かったジャングルの中に、ティカル遺跡はありました。
ジャングルなので、生き物もたくさんいて、クモをはじめ、
恐竜のようになくモノというサルの一種、一生懸命に運ぶ葉切りアリ、
テナガザルなんかも見られました。モノというサルの鳴き声は面白かったです、Youtubeにあとでアップしますね。
かつてない遺跡の値段(150ケツ=1500円)にびっくりしながらも、朝8時から夕方5時までじっくり遺跡を見学しました!
ティカル遺跡は、グアテマラ北部にあるマヤ文化が残る遺跡で、
紀元前600年頃には人が住んでいて、最も栄えたのが紀元後600年から800年(だいたい日本で言うと、奈良時代あたりでしょうか)という
長期にわたり都市を形成していったようです。
メキシコのテオティワカンに文化的に影響を強く受けたようで、
埋葬や祭祀的な活動にそれを見てとれました。
ちなみにずいぶん早い段階で世界遺産登録されています。1979年。
歩いてみて圧倒されたのは、広さと神殿の数!
 まだ発掘されていない箇所が多くあり、「この丘、神殿かなんかじゃない?」と
ところどころ思わせてくれました。
修復には日本のJICA(ジャイカ)が中心となっているようで、JICAの建物も遺跡の入り口にありました。
日本の素晴らしい技術が世界に広がっています。(どうやって協力しているかはわからなかったが)

ちょこちょこ地面にあるのが、当時の支配者を描いた石碑

右に見えるのがジャガー神殿

テンプロⅥという建物

とんでもなく急勾配

テオティワカン遺跡の大きさには下回るが、今まで見てきた遺跡の中でも群を抜いて広い!
そして、2500年ものあいだ生き続けた都市の壮大さに感動しました。
この都市の終わりは、自然災害だったようで、それは今の環境からも読み取れました。
水の確保が難しかったことが、都市存続への致命傷だったよう。
今ではこんだけ森に囲まれているけれど、水確保のための漆喰作りに森から木々を奪い、
結果土が育たなくなり、作物は育つことができず、住めなくなったらしい。

その後17世紀に入り、道に迷い込んだスペイン人宣教師により、このぴょこんと頭を出した
ティカル遺跡は発見されたのだそうです。


これでマヤ関係の遺跡は7つ見てまわりました。
今日を含めて3日間で3つの遺跡を見ます。
明日はグアテマラの東、ホンジュラスの国境近くにあるキリグア遺跡。
明後日はホンジュラスのコパン遺跡。

だんだんと、自分の中にわいてくる、歴史に対する認識が変わってきました。

2012年9月21日金曜日

ティカル遺跡へ移動します

シェラ(ケツァルテナンゴの通称)でのなつかしい、楽しい生活もすぐ終わってしまいました。
ホームステイ先のママに会いに行ったり、プールでトライアスロンチームに再会し一緒に泳いだり、
タカハウスのみなさんと時間を共有できたり、なんだか離れたくない気持ちに駆られています。

プールでマリオコーチがわたしを見たときの顔といったら、もう・・・
マリオコーチには1ヶ月鍛えてもらっていたので、お礼としてアメリカの大会でゲットしたメダルを事前に送っていたのです。アメリカの話になり、グアテマラのオリンピックの話になり、厳しい呼吸制限つきの練習をもう一度体験させてもらい、あっというまの3時間。
また会えるかな・・・。

タカハウスでは、「もっと知ろう!」という密な話もできました。
わたくしが知っている世界や日本の歴史なんて、表面的で、もしかしたら正しくない情報や一面的な情報のみ知っていて、一面的な見方でしか今の世の中や歴史を見ていないかもしれない。
自分の目で見たい、だからいま旅に出ているわけで、
気持ち新たに、歴史を発見していこうと思いました。

というわけで、グアテマラの大遺跡、ティカルへ。

2012年9月18日火曜日

グアテマラ再入国!

いや~、まわりの雰囲気を見ながら
戻ってきたなあという思いがわいてきました。

二ヶ月半ぶりのグアテマラ。
再びケツァルテナンゴのタカハウスさんに三日間お世話になります。

会いたい人達に会いに行きます!

2012年9月17日月曜日

水泳の国体の映像がとてつもなく見たい

いま岐阜で国体水泳競技が行われています。
なんと国体で世界記録が!
ジュニアパンパック、インターハイと記録が安定していたから
きっと国体ではと思っていたんだけど・・・
山口選手の泳ぎを映像で見たかった。たぶんテレビでやるっしょ?
みなさん必見ですよ!
2ブレで2分7秒・・・18歳で。

おれ、2フリで最初の50からぶっちぎられます。
いやー、すごい記録だよこれは。

2012年9月15日土曜日

遺跡6発目!パレンケ遺跡

パレンケ遺跡はメキシコの南部、グアテマラの国境近くにある、マヤ文明クラシコ中期から後期にかけて栄えた都市。だいたい600年から900年くらいでしょうか。

大きな建造物が特徴的で、
多いときには8000人が生活していたそうです。

 わたくし、ここ結構感動したので写真を
たくさん載せます。
多くの建造物がほかの遺跡と比べても残っていると言える遺跡です。

現在は、パレンケという町からだいたい
コレクティーボという乗り合いバスで10ペソ15分、だいたい70円くらいの距離に遺跡は位置しています。
ジャングルの真っ只中にあります。
ですので、むちゃくちゃ暑く、汗が1日中止まりませんでした。

カンクンやキューバよりも暑かったという印象が強く、
東京の真夏に似ている気候でした。
東京もある意味ジャングルですものね…。
えっ、何ジャングルかって?

・・・ま、とにかく、サルやイグアナみたいな生き物が
たくさんいるジャングルの中にあるわけです、この遺跡は。

誰もこの中に町はつくらんだろという、そんな環境でした。
当時もその環境はかわらなかったのだろうと。
つまり、攻める側としてはジャングル環境に苦戦し、
守る側はジャングル環境を味方につけられる。
戦闘志向も強く、階級もはっきりしていて、宗教色も強かった。
そうした記録も残っています。(発見した方がいたのです。)
 マヤ文字の装飾や、左のような宗教色の強い
装飾がはっきりと見られます。これ、後世に
誰かが複製したんじゃないのと突っ込みたくなるくらい、しっかりと原型をとどめています。

ここはジャングル真っ只中ですので雨量が多いようです。ですので、水の扱いには注意をはらっていたようで、水路を設けていました。
水を大切にしていたという点では他の遺跡と同じでも、多すぎる水に苦慮していたという点では他の遺跡とはだいぶ異なる環境だったようです。
わたくし歩いてまわっていて、遺跡が緑に隠れているということに気づきました。 この遺跡は800年くらい誰にも発見されずに残っていたようです。その間、緑が茂り、丘のような山をいくつも形成していったわけで、今でも潜んでいる「丘」はきっとこの周辺にあるんじゃないかって思えてきたら、感動してきました。最初に発見したのは1700年代後半だということですが、いくつもの「丘」を見た人はどんな気持ちだったのだろうか…。


遺跡について、自分がメキシコで見たいと思っていたものはだいたい見ることができました。
マヤについての遺跡は、グアテマラのティカル遺跡、ホンジュラスのコバ遺跡に行こうかどうか迷い中。

エネルギー充電のため、現在メキシコ最後の滞在予定地サンクリストバル・デ・ラス・カサスでゆっくりしています。