2013年9月29日日曜日

サンタクルスから帰る道中・・・

今日は、これでもかというくらいボリビアを味わいました。笑
サンタクルス~モンテーロ~オキナワというルートで、うまくいけば1時間半で到着しますが、
今日は、4時間かかりました。


まずこれでもか1発目、
サンタクルスからオキナワへ帰るときにはトゥルフィーという乗り合いタクシーを使います。
5~7人が一台の車に乗り、運賃を分け合います。
その乗り場では、集まった順に乗るのではなく、トゥルフィーが来たら
先に来た人後に来た人関係なく、我先にトゥルフィーに手をかけ、自席を確保するのがここ流です。
しかし!なんと、その乗り場に、チケット制が誕生。
これで押し合い圧し合いは解決!
「トゥルフィーはあなたの順番を守ります」と書いてありました(笑)
・・・と思いきや、たとえチケットがあろうとも
押し合いへし合いで乗る姿が今日もありました。チケットを見せても、「次のにして」と一言され一蹴。

そんなこんなで、まあしかし、なんとかしばらく待っていれば乗れるものです。
こんなことじゃ、おこりません、もう。ははは。

これでもか2発目は、モンテーロからの道中、片側一車線でおきました。
 中央ラインを引いていたんです。たぶん、国の機関であろう、交通局の仕事です。
驚くべきことに、全面通行止めをしてラインを引いているのです。
ということは、先に行きたい車を止めて、仕事をしているのですが、
ここで1時間半、トゥルフィーの中で待たされました。
 この後ろに車の列が延々と続いているわけですよ。
線を引くのに、待たせるのか?!
こうなることが想定できるなら、渋滞を回避する方法はあるだろ?!と思うわけです。
たとえば、隣の芝に誘導して車を通させるとか、工事の時間帯を変えるとか。
1時間半も、無駄に人々を待たせるって、どんな仕事っぷりなのか?!
かなり、呆れましたね、今回は。下に写真を載せました。

だって、どんな線を引いているかって、変更前の写真が上なんですけど、
すでに一本線はあるんです。

その黄色の線の隣にもう一本黄色の線を引くという作業・・・。

「・・おいっ、いるのか、その線・・・?」


「みんな(市民)優先」ではない仕事っぷりに、がっくりしましたよ・・・。

2発とも、もっとよりよい方法があるだろ?!と思うこと、
何か理由があってそうしないのかもしれないけど、
詰めの甘さや効率の無さを感じるんだよな。

ま、人生そんなにあわてるなってことかな。

2013年9月27日金曜日

近くの町のブエナビスタ

私はコーヒーが、大好きです。

この旅中、いろいろなところで「これだ!」というコーヒーを求めています。
コロンビアの道端で、グアテマラのコーヒー専門店で、ブラジルの街中で。
幸いながら、美味しいと感じるコーヒーに出会ってきました。
コーヒーを朝飲まないと、頭痛がしてくるんです。カフェインを体が求めているというか。

オキナワから3時間くらいのところに、ブエナビスタという町があります。
小さな町ですが、ブエナビスタという名の通り、いい景色が見られるところでした。
といっても、木々が多い茂っている台地というかんじのところでしたが。
サバンナってかんじの地でした
ここブエナビスタはコーヒーの産地で、
ボリビア国内で一度ぜひ行ってみたい場所だったのです。ようやく!

まずは朝の一杯・・・
 やば・・・い、この濃厚なコーヒーの味・・・もう来てすぐに満足。
なんていうんでしょうね、この味は。飲んで、頭から何かが突き抜ける快感・・・というのは言いすぎだとして、舌に香りが残る味というのが私の結論です(笑)
町中の公衆電話はかわいかった。
ブラジルのボリビアとの国境近くの町でもこんなようなのがありました
 宿泊すると、まあ別料金は払うのだが、コーヒーの話が聞けるツアーがある。
 コーヒーは他の木と重なったり触れ合ったりすると、実が落ちてしまうとのことで、
一定の間隔を置いて植えてありました。そして、この木は植樹から1年。
7年くらいかけて、採取できるという。
 工場の中も見せてもらいました。残念ながら祝祭日で、操業はしていませんでした。
このポスターは、コーヒー豆の皮をむく機械の前にありました。

 簡単にすると、「うまいコーヒーができるまで・・・」みたいな。
 ブエナビスタという商品名でボリビア国内に出回っています。
コロンビアと同様、一級品は国外に輸出するそうです。
しかし、ここでも、一級品を国内に少しまわすそうです。

一級品はどこへ輸出されているのか・・・
ツアーの案内人の話を聞いていて「・・・Estados Unidos, Japon,」ああ、やっぱり日本にも輸出しているよな、と思ったところで、「Japonのドートール・・・」と言うわけです。
おお、ドトールのコーヒーはここの豆も使っているのか!と気づいたわけです。
工場内には、写真と感謝状みたいなものが貼られていました。
きっとドトールは、ブレンド豆として出しているでしょうから、その一部がボリビアのブエナビスタの豆ということになります。(きっと)

結局2日間この町に滞在したわけですが、とにかくコーヒーを堪能しました。

2013年9月25日水曜日

今日は家でのんびり

サンタクルス州立記念日である今日は、家でゆっくり過ごしました。
最近は、英語とドイツ語とポルトガル語、もちろんスペイン語にも力を入れて勉強しています。
旅の再開にあたり、やっぱりもう一度磨きをかけねばと思い。
今日は1日それらに当てられたので、有効な1日にできたのかなと思います。

夜は、ダンベル体操に行きました。
毎週火曜日にダンベル体操に行って、主に体幹を鍛えています。
今日は特別に日本から指圧の専門の方が見え、指圧やマッサージの指導をしていただきました。
こうやって、指圧をしてもらったときに、日本でしてもらっていたマッサージを思い出します。
 
日本では、特に背中と肩が張ることが多かったので、住んでいた近くのところ指圧するお店に通っていました。
旅に出る2年前くらいに、「相性が合う」方と出会い、その方に体の調整をしてもらっていました。
長い期間施術してもらっていたので、よく私の体を理解してくれ、施術後ばっちしな体に仕上げてくれていました。
ふと、あー、日本に戻ってその方に施術してもらいたいなあと思ってしまいました。

2013年9月24日火曜日

サンタクルス州立記念日

サンタクルス州立記念日は9月24日。前日の今日は、行進をしました。
8時半行進開始が、9時開始とボリビアでは珍しいくらい時間通りの展開でした(笑)

広場前に、各学校全生徒が集まり、バンダ(金管バンド)で行進します。




今日は10時半ごろに行進が終わったので、その後生徒の家に行き、作文指導。
お話大会まで残り10日くらいですが、この子は、自分のパソコンを使って、未習漢字を調べます。
こうして今回は、原稿用紙1枚(400字詰め)に対して、120字の漢字を使っていました。
毎日学習意欲の高い子なので、教えている私も教え甲斐があります。

この子の母親から、私自身学ぶことが大きくて、真似をしたくてもできない育て方なんです。
文字通り、子どもに「寄り添って」「子どものスピードで」勉強を教えています。
だから、子どもが「伸びる」というよりも「伸び伸びと」過ごしていけるんだなと感じました。
「母の愛」です。
今日は作文を終えた後、彼の好きなDVD(笑ってはいけないスパイSP)を一緒に見ていました。

2013年9月22日日曜日

金土で水泳

金曜日の夜と土曜日の朝にサンタクルスに水泳トレーニングに行きました。
コーチのエルナンはじめ、練習に通う子たちは、明るくてとても気楽に接してくれます。

昨日たまたま800mを一本泳いだんだけど、
半年前は私に勝てなかった子に、
今回ぶっちぎられました。
15才の男の子なんだけど、着実に速くなってるのを見て、
仲間として嬉しくなりました。
どんどん上を目指していって、2020年の東京オリンピックにボリビア代表としてでてほしいな。

何人かそういうビジョンを持った子がいるので、
楽しみです。

今日は、練習仲間のブルーノがトライアスロンに参加。
練習がてら、応援しました。

2013年9月20日金曜日

レネモレノ校というところへ出前

夜の6時に集合し、近くの町モンテーロまで車で40分。
夜7時から開始の予定だった、レネモレノ校の創立記念式典。
7時に行ったら会場はがらんとしていて、結局始まったのは、
1時間遅れの夜8時。
Aqui Boliviaですね、まさに。

他校の創立記念日なのに、そこに参入していくって、
なかなか日本では考えられない行動。
でも、その学校の生徒達は、迎え入れる体制に慣れていて、
温かく迎えてくれた感がありました。

この学校、ボリビアでは珍しいのだけど、
学校に室内プールがありました

生徒2人でエイサーの歌をかけて獅子踊り
ちゃんとやるところがえらい

いつも観客から多大な拍手をもらう演技をされる先生

合奏を2曲

サンポーニャを使って演奏

ソーランを後ろからパシャリ
踊るたびにうまくなっていますよ


レネモレノ校の創立記念日のイベントなのに、日ボ校の演奏・演技が、
イベント総時間の半分以上を占めるという、なんとも不思議でおかしいイベントでした(笑)

最後の行進はきれいだったなあ。美人さんたちを選んで歩かせてるんだな、きっと。

2013年9月18日水曜日

将来に向けての会合

本日、学校運営委員長の掛け声の下、父母会、運営委員会、
日語部職員の20名ほどで、「今後の日ボ校について」話し合いました。

これからの日ボ校をどのように運営していくか、ということをテーマに
2時間ほど懇談しました。

この会合の中で、教育方針と今の生徒の実態にも話が及びました。

日本でもそうですが、学校の研究授業や授業参観に行くと必ず、
その学校の「教育方針」や「教育目標」を私は見ます。
そして、自分の勤務していたそれらのことを頭に入れながら働いていました。

私がここオキナワに来たときも、そうでした。
昨年の学校要覧に書かれてあったそれらを見て、「こういう学校なんだ」
「地域保護者が求めているもの、教職員が育てたい生徒ってこういうかんじなんだ」
というものを理解できます。

この学校の教育目標と方針は、きっと昔から変わっていません。
それは、
・ボリビアの社会に貢献できる人を育成すること、だったり
・日本の文化を、日本語を学びながら大切にしていくこと、だったり
今も昔も普遍的なことなのです。
昨日の話では、これらのことを改めて意識して、生徒に学校に通ってもらったり、
保護者に理解を求めていくことを確認しました。
さらに、この学校の良さを、ボリビア社会に伝えていくことも必要なのではという話も出ました。

忙しい中みなさん集まりますが、将来に向けてのこの会合は、必要です。
来月も行う予定にし、解散しました。

2013年9月17日火曜日

日曜日は dia de la tradicion

Dia de la tradicion(伝統、伝承の日)が9月15日日曜日にありました。
オキナワでは、プラサ(広場)で催し物があり、つくづくボリビア人はパーティーが好きなんだなあと思いました。この日も、例外なく、夜の12時まで、家の窓ガラスがビリビリいうくらいの大音量で騒いでました。やれやれ。

プラサにテントを張って、即席舞台が出来上がる


サンタクルスの踊りでした

伝承の日ということで、ボリビアの民俗舞踊が踊られていましたが、
今年は日ボ校から、南中ソーラン節を披露することになりました。
生徒達は、前日土曜日の敬老会で出し物、日曜日もこの発表と、
きっと疲れているだろうけれど、私には嫌な顔せず踊ってくれました。
立派でした。



踊り終わった後は、ボリビア人の観客から盛大な拍手をいただき、
生徒達も満足した様子でした。
こうやって、人の前で踊るのは4回目のソーランですが、
堂々と発表してくれた生徒達に私は感謝しています。

2013年9月16日月曜日

敬老会に参加

この地域では、敬老会が盛大に催されます。
今年は午後5時に始まり、11時頃まで楽しみました。
まずは、お一方お一方に記念品の贈呈を行いました。

95歳の方をはじめ、30名近くの方が75歳以上
 この日は、自分がバタバタしていて、あまり写真を撮れていないのですが、
子ども達の三線。童神と安波節。練習した成果が出ていました。
とくに、一番前に座っている子の声がよく響いていたこと。立派に発表できてよかった。


 自分も三線の発表(島の人よ、デンサー節)をしたのだけど、カメラを頼み忘れて写真はなし・・・
不真面目な発表のほうしか残らず。
今回は裸で参加、これ、許されるのか?と気が気じゃなかったけど
何とか無事終えました。こういう出し物を考えるOBの神経がわからない笑

9月は行事が多くて大変です。それに伴う練習を子ども達はしないといけないので、
発表できるレベルまでもっていくのに実は難しい。

2013年9月13日金曜日

デイサービスへの参加


 オキナワのデイサービスは、月に2回行われていますが、今月は
学校のFGクラスが訪問させていただくことになっていました。
そこで、披露するものを考えて、運動会でも行った南中ソーラン節を披露しました。
隊形を再び考えて、おじいおばあが見やすいように踊りました。
毎月行われる予定が決まっている中、踊りを見てくださったり、
話をしてくださったり、貴重なお時間をありがとうございました。
 


 ゆんたく(沖縄方言で「おしゃべりすること」)する中で、昔の話を聞いたり、ご出身を聞いたり、
彼氏のゲットの仕方を教えてもらったり(!)しました。一生懸命話を聞いている生徒の様子を
後ろからこっそり眺めていました。よかったね、日本語をしっかりと話せて聞けて。
その後、一緒におばあたちと踊り
 


おやつと麦茶をいただき、1時間の滞在を終えました。

こうやって、移住した当時のお話を聞けるチャンスは、だんだんとなくなってきます。
それは、移住から60年以上経ってくるからです。
今の子ども達が1世の方々のお話を聞ける最後の世代。
だからこそ、直接お話を聞いて、語り継いでいく人材を育てないといけない時期になっているのだと感じました。
ぼく、私が担っていくんだ!という強い気持ちを誰もがもってほしいと思います。
でないと、文化等の継承は、なあなあになり、他人任せになってしまうような気がしています。
敬老会が終わったあとにでも、私が感じたことを子どもに伝えていこう。