2012年10月31日水曜日

うれしい再会

エクアドルの首都キトに着きました。
キトでの生活は、登山ツアー探し奮闘中です。

ここキトでようやく会えました。
4ヶ月前グアテマラで一緒に登山をし、村々をまわったり、一緒に温泉に入ったり、楽しい時間を共有した友達と、ここキトで再会!
宿を探していたら、遠くのほうに見える見覚えのあるシルエットが。

嬉しすぎて涙ちょちょぎれました。
グアテマラから一度北上しアメリカでトレッキングと水泳の大会に出ていたわたくし。
いつか追いつくだろうと再会を心待ちにしていた。

世界一周や大陸横断をしていると、こんなことがたまにある。
楽しい旅なんだけど、さみしさはどの人にもつきものだと思う。
そうした中で、こういう再会はとっても温かい。

2012年10月30日火曜日

コロンビアでの日々からエクアドルへ インバブラ山登山

やってきました、南米2カ国目、エクアドル。
コロンビアのイピアレスからバスで10分、国境に到着。

さて、今日はめっちゃ長いですよ。覚悟してお読みくだされ。
コロンビアの陽気なタクシー運転手さん
おい、おれらを写真に撮ってくれ!と。
出国手続き10分、エクアドルへの入国手続き1時間と多少差はあったものの、
すらっと入国。しかし、2012年現在、コロンビアとエクアドルは、必要最低限の輸出入等の関係だけを保ち、実質的に国交を断絶しているという。それにもかかわらず、人の出入り、車の出入りは非常に多かったように思える。

さて、今日はどこに泊まろうか、どの街にいこうかと悩みながらバスに乗り、
イバラという街に行くことにする。国境から4時間。2度の検問で荷物を2度とも調べられる。

イバラの街で1泊し、山登りのための情報収集。
インバブラ山という山があり、無雪登山ができるという。
どうでもいいけど高校時代通った学校のほうにあるいんばぬまを思い出す響き。
イバラの街からタクシーでラ・エスペランサという集落まで行き、そこのカーサアイダという宿に泊まろうと思ったところ、宿主さんからインバブラ山の情報をいくつかもらった。
・テントを張れるとのこと
・荷物を預かってくれるとのこと
・雨があまり降らないとのこと
この条件を聞いて、さっそく登ることにした。食料や水はあらかじめ買い込んでおいた。

ここからは、山の記録として書いていきます。
この山の情報は少ないため、ウェブで検索する人もいるかもしれないということも考えて、
できるだけ参考になるように書いていきます。

☆☆☆

「エクアドル イバラからエスペランサ、インバブラ山へ」

エクアドルでは登山を楽しみたいと考え、登れる山を探していた。
最終的には、コトパクシ山という高い山に登りたいので、
それまでに高度順応させる必要がある。まずはコロンビアから近いインバブラ山で高度順応をしようと決めた。

ネット、ガイドブックなどから集められる情報に限りがあり、やっぱり現地で仕入れた情報を頼りにするしかないというかんじだった。
 
イバラというエクアドル北部にある町が第一歩。
そこで集められた情報は「ラ・エスペランサ」という集落があるから、
そこに行けば山の情報が手に入るとのこと。
その後、「ラ・エスペランサ」でネット検索すると、
Casa Aida」という宿があるとのこと。まずはそこに行こうと思い、
タクシーでラ・エスペランサまで5ドル、そこから地元のバスで0.75ドル、
カーサアイダに到着。宿主さんにインバブラ山に登りたい旨を告げると、
荷物を預かってくれ、情報ノートに書かれていたスペイン語の地図(これ貴重だった)をもとに、その日のうちにインバブラ山に登り始めた。スタートはカーサアイダ(標高2600m)。
牛や羊などがのんびりと暮らしていそうな集落がスタート
この石畳を1時間くらい歩き続ける
 
集落の北の端まで2時間半歩き、そこからさらに2時間歩き、
雑草に覆われた箇所にテントを張る(標高3900m)。
結構変わった植物もあった
雑草のような植物が4000mくらいまでびっしり

大きなインバブラの山陰

北のほうに目をやるとイバラの街
 
途中、3500mくらいから息が切れ、20歩歩いては一休み、
そしてめまいという高山病の症状が現れた。
頭痛はないので、様子を見て歩いていたが、
テントを張りゆっくり夜をすごしながら、
体調次第では明日はゆっくり起き下山しようとも思っていた。
夜の素敵な景色を見ながら、休む。
雪をまとっているのはカヤンベ山

晴れです、朝焼け

次の日、ぐっすり寝ることができ、体調も完璧、こりゃ頂上まで行けると判断し、行動開始。
引き返すパーティーもあった岩場

頂上直下は、砂もまじったガレ場
足をもっていかれそうになった
 
ちょっと厳しい岩場が複数個所出てきて、戸惑う場面もあったが、
3900mの出発地点から2時間後、4630mのインバブラ山頂上に着くことができた。
 
さわってないんだけど、下山しているときに見たら
あったはずのこの十字が消えていた・・・
下りが実に辛く、岩場では高所からか怖さも感じた。
テントを張っていた場所まで行きと同じく2時間かけ降り、
その後カーサアイダまでさらに3時間かけて降りた。

一番高く見えているのがインバブラ山の最高地点4630m
 
 
道はおおむねはっきりしているものの、途中で何回か道迷いあり、引き返す場面もあった。
すれ違う人たちは皆グループでガイド付き。
安全のことを考えると、ガイド付きがいいに決まっている。

カーサアイダに戻る途中、アジア人が珍しいのか、地元の若者に冷やかされ、
むかついたのでスペイン語で「世界は広いんだよ」という説教をたれてやるというおもしろい場面があった。
若者たちよ、もっと勉強しなさい、人権について。

カーサアイダでは、そこに住む子どもとサッカーをしたり、
フランス人の団体さんに交ぜてもらい楽しい夕食をとったり、
カーサアイダの宿主さんと1時間くらいお話をさせてもらったり、
素敵な時間を過ごさせてもらえた。
日本人を好意的に見てくれているといううわさがあったが、それは本当だった。
なんでも、宿主さんが以前体調を悪くし寝込んでいたときに、
ある日本人の宿泊者が千羽鶴を折ったそうな。
また、マリファナ一斉捜査が行われたときに、日本人の部屋からは何も反応が出なかったとか、
別の日本人宿泊者は、とてもとても部屋をきれいに使ってくれたとか、
いい話しか出てこない。
 
これはいままで宿泊した日本人の歴史が積み重なって今に至っているのだと思い、感謝感謝。
わたくし自身も跡を継がなければ。

でも、部屋をきれいに使うとか、体調不良の人を思うとか、マリファナを使用しないとか、
日本では当たり前のことで、
でも、これってすばらしいことなんだなと改めて思った。
日本って素晴らしいんだな。
 
☆☆☆
 
さて、山の記録はここでおしまい。
ここからさらに縁があり、首都のキトまで車で送ってもらうことに。
この話はまた次回。
 
さらにー!キトに今日到着したのだが、
グアテマラで一緒に1ヶ月近く行動した仲良し夫妻と再会ー!!
嬉しすぎて涙流してはしゃいじゃいましたー!
またこの話も今度。

イピアレスでの1日

バスターミナルから迷って歩いているわたくしに声をかけてくれたDavidくん。
カウチサーフィンといって、家に泊まらせてくれるサイトがあって、それに登録しているという。
わたくしも登録しているんだけど、いまだ使用したことがなく・・・、
そして、あまりに話がよくて彼のことを最初疑っていました。
とんとん拍子に話が進み、「わりぃ、今日家に泊めてくれる?」とお願い、快く受けてくれました。

イピアレスには有名な教会があって、そこに行きたくてこの街を訪れました。
Davidくん、なんと半日自分の時間をつぶしてまで連れて行ってくれました。
なんて、なんていいやつなんだ。

夜、教会への道を歩きながら、日本文化好きな彼でしたので、
ドラゴンボール、ストリートファイター、マリオ、日本の食べ物とコロンビアの食べ物、
コロンビアの恋愛事情、山のことなど話しました。

ドラゴンボールZ好きなので、フュージョンを。
コロンビアでフュージョンをやるとは思ってもいませんでした。



橋の上に教会が建っています。Las Lohasという教会。
ここで偶然、ある団体と遭遇。なんかの罠かと思いました。そして、その団体の様子を見たもんだから、お金を要求されるとも思いました。(←どんだけ対人恐怖症なんだ。)

インディヘナのダンスを紹介する団体で、政府の観光機関に関係している人たちでした。

真ん中のソフィアさんが丁寧に団体の説明もしてくれ、
なおかつ、ダンスのDVDもくれました!
のちほどYoutubeに載せます。

ぜったいにお金を請求されると思ったのに、
帰りにDavidの家まで送ってくれて・・・
 
こんな偶然に感謝をしながら、次の日、Davidと別れました。

あー、充電が切れるので、また後日アップします。
これから首都キトに向かいます。じゃ、また。

2012年10月27日土曜日

ボゴタ滞在とコロンビア

ボゴタの居心地の良いホテルアラゴンをあとにし、国境の町イピアレスへ。
バスで26時間。風邪を完璧に治してから乗るべきでした笑

さて、イピアレスの前に、ボゴタのボテロ博物館の写真をいくつか。
メデジン出身のボテロさん、まだご存命の方ですが、この方の作品がある
博物館に行きました。行きたくて行きたくて。
ボテロさんの絵は特徴的で、全体的に肉肉したかんじの絵です。
モナリザもボテロさんにかかるとこのとおり

洋ナシでさえも見事に

骨も肉肉しいかんじに

各部屋に一人、20人くらいの守衛さんがいたな
 このボテロ博物館、入場無料、そして守衛さんがたくさんいたことから、
ボテロさん、そうとうなお金持ちと見た。
ボゴタとメデジンに博物館があります。
ホテルアラゴンの若主人(?)、親切にしてくれました
 日本人宿泊者も多いこのホテルアラゴン、ぐっすり眠れるベットは、
コスタリカの首都サンホセで感じたあのサバナ喜多側さんのベッド並み!
心地よさではベスト5に入ります。お勧め宿です。
国内流通用の土地をもっているコーヒー会社
Juan Valdez社のコーヒー味のエネルギードリンク
がっつりきました


コロンビア、自分の目で見て、感じて、思っていたことや国の印象が180度変わりました。
まず、先入観としてあったのは「危険」というイメージ。
これについて言及するのは難しいんだけど、わたくしたまたま何事もなくコロンビアでの日々を過ごすことができました。
街の人々は「どこでも油断をするな」「カメラに気をつけろ」「夜は外出を控えろ」と口を揃えていいました。
しかし、人々の優しさはどこの街にいってもあったし、温かさといった点ではどの国よりもあります。
いままでまわっていた中米をもとに考えてしまうので、よくないのですが、
親切→お金を求めるという図が自分の頭の中にあるので、それを全く覆してくれた国で、
本当にこの国に感謝しています。
でも、人々の優しさはDepende、つまり、人によります。
アジア人蔑視はこの国でも感じましたので、諸手を挙げて「優しい!」とはわたくし言えません。

美人が多いこと。
コロンビアで出会った人にたまに言っていたのですが、
「あまりに美人が多くて、目を合わせられない」くらい、美人国でした、本当に。
特に、コロンビアの中部にあるメデジンの美人率は半端なかった。
コロンビア人男性が「いいだろーコロンビア」と口を揃えて言いますが、
負けずに「日本の女性もきれいなんだぞ、いいだろー」と返します。
そして、あまりにシャイなわたくし、あまりカメラを向けられませんでした(残念なおれ)。
まちがいない国でした(笑)。

コロンビア滞在最後の街は、イピアレスという街。
26時間のバス移動後、ぐったりして降り立ったあとホテル探しをしているわたくしに
「おれ、カウチサーフィンをやってるんだけど、よかったら泊まらない?」
と声をかけてくれた青年がいました。名前はDavid(ダビード)。
この話は次回。

2012年10月24日水曜日

首都ボゴタはビクビクしながら歩いています

首都ボゴタに滞在して4日目になります。
ホテルアラゴンという歴史あるホテルに泊まり、風邪を治しています。
えっ、風邪って?
そう、メデジンでも癒せなかった体力が、ボゴタへの移動でさらに低下し、
標高2500mくらいという土地柄、ぐったりきてしまいました。
しかし、このホテルアラゴンのベットがあまりに心地よく、すっかり元気になりつつあります。

メデジンいい街だったんだけど、ひとつだけ気がかりなことが。
個人的な話でどうでもいい話なんだけど、
メデジンについた夜、寝ようとしたときに、ベットに入り込もうとする気配がしたんだ。
で、体は動かせないの。
・・・それって、かなしばりってやつ?
でも、怖い話は嫌いなので、ここらへんでやめておきます。
そんなこんなでメデジンではゆっくりはできなかったのです。

さて、コロンビアといえば・・・
 コーヒー!
コロンビアコーヒーって有名ですよね、日本でも。
中米でもすべての国でコーヒーを堪能してきましたが、ここもよだれが垂れるくらい美味しいです。
中南米でよくあることですが、国内でとれた一級の豆は海外へ輸出されてしまいます。
ですので、その国で飲めるコーヒーは二級以下の豆を使用しています。
しかし、コロンビアのJuan Valdez Cafeは、国内流通用の土地で取れた豆、つまり一級品であり、コロンビア産という豆を使用し、提供しているのだそうです。
寝られないくらい毎日飲んでいます。
ボゴタでは結局泳げず、観光しています。
クリスマス前の準備に入ったボリーバル広場
ここでカメラを出すと、パッとやられるらしい

山に囲まれた盆地のため、排気ガスがたまる。
エルサルバドルの首都サンサルバドル、グアテマラのシェラ以上の排気ガスで
中には口を手で覆って歩く人も見かける。

モンセラートの丘標高3200m、ボゴタ市内を一望できる

旧市街が特に美しく感じる

ナショナルミュージアムにあったシモン・ボリーバルの肖像画
この人抜きには今の南米はないんだそうです

コロンビア南部にあるサンアグスティン遺跡から発掘された石
ナショナルミュージアムにありました


ボゴタはとにかく広かった。バスに乗りながら、ふとアメリカのロサンゼルスを思い出しました。
それくらい大都市です。犯罪も多いそうです。幸いわたくし被害には全くあいませんでしたが、
みな口を揃えて「カメラや腕時計はすぐに取られるからな」といいます。けれども、以前よりも治安に関しては改善されているようです。

ボゴタでナショナルパーク事務局に行き、登山の申請をしようと思ったところ、
ガイドが占められていて来週まで空かないこと、ナショナルパークまで交通機関がないとのことで車をレンタルしなきゃいけないことを言われ、こりゃあかんと思い、エクアドルに移動しようと思いました。

エクアドルまで陸路で移動です。
きっとネット環境が悪くなります。エクアドルの首都キトまで3,4日かかると思いますが、
キトについたら更新をしますね。

それではみなさん、季節の変わり目、体調に気をつけて。Hasta Luego!

2012年10月22日月曜日

メデジンという街で その3

そのメデジン滞在を終え、首都ボゴタへ移動してきました。
メデジンからバスで10時間。やっぱコロンビアの国内移動は長い!広いわ。

メデジンの街は居心地が良くて、このままだとだらだらっといてしまうと思い、
後ろ髪引かれる思いで出てきました。

今日は写真でメデジンの街を紹介。おすすめの街だし、
もう一度訪れたい街No.1です、わたくし的に。

有名なボテロの美術館前の広場、教会が素敵なデザイン
ここでカメラを出すと、パッと横から奪われる可能性大とたくさんの人に言われた

茶色の建物で統一されている

泊まったところの近くの様子、茶色です


ここは「6」の複合施設。日本でもなかなか見かけないくらいの規模の大きさ。
スピードショップを初めて見た。

盆地なので大気がたまります。また、山に囲まれているため、雨がしょっちゅう降ります。

郊外にビルが見えるでしょうか。

メデジン料理。これで15000ペソ。だいたい600円かな。
コロンビア料理なんですけど、ここではご飯、目玉焼き、ウインナー、豚肉、牛挽肉、バナナの揚げたもの、
サラダとポテト、それとアボガド(アグアカテといいます)
メデジンでは、住む場所によって払う税金の額が異なるそうです。
ですから、ベレンの図書館のように、テアトロの使用が無料にできたり、市民の使うものが無料になったりすることができるそうです。その代わり、高い税金を払って住む地域では、安全が保障されています。上の写真の中の複合施設に「6」と書きましたが、この「6」が最も高い税金を払っている地域です。そのような雰囲気がありました。

素敵な街でした、メデジン。

ボゴタでは、山の道具を揃えたり、泳いだりして過ごします。

2012年10月21日日曜日

メデジンという街で その2

そのVicenteさんが
「ここメデジンには日本人に関係があるものがたくさんあるんだ」と紹介してくれたのがここ。
ビブリオテカ・ベレンです。
メデジン市内のベレン地区にある図書館です。
ここは、2008年に東京大学の内藤教授をはじめ研究生の尽力により
建てられた図書館だと聞きました。
ですから、建物の様子も日本的な部分を感じました。
雨が瓦から落ちる様子が素敵でした。
その中に、日本の部屋があり、日本の書物が多く置いてありました。
私が行った木曜日の午後、たまたま映画会を開いていました。
日本の映画を地元の人々に公開していたのです。
なんと「たそがれ清兵衛」のスペイン語字幕版でした。
見ていてなんだかうれしくて。

 ここは図書館施設内にあるテアトロです。劇場といったところでしょうか。
この劇場で行われるイベントは無料だそうです。
税金で運営をしているということでした。わたくし土曜日に再び訪れたときに
日本のアニメをここで見ました。
 
 コスプレ大会も行われるそうです。図書館内には、ジャンプも数冊置いてありました。
ワンピースが好きという方が多かったです、うれしくてうれしくて。
 
税金でという話を出しましたので、メデジンの社会の様子、街の様子を次回お伝えします。
少しだけお話を聞く機会をいただきました。
 
その日の夜、メデジン市内にある大人のための学校の授業を見させてもらいました。
日本語科があり、そこでは日本語の授業が行われていました。

元JICA職員で、現在メデジン在住、ここで指導しているかおり先生です。
お宅でカレーライスもいただいてしまいました。
コロンビアの学生さんたちに丁寧な授業を、そして愛情溢れる方です。
メデジンについていろいろ聞くことができました。
コロンビア人の恋愛事情、メデジンでの生活、日本語を学ぶ学生について、
日本について、家族について、たくさん話すことができました。
日本語を学ぶ学生さんたちは、18歳以上の方々でしたが、
発音がきれいで、会話がスムーズに運ぶくらい運用能力が高い方々でした。
このときは「もし・・・なら」という構文を学習していました。
難しいですよね、日本語を分かるように教えるって。

まさか、メデジンという街で、これだけ「日本」に接することができるとは思いませんでした。
これも、パナマのプエルトリンドでKENさんという日本人にお会いしなかったら、
Vicenteさんに会いに行かなかったら、見ることのなかった現実です。
通り過ぎていた現実です。

メデジンという街で その3に続く・・・