2013年11月30日土曜日

日ボ校の卒業式

この日で、2013年度の学校生活は終わりでした。
修了式を終えたあと、卒業式を行いました。
日本の卒業式とは違う、これはまた感動する式となり、私にとって、忘れられない式になりました。
最後まで勤務できたことを嬉しく思いました。少しでも係われたことを誇りに思いました。
これで私の仕事もおしまいです。
御迷惑をおかけした部分が多かったと思いますが、ここまで居させてもらい、
ありがとうございました。

ようやくこみ上げてきました。
別れはやはりさみしい。

2013年11月28日木曜日

こちらでの仕事もあと2日

昨日は、送別会を開いていただき、ひさしぶりに職員の方々とお話をしました。
お力添えをすることができなかった自分に悔いながらも、
どうすることもできなかった自分を許しました。
私にはどうすることもできなかったな。

今日は離任式でした。こうやって全体を眺めることも、もうなさそうです。
残すのは、明日の大掃除と通知表配付、そして明後日の卒業式。
 夜は、仲良くさせてもらっているJICA(ジャイカ)隊員の誕生日晩御飯会。
その前に、生徒と筋トレ。
とても前向きな子で、自分に有益な情報は何が何でも教えてもらおうとする若者です。
こういう姿勢をもつ子は大好きです。
サーキットトレーニングで、みっちりといじめてやりました(フフフ)。
地域の公民館の横にあるジムにて

2013年11月26日火曜日

サンタクルスの水泳チームとのお別れ

実際、このお別れは、「彼らが成長したときにまた会えるのだろうか…」と思ってしまいました。
合言葉のように最近言っていたのが、「2020年、東京で君たちを待ってるから。」です。
これが全員ではないのですが、いまアメリカやペルーに練習場所を移している子もいます。
そうやって、外に出て自分を高めていくという決心に感服しています。まだ若いのに、すごい。
彼らとの練習は、6月頃に始まりました。スペイン語が十分でないので、皆英語を使ってくれます。
高校生、大学生の彼らは、しばらく会わないと体がぐっと大きくなっています。
なんだか、そんな様子を見ていて、ほほえましくなりました。
隣のブルーノは17歳にして190cm、うらやましい。

最後の練習は、とってーもきつく、思い出に残る練習でした(笑)
1600mのアップを終えると、3000mを1本というのが待っていました。
今のおれのスピードだと、1時間かかります(笑)
でも、楽しかった。泳いでいて笑っちゃうくらい楽しかった。
若い子達には50mプールなのに、3周差をつけられました、ははは。うれしくなっちゃいました。
練習終わってから、特に仲の良いメンバーで、チュラスケリアに行って送別会をしてくれました。
チュラスケリア、焼肉屋ですが、サンタクルスで有名なのが
ここ「Casa del Camba」カーサデルカンバ。腹がはちきれるばかりに食べました。
そして、若い子達に、「大輔は出さないで!」とおごられるワタクシ…。
これふと思ったのですが、「おもてなし」の心なんだと思う。日本だけがもつものではないのです。
こういう心をもつ若者、上を常に目指し続けている若者を見ていて、本当に嬉しくなりました。
 
コーチのエルナンからは、チーム名が入ったTシャツと・・・

サンタクルス州の色のジャージ
 
・・・・いつもこうなんだけど、「お世話になったのこっちじゃん!!!!!」
 
7月にボリビアの大会に出て以来、なんか彼らにできないかなあと考えていて、
結局おれにできることって、「外の世界に挑戦しな、ボリビアに留まらないで!」って、
それしか言うことができなかったな。
そして、お別れの言葉でも言ったんだけど、こういう若者がボリビアにいて本当に嬉しい。

 
コーチのエルナンも、こういう16,7歳の子たちを相手に、本当にうまくやってるなと感心しました。
お兄さんのようなかんじで接していたのが印象的でした。

ボリビアに留まって、一番の収穫は、
こういう若者たちに出会えたことだと分かりました。


2013年11月25日月曜日

三線サークルのお別れ会

毎週金曜日夜に、三線サークルの練習に通っていました。
最初に訪れたのは今年の1月25日、そのときには、
初めて触った三線をどう弾いていいかわからず、前の人の指を見て真似していました。
工工四(三線の楽譜)を読めるようになり、弾ける曲が増え、毎週通うのが楽しみになりました。
初三線から10ヶ月が経ちました。
 
一年という短い間でしたが、このサークルには、できる限り出席していました。
三線が弾けるようになるのが嬉しいからという理由のほかに、
おじい、おばあとゆんたく(お話)ができるからでした。

 
 今日はお別れ会を開いてくださり、
あるおじいには、『姫百合の歌』をリクエストし、弾いていただきました。
この歌は、ひめゆり学徒隊の行動を10番までの歌詞につづったものです。
毎回「弾いて」とお願いするときには、ためらいもあります。
もしかしたら、悲しい記憶を思い出させてしまうこともあるからです。
この歌詞を初めて聞いたときには、衝撃的な内容と坦々と流れる曲の差に驚きました。

私の、見ようとしなかった歴史がこの歌にもありました。
みなさんのやさしさが温かかったです。

土曜日早朝(?)、ありゃ深夜でしたが、わくわくして眠れませんでした。
弟の就職祝いを親戚の兄貴が呼びかけてくれたようで、
ほぼ1年ぶりに親戚たちとスカイプしました。
いとこ・兄弟の子ども達が大きくなっている様子は元気をもらえます。
 そして、土曜日の夜は、地域のおじいがカラオケに呼んでくれて、深夜までカラオケし続けました。
歌っていただいた、加山雄三の「旅人よ」にぐっときました。改めて聞くと、加山雄三の歌っていいな。
 こんなこともありました。とっても小さいサイズですが、サソリが家に入ってきました!
まあ、小さいサイズだから入れるのですが、驚きました。
そして今日は、まん丸に太ったヤモリが家の中をうろちょろしています。
寝ているときに隣に来ないことを祈ります。

オキナワでの生活も残すところ、10日くらい・・・。

次の投稿では、6ヶ月ほどお世話になったサンタクルスのスイムチームとの話。

2013年11月24日日曜日

1世の方からお話を伺うことができました

いつも三線の授業でお世話になっている、また金曜夜の三線サークルでもお世話になっている、
私にとっての先生のお話を聞きに行ってきました。植え付けの忙しい時期にありがとうございました。
この地域で1世の方から以前、沖縄戦のお話を聞いたことがあります。戦時中、いかに米軍の被弾から逃げるかということに必死だったかを詳しく説明していただいたことを覚えています。
7歳のころだから覚えてないとおっしゃっていたが、兄弟姉妹で米軍の攻撃から逃げたという話をしてくれた。防空壕に隠れることが多かったようだが、防空壕からでたときに、ある大人が被弾し、おなかの中身が出ていて立ち尽くしていた話を聞いたときには、さすがに想像できたな、その悲惨さが。防空壕で泣き始めた親子を出そうとして、その防空壕が逆に被弾したという話もあった。家に戻ったときに、焼夷弾の光がきらきらしていたという話。そして、直接的に戦争体験した方は、なかなか話したがらないということ。そのような戦争の話を伺った。
先生のお宅のお庭にあるマンゴーの実
あと1ヶ月もすると、黄色く、甘いマンゴーが食べられるのだろう
<移住してきたときのこと>
1950年代、ブラジルから車でサンタクルスまで来て、もう車で入れないところまで来てからは徒歩でボリビアにある、うるま移住地を目指したとのこと。1日中歩き、ようやくその夜たどり着いたその場所には、日本語で「うるま移住地へようこそ」と書かれた看板があったそうだ。日本を出てから2ヶ月、そのときに見た看板には驚いたというし、その夜にふるまってくれた鍋には感動したという話。戦前移民の方がいて、その方が戦後移民の人々に対し、先に来て準備をしていてくれたのだという。ジャングルを切り開いた話、実際に「ここで0から作り上げるのか…」と途方に暮れたというほどのジャングル。大きな木を少しずつ切って道を作り、大量の蚊から身を守るために煙だらけになり、何年もかかって、少しずつ村を築き上げ、いまのオキナワへとつながっている。
40年も前から使用している機械
<移住してから59年…>
今となっては、苦労話をこうしてしてくださるが、当時の話を聞きながら、1世のその先生の手を見て、その手の皺から感じられる人間の深み。今は息子さんもその土地を引き継ぎ、なんと1000町歩の広さへと。嘉手納基地の2倍だという。品川区の面積の2倍の土地をいま管理しているそうだ…。いやーでかい。
最新農薬散布機の前でこっそり撮らせていただきました
そして、今でも農場経営をしている75歳。
私がこちらに来た当初から「いやー、男の先生が来てくださるのはありがたい、本当にありがたい」とおっしゃっていただきました。偉大な方とお仕事を共にすることができて、私こそ感謝しております。

2013年11月23日土曜日

授業は残り5日

クラスとしては最後のまとめの授業です。
年度の途中でクラスが変わるという、なんだか落ち着かない環境の中、
ようやく、することができました。

自分より年下の子たちに読み聞かせ


使用している教材に、ペープサートで表現するというのがあったのですが、
少し変更して、紙芝居で昔話を読むということにしました。

意図としては、6~8年生になると、これくらい日本語がすらすらと読めるようになるよ、
というもので、下級生が少しでもそれを感じてくれたらいいなという思いもありました。
丁寧に絵が描けたり、難しい言葉を易しい言葉に言い換えたり、
内容が多いから途中をうまく省略したりしてできたところなんかは、
さすがだったと思います。

本当は、こういう異学年交流をたくさんして、
日本語学習への意欲を高めていきたかったのですが・・・。

明日土曜日は、サンタクルスで最後のスイム。
たくさんお世話になったチームのメンバーやコーチとお別れだなあ。

2013年11月22日金曜日

お世話になった方々にご挨拶に伺ってます

滞在日数が残り11日くらいになったので、お礼を兼ねて、
ご飯をいただきに、いろいろなご家庭にお邪魔しています。

1世の方々には、沖縄戦の話、移住した当時の話、畑の話を聞き、
2世の方々には、こちらでの生活の話、教育、政治の話を聞いています。

先日お邪魔したI家では、お金の話になったのですが、
なんと、この年末に!!! 大統領から
「今月の給料、2倍にしなさい!」という指令が出たそうな。
 経営者にとっては、「そんなの聞いてないよー」という話だろうし、
予定には全然ない予算だろうから、払えない経営者も出てくるだろうに・・・
と思っていたら、いついつまでにそれを支払わないと罰金が課されるという。(笑)

 ありえない、このぶっこみ具合・・・
なにせ、来年の10月か11月に3選を目指して選挙活動中。
そのことを考えると、票集めと思われる言動。

給料をもらう側はそりゃ嬉しいだろうけど、
後先熟慮した上での政治的判断なのかどうか本当に疑問。
めちゃくちゃなこの最近のニュースにびっくりしてます。

2013年11月21日木曜日

移民の経緯と歴史、そして日本その2

中南米の国々を旅して、日本人とそれらの国々の人たちとの価値観の違いというものをいろいろなところで感じさせてくれます。

たとえば、衛生に関して、愛情表現に関して、公共の概念に関して…。
その中で、愛情表現に関して、こんなお話を伺いました。
南米各国に移住した方の子どもが日本に再移住し、
日本で生活を始めた場合、愛情表現についての「価値観の違い」に直面する。
たとえば、二世の人(大人)が日本に移住して生活を始めたときに、きっと一世の親(おじいちゃん、おばあちゃん)から日本の生活や価値観については話を聞いていると思うんです。
でも、その子ども、三世(子や孫の世代)となると、生まれてからずっと自分の国(中南米)で生活をしているわけで、価値観などは、そういうことを教える学校や共同体がないとなかなか伝わらない。
そういう状態で日本に行くと、「あれっ?」と思うことがあり、さらに日本ではその違いがもとで「いじめ」にあう。
愛情表現ひとつ取っても、南米では、会ったときにはほっぺを重ねてあいさつする、親子ではぎゅーっと抱き合うのが当然。日本に行けばそれはなかなかしないことなので、その子どもはだんだんと親子での愛情表現を避けるようになる。
だんだんと親子の心の距離が離れていくという。
そのような親子関係の溝の深まりに苦労している家庭が日本でたくさん見られるという。
今、そういうことを研究していて、ブエノスアイレスで日系の人たちに向けて発表したある大学の機関があるという話を聞いた。
 
どういったふうに考えていけば、その家庭が幸せなのかを考えたとき、どうしても周りの理解がないとたどり着けないものがあるのかもしれない。
日本の子ども達には、そういった意味での寛容性を身に付けていくことが大切だと思いました。

2013年11月19日火曜日

移民の経緯と歴史、そして日本

先日、南米をペルー、ボリビア、ブラジルと演奏して周っている、
ぐしけんファミリーが学校を訪れてくれました。そして、土日に
地域の公民館で、地域の方々に演奏を披露していただいたようです。
私は、土日とも街で過ごす用事があったので、残念ながら聞きにいくことができませんでした。

そのぐしけんファミリーを招いている方とお話をさせていただく機会をいただきました。
アルゼンチンのブエノスアイレス(首都)で牧師さんをされている、与那嶺牧師です。
与那嶺牧師と奥さんと私


これからの旅の道程でブエノスアイレスを訪れるので少しお話をうかがいたいなあと思っていた
ところ、ご紹介いただけたので、幸運にもお時間を割いていただきました。

なぜこのようなコンサートツアーを企画し、南米を周っているのか、
という私の質問から、このようなお話をしてくださいました。

こうやって南米の各地を周っているのは、
「日本人って言ったら、南米ではすぐに信頼してくれる。」
これは、オキナワでもたくさん聞けた話です。
「そうした(南米での日系人の)歴史を作ってくれた一世の方々へのお礼」とし、
ぐしけんファミリーのツアーのお手伝いをしているのだという。
「一世の方々が、故郷の音楽を聞いて、笑顔になってくれればそれでいい」
その思いで動いているという。

また、少し深い話にもなり、戦後移民の話を聞かせてくれました。その話から私自身が感じたことを書きます。

話は少しそれますが、学校で教えていない歴史、教科書には詳しく載せていない史実、
そして、本土の人があまり知らないであろう史実というものがあります。
私は東京で生活をしていたときに、今いるボリビアへの戦後移民の話は全く耳に入ってきませんでした。

個人的な視点から、また、今までの経験をもとに書きますが、
戦後、敗戦国となった日本は、アメリカ軍に基地を提供しなければならなくなりました。
基地はそこの土地も含みます。
そうしたときに、焦土と化した沖縄県の土地に住む人々を、
「(戦後)移民」として、世界の国々に土地を求め、移住させたという歴史的経緯があります。
だから世界中にウチナーンチュ(沖縄人)が多いと言われるのですが、
特に、ボリビア、ペルー、アルゼンチンには、ウチナーンチュが多いです。
各国政府が受け入れを表明してくれたからです。

やはり、基地問題が話題に上がっている今日の日本ですが、
沖縄県の移住された方、特に一世の方々の立場からすると、「棄てられた」と思う方も多かったようです。
それはなぜか…、受け入れを表明した国から与えられた土地は、
荒地であったり、ジャングルであったり、一から開拓せねばならない土地だったからです。
ですから、本土の人たちと沖縄県から移住された一世の人たちとの間には、
心理的な距離をもつ人もいるという話を伺いました。
与那嶺牧師は、一世であるお父さんからはそのようなお話を聞いたというし、
「二世の私だから君にこう話せる」とも語ってくれました。

日本のニュースで基地問題が論じられても、本土と沖縄県はいまだに距離が遠い気がします。
それは、自分の中にある沖縄県への無関心から来ているのかもしれません。
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いやあ、一回じゃ書ききれないので、次の投稿で、また更にお聞きしたことから感じたことを書きます。
今日は久しぶりに長い文章になってしまいました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

2013年11月16日土曜日

学習発表会とゲスト

残すところあと10日・・・。
学習発表会がありました。「ありました」と書いたのは、私は何もしていないから。
スペイン語部の発表だったのです。LO MOJORといって、今までの発表の中で
一番良いものを発表するらしい。個人的には、1年間の中で、発表が多くて、
なんのこっちゃ?と思ったけど、見に来ている方にとっては、子どもの成長を
見られる良い機会になったのだと思います。
 こうやって、1年間学んだノートも展示する。

 この日は、午後の三線の授業に、ゲストの方が来てくれました。
土日にここオキナワでコンサートをされる、ぐしけんファミリーの方々です。
沖縄県から、この秋冬、南米を移動しながら各地の日系移住地等で演奏されているらしい。

生徒たちに、3曲、歌と踊りを披露してくれました。
特に印象的だったのが、童神(わらびがみ)の歌のゆったりした調子・・・。
これが本場の沖縄の歌かあと感心しました。

2013年11月15日金曜日

歯が欠けた!いや、取れた?

先日、奥歯が欠けました・・・、いや、詰め物が取れたのかもしれない。
いやー、どうしようかな・・・
治療しないでこのまま行ってしまおうか、痛んでないし。
それとも、いまここで治してから旅を再開するか・・・。
なんて、少し悩んで末に、やっぱりここで治療していくことにしました。

日系の方がいる病院もあるのですが、
今回はオキナワのミクロオスピタール、ボリビアの人たちが行く病院に行きました。
理由は・・・安く済むであろうから。

仕事後に、病院内にある歯医者さんに行きます。
歯医者がいる建物は平屋建ての一室なので、
日本の歯医者に慣れている私にとってなんだか不思議なかんじ。
ほら、ビルの中にあったり、奥に広く機械が広がっていたりするじゃないですか。

欠けたか、取れたかわからないけど、と言うと、
よし詰めよう!ってことにすぐなった。
少し歯を削りつつ、詰め物を挿入!
なんと治療は30分。そこで完了した。

帰り際、お金払う場所を聞いたところ、
「ははは、心配すんな、君の友人の紹介だからね、お代はいらないよ。それにしても緊張したでしょ?」と、背中をポンと押してくれた。

・・・いや、お金払わないと、あなたの給料上がらないでしょ?と思いつつ、
お言葉に甘えることにしました。

「また何かあったら来て!」と気さくに行ってくれたドクトール。

正直なところ、(今は完璧に大丈夫だけど)完成度については、心配がある。
でも、ボリビア人の温かさに触れたなあ、いい日になったなあと感じた。

2013年11月14日木曜日

卒業生を送る会

いよいよ残すところ、今年度の授業は11日となりました。
今日は、卒業生を送る会でした。8年生はそろそろ卒業です。
各学年が出し物を準備し、8年生への感謝を表しました。



下級生は、8年生がいなくなることをやはり寂しく思っているようです。
会の途中では、校長先生の話により、卒業生の多くは涙を流していました。
私は1年しか見ていないので、今までのがんばりや苦労はほんの少ししかわかりませんが、
今まで成長をずっと見守ってこられた校長先生からすると、
万感の思いがあるのでしょう。

2013年11月11日月曜日

最後のサマイパータ

今年3度目の訪問になるサマイパータ。
いつも大変お世話になっている上間さんのお宅へ、土曜日1時頃着。
サマイパータは、サンタクルスから車で2時間半くらいのところで、標高1600m、
ですから、サンタクルスは30度を越えていても、サマイパータでは20度というかんじで
冷涼さを感じることができるので、気候的に大好きな場所です。

上間さんは、1960年代に神戸からアルゼンチンに移住し、1980年代前半にボリビアのサマイパータに移住を決め、そこから30年以上をここサマイパータで過ごしています。
お家に伺うたびに、昔の写真とともにお話を聞かせていただいています。

今回は、オキナワで活動しているJICA(ジャイカ)の友人と一緒に。
この方たちを通して、JICAがしていることがわかるので、話を聞くといつも勉強になります。
 いろいろな国でジャイカの活躍ぶりが見られます。こういった、一歩一歩近づいていくことが
日本の大きな外交の力になっていくのではないかなと考えます。
さるのしっぽ、サマイパータに来ると必ず見るな

隣人のパブロさんの誕生日であったので
一緒にお祝いの席につきました。
お会いしたのも2度目だったので、いろいろなお話ができてよかった。
上間さんのお宅にある五右衛門風呂。
神戸からご家族の方が持ってきたという。
ゆっくり浸かれるお風呂があるってうれしい。
(ふだん、いつもシャワーだから)
ボリビアのJICA隊員はほとんど必ず訪れるという上間さん。
温かいお人柄で、私も10ヶ月の滞在中、何度もその笑顔に救われました。
自分の親父とも年齢が近いので、勝手に親父にアドバイスをもらっているような感じを受けました。

2013年11月9日土曜日

週末はサマイパータ

今までお世話になった方々に挨拶をしにいくべく、
今週末はサマイパータに。
少しゆっくりしてきます。

2013年11月7日木曜日

皆様本当にありがとうございます

 本日(あっ、日本時間じゃ昨日か)、無事33歳になりました。
フェイスで皆様より、或いはメールで皆様より、
温かいお言葉をいただけたことに、感謝しております。

昨年の今頃、エクアドルのオタバロという町で旅友の森井夫妻と過ごしたことを思い出しました。
そのときも「温かい心をもつ友が共にいてくれて幸せだ」と思いましたが、
今年は、同じ南米のボリビア、オキナワで、温かい方々にお祝いしていただけたことに
感動しています。こんな自分に、声をかけてくださる方々に感謝しています。
 ここでは、「ケラムエルダ」といいながら、祝われる、洗礼のようなものを浴びました。
 この集合写真の後、力強い後押しとともに、ダイブです。
 プールの飛び込みに似た、柔らかい、心地よい入水・・・違った、入ケーキ。
 ダイブです。(笑)これ、恒例なんです。今まで職員の皆さんに私「も」やってきたことなので、
今回、少しワクワクしていました「どんなかんじなんだろう」って(笑)
さて、昨年のそのエクアドル、赤道直下で立てた目標を最近思い出しました。
「あるきつづける」32歳でしたし。
というものでした。
しかし、残念ながら、その自分で立てた目標を達成することなく、1年を過ごしました。
字面にも反し、そしてまたその自分の真意にも反してしまっています。
私は、止まっていたときがありました。
気持ちも表情も止まっていました。ブログからも読み取れたのでは(笑)?
私自身の課題であります。

自分のことは自分がわかっているつもりです。
私は、目標を立てたほうが、生きやすい性格をもっています。小さい頃からそうでした。
ですから、今年こそは、目標を達成するように生きていきたい、そう強く決めました。
今年はこれです。
「やろう、やってやろう」です。33歳ですし。(笑)
「おれは、いいよ」という断りのニュアンスを込めて、
そのセリフをいうことがこの一年実に多かった。
そして、その言葉が、周りの人を傷つけていたことに最近気づきました。
これは二度とやってはいけないことだと考え、この言葉を考えました。
つまり、イエスマンになろうと思ったのです。

「大輔、これおいでよ」「はい、喜んで!」
「これやろうぜ!」「よっしゃー、やるよ!」etc...

旅自体も、そうなっていく、というかそうしていくつもりです。まあ、元のスタイルに戻るというか(笑)

今後とも、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

2013年11月6日水曜日

旅先での出会いから

昨年の6月頃は、グアテマラのケツァルテナンゴで1ヶ月ほど暮らしていました。
そこでは、ホームステイをして、グアテマラの家庭でグアテマラの話を聞いたり、
スペインから来ていたもう1人のホームステイ者であるアルベルトと
スペインやヨーロッパの話をしたりして楽しんでいました。
アルベルトは、植物を研究していて、グアテマラのシェラ(ケツァルテナンゴの愛称)の
大学で、植物について教鞭をとっていました。
後ろの列の右端がアルベルト
あとの皆はグアテマラの学生
いまもこうして学生に教えているのですが、
彼は以前スペインのバレンシア地方に住んでいました。
生まれも育ちもバレンシアです。
おれはカタラン(バレンシア人のこと)だ!」と話してくれたことを思い出します。
スペイン語を学び始めた初期の頃の出会いですから、
私の本当に拙いスペイン語を理解してくれようと耳を傾けてくれていました。
悩みがあるときは今でもメールで相談できる相手です。

その彼に「来年、夏ごろになるけどバレンシア地方(スペイン)に行くよ!」と連絡したところ、
誕生日プレゼントになんと、お手製スペインガイドブックPDF版を送ってくれました。
おすすめの行事、都市、食べ物・・・などをちゃんとスペイン語の勉強を兼ねてくれて
うまく解説してくれました。
これをもとにスペインは周っていこう。

旅先で出会いは、お世話になることのほうが多いですが、本当に素晴らしい機会です。
こうした「縁」を大切にして生きていきたい。

2013年11月4日月曜日

ソフトボール大会

日曜日は、オキナワ移住地とサンタクルスの人々で、ソフトボールの大会が行われました。
朝8時から夜7時まで、熱戦が繰り広げられ、たいへんありがたいことに、
オキナワ第一OBのBチームとして、メンバーに入れていただきました。
練習にはあまり出なかった私ですが、
こうやってやさしさをもって受け入れてくれる大人の皆様に感謝です。

第一試合は、なんと、自分達が教えている子ども達が相手。
子ども達には普段「やるからには何事も全力で」と伝えているので、
もちろん私は全力を出します。1番打者レフト、3打数3安打、3打点。
「ごめん、子ども達、でもがんばれ」と思いながら打ちました。

勝ち進み、2回戦目は、同じ第一OBのAチームと対戦。
ここでも、気持ちよく打たせていただきました。(笑)
しかし、守備のショートは、難しかったあ。
同じ第一OB同士の試合は、白熱。しかし、みんな楽しめていたと感じました。
いたるところで笑いが出る試合、いい掛け声が響くグラウンド。

その後勝ち進み、3回戦で第2のOBに負けてしまいました。

今日の総合優勝は、第一青年チーム。17歳くらいから26,7歳までのチームで、
体力も技術も、気迫も圧倒的でした。
充実した1日にしてもらいました。

2013年11月3日日曜日

大好きな食べ物 クーニャペ

 この丸い、愛おしい食べ物が食べられるのも、あとわずか・・・かなし。
これ、作り方を教えてもらおう、ボリビア出る前に。
 外はサクッと、中はお餅みたいにもちっとしているクーニャペという食べ物。
中は、チーズが少し入っていると思うな。
 知人に作ってもらったものだけど、お店で売ってるクーニャペは3ボリ、50円くらいで買えます。
今日土曜日、9年生の卒業写真を撮りに行きました。
私も一応担任ということで、写真を撮ってもらいました。

2013年11月1日金曜日

個人的に嬉しいサイトを見つけた

8月の上旬に参戦してきたアメリカマスターズ水泳大会。
出場した種目の動画が、無料で見られるという。
早速、サイトを訪れ、動画をダウンロード。

なんという素敵なサイトだ・・・。
http://youtu.be/KpxecJQFvMs
(クリックすると、Youtube大輔のページ「たびビデオ」に移動します。)
200のフリーの動画です。

最初は勢いよく飛び出す手前から3つ目のおれ。
100を過ぎた頃には、だんだんと腕の回転が遅くなり、
150から200にかけて、スピードを取り戻せないままゴール。
でも、一応マスターズベストなので、自分ではいいレースだったと思ってるのです。