2014年6月30日月曜日

イタリカのローマ遺跡

 イタリアではなく、イタリカという町です。
ちなみに、いまはすでにモロッコに入ってますが、スペインのセビージャの近くにあるこの遺跡のことを書きます。
ローマ帝国の話になると、血が騒ぎます、興奮を隠しきれません(笑)
 大学生の頃に、塩野七生さんの作品にはまり、以後10年間ほぼ全著作を読んできました。
今こう旅をしていて、手元に塩野さんの作品がなく、読めないという状況に不安になるくらい(笑)、
それくらい好きです。

というわけで、ローマ帝国の遺跡となるとわくわくしちゃうのですが、
スペインのローマ遺跡の中でもたぶん一番大きく遺っているものであろうし、
ハドリアヌス帝が生まれた場所であるということも、ローマ帝国通にとっては大きい。

ローマ帝国の本州ではなくて、属州で生まれた初の皇帝としてトライアヌス帝が挙げられるが、
当時のローマ帝国は、それほど広範囲にわたって国を広げていたことを表してるのかなと思う。
2世紀の前半の話です。

ここイタリカは、だだっ広い野原に位置し、近くに川が流れ、ちょこっと高い丘に遺跡がある。
基地の形成にはもってこいの場所だったってのがひと目で分かる。
前に模型があるけれど、柱廊と中庭を見て、想像に酔ってしまう

ローマ帝国の特長の一つに、インフラの充実が挙げられる。
道の整備が本当に充実していたことはいたるところで感じられる

もともと、この町イタリカは、紀元前206年にプブリウス・コルネリウス・スキピオという執政官が
カルタゴとのポエニ戦役での補給基地として作ったのが最初。
しかし、上に挙げたトライアヌス帝以後、町は徐々に衰退していき、さびれていったという歴史をもつ。

ここを歩いてみて、まあよくモザイク画が残ってるなあというのが感想。
ネプトゥヌスのモザイク画


ギリシャ神話の神々のモザイク画

修復チームもあるようで、地道に修復作業をしている模様。
しかし、ローマ帝国大好き人間としては、入場料1.5ユーロは安すぎでは?と思ってしまう。
セビージャの大聖堂の入場料が8ユーロで、イタリカがこの値段かあと、思ってしまった。

保存館と称した建物もあり、そこで当時の再現ビデオが流れていてとても興味深かった。
そのビデオを見たあとにもう一度、それぞれの場所に行って回想してみる・・・(笑)
味わい深い…。

個人的な独り言だけど、
ローマ帝国の遺跡を巡りたいと思ってるんだけど、
・イギリスにあるハドリアヌスの壁
・チュニジアにあるカルタゴ遺跡、モロッコにある遺跡
・クロアチアにあるローマ帝国旧植民地
・ローマにある諸遺跡
ここらへんが今回外せないところだなあ。

2014年6月29日日曜日

セビージャの近くのコリア・デル・リオ

セビージャのバスターミナルから地元のバスに揺られて30分。(142番、帰りは140番)
 バスを降りてから、町を下るようにして歩く。これ夜8時くらいなんだけど、
まだこんなにも明るくて、住民は飲んだり食べたりしに出て歩く。
 ようやく街全体の標識が出てきたけど、そのころにはもう像に近づきつつあった。
それにしても思ったより多くの人が住んでるな、この街。
 標識もある!
 この街、Japonハポン姓を1600年代から代々受け継いでいる家があるということで有名。
1610年代に、伊達政宗が支倉常長を、スペイン人牧師とともに、ヨーロッパへ行かせました。
これ、たぶん中学校の教科書にも出てることで有名なこと。
メキシコを経て、スペインのここ、コリアデルリオに到着、その後セビリアを経て、ローマまで向かって、ローマ教皇に謁見したという史実。
ちゃんと日本語の説明まであった!


小さいですが、鳥居とともに。後ろでバスケをしてる子が、本当に自然なかんじでうつっていた。
つまり、この像が本当に自然に公園に位置しているということだと思う。
この像をなんだかじっくり見ていたくて、ちょっとここでも一杯。
今年、1614年から400年!宮城県からも祝福に何人か来られたそうで、木がたくさん植えられていました。
そして、何人かのセビージャとコリアデルリオの住人に、400年前のこと知ってる?って聞いたけど、
もちろんだよ!ということで、たくさんおれの知らない情報を教えてくれました。
こんなにも密な関係があったなんて、おれ知らなんだ。
今年ですよね、安倍総理がスペインを訪問して、サンティアゴデコンポステラを訪れたのは。
そのときに、あの像の前で握手をして記念撮影をしたと思うんです。
そのことを考えても、スペインと日本は今なかなかいい関係にあるのではと思います。
コリアデルリオの川(リオ)

街中にこの垂れ幕みたいなのが垂れてました
こういう、歴史を尊重して、その上で生きているって、いいな。
最後に、帰りに撮ったセビージャの街の一風景を。これで11時過ぎですからね(笑)
ちなみに、スペインの夜は夜中の1,2時くらいまでで、朝のスタートは超遅いです(笑)
特にセビージャでは、朝9時になっても、ぜんぜんエンジンがかかりません。

2014年6月27日金曜日

スペイン再入国、セビリアに滞在

大きな街、セビリア。ここはすごいですね、観光客が。自分もそうですが。
バスでこの街に来る途中、ものすごい数のひまわりを見ながら移動していました。
ああ、アンダルシア地方に来たなあと実感する場面だった。
 観光の街だからかなあと、それとも大都市だからかなあと思った出来事は、
プールの場所を知りたくてインフォメーションセンターに行ったわけだけど、
街のインフォと観光のインフォに別れてて、街のインフォに行ったら、別の地区のインフォに訪ねてくれと言われたんだ。インターネットか電話でちゃちゃっと調べてくれればいいものを、
結局自分で調べたんだけどさ、ちょっと縦割り的な雰囲気を感じちゃったんだな。
 海軍博物館にまず行ってみました。
ワンピースの影響を大に受けているもんだから、こういったところはすかさず入ってしまう。

こんなのも見つけました。
ああ、通ったなあと思いながら見てました。
アルゼンチンのフエゴ島を探検したときに描いたのであろう。
左が北で、右が南極方向

こちらはブエノスアイレスの原風景
そうだ、スペインが南米を征服していったんだ。

こちらはもっとひどい
チリの首都サンティアゴあたりの原風景

昔の船の旗があったんだけど、日本ってこんなデザインを使ってたんだ?
 その後、セビリアの大聖堂に行きました。
 この大聖堂は、ゴシック様式の大聖堂で世界一の大きさを誇るものらしく、なんでも、当時の人たちが後世の人たちを圧倒するような大きなものを作ろうとしたとか。1200年代から作り始めて、最終的に完成したのが1800年代だというから、相当な年月を要したんだなあ。
 コロンブスの墓がある。
 コロンブスの墓らしく、船がデザインされている。


そうとう金使ってるなあというのがわかる祭壇
 大聖堂の塔の上から眺めたセビリアの街並み

スペインは、何度も言うけど、水泳環境が整っていて、一般市民でなくても泳げるという意味でなんだけど、
どこの大きな街に行っても、大抵室内プールがある。しかし値段はピンキリ。
3ユーロ~6ユーロくらい(約420円~840円)。
なかなか写真は撮れないけど、この街にも郊外にたくさんの室内プールがあって、
子どものレッスンをしてたり、年配の方々がゆっくり泳いでいたり、青年たちががっつり泳いでいたり、様々。

2014年6月26日木曜日

エボラという町にて

ポルトガル中部の町エボラ。
ここにある納骨堂を見てみたくて来たのだが、不覚にも、
別の教会に足を運んでしまっていた・・・。まっ、こんなこともあるか。


というわけで、町を散策。この町にもローマ帝国の名残が。
水道橋です。
 2000年前のものが残っているという事実に、感嘆せざるをえない。

 町の風景に溶け込んでいて、水道橋の下が家や商店になっているのもおもしろい。


 町の美術館にも足を伸ばしてみたが、
おもしろかったのは、誰の作品だか忘れたが、最後の晩餐の絵。
キリストが「私を裏切るものがいる」と言った瞬間の弟子のそれぞれの顔が絶妙。
「おれじゃないよ」と言っていそうなものがいれば、
「お前じゃないのか?」と疑っていそうなものもいる。
ローマ時代のモザイクも残されていた。


町の中心には、ディアナ神殿が残されていて、かなり状態も良いほうだという。
これも、ローマ時代の遺構。




 最後に、なんだかイメージだけど、ポルトガルっぽい写真を載せて今日は終了。
夜はBarに行って日本代表を応援してましたが、善戦及ばず、残念。

2014年6月25日水曜日

32カ国目ポルトガルに入国!

コンポステラからバスで6時間くらい、ポルトガルのファティマという街に到着。
シェンゲン協定のため、パスポートコントロールがないので、国が変わったとは全く思えない。
せめて変わったという思いにさせてくれるのは、「言葉」。
スペイン語からポルトガル語に変わりました。
 チョリソが、チョウリサオウンになりました(笑)
 ブラジルにいた時にやってたポルトガル語がモザンビークに続き再びポルトガルで使えます。

ここ、ファティマは、キリスト教の聖地とされていて、コンポステラ同様、いろいろな国の信者が訪れていました。
 毎日ミサをしていて、かつ、3時間おきくらいに行われている、さらに、これほど大きな礼拝堂を見たことないくらい大きいものでした。
テレビ放送用のカメラが3台。きっと、独自に局を持っていて、各地に発信しているのだろう。
ミサには、宿で同室になったドイツ人のおじさんと一緒に参加。
彼は自転車でポルトガルの巡礼路をがんばっている最中。名前を忘れてしまった・・・失念。
 教会自体も大きいし、教会前広場がバチカンのサンピエトロ広場にそっくり。
 広場の手前方向に、大きな十字架も見える。
二人の、ある兄と妹の墓が教会内にある・・・
その理由は・・・。
 ここが聖地とされているのにはわけがあって、
「ファティマの奇跡」という出来事が1910年代に起きたからだそうだ。以下、『地球の歩き方ポルトガル』より引用。

第一次世界大戦中の1917年5月13日、二人の兄妹とそのいとこの上に突然光が降り注ぎ、
聖母マリアが現れた。
「今後5ヶ月間、毎月13日の同じ時刻にこの場所に来なさい」ということを告げ、去っていった。
三人は翌月、村人と一緒にその場所に来るが、村人たちには何も聞こえず、三人にだけは聖母が見えたという。
この話は次第に近隣に伝わり、最後の出現の日である10月13日には、奇跡をひと目見ようと
7万もの人が集まったという。
3人がそこで祈ると、それまで降っていた雨は止み、太陽が火の玉のように回り始めた。
そして聖母はやはり三人にのみ聞こえる声で、この地に礼拝堂を建てるようにいい、
さらに3つの予言をいったという。
1つ目は、第一次世界大戦の終結。
2つ目は、死者の国への訪問。
やがて、その予言通り、大戦は終わり、なんと、二人の兄妹が天に召された。

その後、1930年代頃から、ここが聖地として認められるようになってきたという。

大きな壁画も教会を囲むようにして建てられている
ポルトガルでは、よく親切な人に出会います。
ありきたりだけど、道を教えてくれたり、宿では次の街の宿の予約を手伝ってくれたり。

次の街は、ポルトガル中部のエボラ。
リスボンはこの時期とばします。7月下旬に訪問予定。