2014年8月31日日曜日

マン島観光 その2

その前に・・・
日本のサッカーの試合で、某チームのサポーターの差別行為があったらしいじゃん?
ネットの情報だけで、映像も見てないし、その場にいないから詳しくはわからないけど、
その行為は、今年スペインのリーグかなんかで起きたことだよね?
今度は、日本で・・・
「・・・ふざけないでください。
しかも、国際都市YOKO浜でしょ?結構南米の人たちも住んでいる横浜だよ?!
たぶん、その侮辱行為をした人は、自分が差別された経験がないんだろうな。
そういう人は一度、
自分のそのツラ下げて、
中米とアフリカに行ってみてください。
二度と差別したくなくなりますから。
正直その情報を見たときに「あ~、日本だな~・・・」って思ったよ。

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話は変わって、マン島観光の話。

小さな島なので、バスで1時間もかければ、島を縦断できてしまう。
いくつかの町に行ったので、写真を載せます。

ここは、ピール(Peel)という町。

レトロショットで撮ってみました。なんかそうしたほうがこの町はきれいに撮れるかなと思って。
 城塞がありました。
 周りは海なので、風が強く、雨も非常に多く降るため、そういった意味では厳しい環境だな。

ピールからダグラスへ戻る途中に、小さな広場があって、歴史上初めて議会が開かれた場所だという。
私は議会の定義がなんなのかわからないため、ローマの元老院はどうなんだ?とか、
1400年代ってそりゃいくらなんでも遅くないかい?とか、いろいろ疑問をもってしまいました。
 次は、ダグラス。ここがマン島の首都。
銀行が非常に多く(これについては前回述べたとおり)、人口も多くないため、なんか、
ダグラス全体がすっきりしてみえました。
 次に、島の南にある、ポートエリン。

 おっ、なんだか下にも上にも建築物が見えるぞ・・・
 なんだかわからないし、どうやって作りにいったのかもわからない・・・(笑)
しかし、このポートエリンの町の先に、崖に沿って丘があるのですが、
先史時代、つまり紀元前の時代からあるらしい、石の建築物があるというので来たわけなのです。
 なにか宗教的な意味があってのものだそうです。

羊が多く、のんびりとした雰囲気を醸し出してくれる。

そうして、マン島観光を終えました。
バイク好きなら、1週間居ても足りないであろう島でした。
ぐるぐる島中をまわっているバイク野郎を見ていて、とても気持ちよさそうだったので、
自分もチャリを借りて・・・と思ったのですが、1日40ポンド(約6000円)するし、
自転車道がないので、歩道がないところだと車道を走ることになるので、遠慮しておいた。

ここから更に北上。
イングランド本島に上陸後、鉄道に乗ったのですが、その料金にぶったまげました。
1時間の乗車のところ、29ポンドを支払いました。日本円になおすと、約5000円。
1時間の乗車ですよ!!!
・・・それ以降バスでの移動に決めました。

次の目的地は、カーライル。


2014年8月30日土曜日

マン島観光 その1

なんとか繋げられたぞ・・・でもなんで回復したのかは不明。
したことと言えば、
・ウイルスチェック→しかし何も出てこず。
・何度かネットワークアダプタのローカルネットワークを無効にしたり有効にしたり。
・ケーブル繋ぐ箇所の掃除
たぶん二つ目のやつが自動的にONになってたのかな。
有線関係をいじってないのに自動的にONにされるように、以前つないだところでなっていたとか・・・
よくわからんが復活。

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ポルトガルのリスボンからライアンエアーを使ってダブリンまで。
今月なんと9回目のフライト。
ライアンエアーを初めて使ったけど、機内販売が盛んで、機内が賑やか。
そして、リスボンの空港も、ダブリンの空港も、本来のターミナルから離れたターミナルからの発着だったので、
きっとLCC路線ができてから建て増ししたのだろう。

ダブリンは、1日もいなかったが、泊まったところがそうだったからか、
ずいぶん若い人向けの街だなあという印象。
撮った写真はなんとこれ1枚だけ(笑)

泊まったホステルのバイト兄ちゃんは、なんでも彼の兄貴が日本人と結婚して
そのときに訪れたのが山梨で、それ以来山梨の景色が好きになったようだ。
もう一度行きたいと言っていた。


さて、ダブリンの港から63ユーロ(1か月前にWeb予約で33ユーロで行けた…)、
自治領であるマン島にフェリーで行きました。
なかなか大型のフェリーでした
入国審査は、共通域なんとかっていう特別措置で、
アイルランドとイングランドは簡易的な手続き
パスポートにハンコを押されなかったけど、いいのかな?
急いで帰りのフェリー(帰りは、イングランド本島に向かう)を予約したんだけど、
しっかりと確認したはずなのに、日にちを間違えペナルティーを払わにゃならんことが判明。
最近、このケースの間違いが多い。乗り物のWeb予約の際の間違いである。
・今回のフェリーの日にち
・10月のチュニジアからのフライトの日にちミス
・アメリカポルトガル往復の荷物預けのミス
と、3件続いている。合計で5万円以上もミスに費やしてしまっている…。
単純な確認ミスなんだけど、頭が退化していっているような気もする。

多少の揺れがあり、後ろの座席の5歳くらいの子どもがいきなりリバースをし、
その親を慌てさせたという、想定内の光景も見られたが、無事マン島に到着。

島です。
マン島の印は、太ももからの足3本
馬車列車というのもあり、それ用の線路がちゃんと敷いてある

でも、ここ特別な島で、バイク好きにはたまらない島。
私はバイクに全く興味がないので、本来ならば寄らなかった場所ですが、
「旅のリクエスト」の中に、「マン島を自転車で一周」というリクエストがあり、
これは友人からのリクエストでもあるので、外せませんでした(笑)

というわけで、世界中のバイク野郎が集まってます。男女、老若問わず。
喫茶店やレストランがあると、こんなかんじ
丘からの写真
全部バイク乗り・・・
島自体がレース会場になってて、いま歩いている道が、
あっこの道路をレースで使ってるのね!というなんだか不思議な感覚に陥る。

そして、余談だけど、第二次世界大戦時に、ナチスから逃れてきたユダヤ人を保護したのもこの島。
それ以前からの話だけど、輸送産業や中継貿易等を積極的に行ってきた歴史もあるようで、銀行業が盛ん。
そして、曖昧な訳だから違うかも知れないけど、たぶんタックスヘイブンです。
この島だけで、50近くの銀行があるそうです。
というのを、マン島博物館で見てきました。
第一次世界大戦でマン島から戦場へ青年を送り出したよ
というのを展示していた


こういうバイクも展示してある

第2次大戦のときにユダヤ人を保護したよ
っていう展示

世界で最初の議会が開かれたというアピールをしている自治体なのですが、
私にはそもそも議会の一般的な定義がわからないので、さっぱり興味もなく。
毎年11月5日になると、古い議会を模してイベントを行うそうな

次回は、マン島の街や自然の写真を載せます。

2014年8月29日金曜日

インターネットに繋げられなくなりました

原因不明。
突如、「使用可能な接続はありません」の文字が。
直るまで更新できなそう…。

2014年8月27日水曜日

2014年3つの水泳の大会を終えて

いま、ものすごい脱力感に襲われてます(笑)
アイルランドのダブリンにいるのですが、観光する気が全く湧いてきません・・・(泣)。
旅の段取りもほとんどしてない状態で来たので、とりあえず明日フェリーで、イギリスのマン島というところに行き、2日間のんびりする予定でいます。山くらいは登るかもしれません。

旅じゃなくて、水泳祭りの1ヶ月になっていた今回の大会期間。
3つの大会をちょっと振り返ってみます。


<世界マスターズモントリオール>

私はアメリカのチームの一人として出たわけだけど、以前書いたが、やっぱこの大会は日本のチームで出たかった。JPNとなっているかUSAとなっているかの違いだけど、首から下げているプレートにアメリカの国旗がついているのは、なんか不思議で仕方なかった。

でも、2年前から変わらないメンバーで出場でき、個人種目も含めて楽しめた。

ここで、所感なんだけど、
ブラジル、フランス、ロシアのスイマーが多く、どの年代にもエントリーしていたのが印象的。
日本は、年配の方々(60代後半くらいから)の参加が多かったのが印象的。
メキシコの友人からは「なんで日本の若い人はあまり出てこないの?」と言われてうまく答えられなかった。
「仕事なのかな・・・」って答えたけど、それで答えは合っているだろうか。
他の国の参加者には、家族連れもいたし、奥さん旦那さん子どもっているけど、単独で参加したという人もいた。いろいろな参加の形がある。
2年に1度と、頻繁には行われる大会だけど、「今しかない!」って思い切らないと、なかなか一歩を踏み込めない人が、日本人に限らず、多いと思う。

この大会、速さじゃないです。みんな、水泳好きが集まってます。
みんな、趣味でやってきています。

日本のマスターズスイマーのみなさん、1歩踏み込んでみましょう!

あああ、わがまま言って、好きなことに休みを思う存分費やせる社会にならないかなあ・・・


<サマーナショナルズ inメリーランド大学>

今回はモントリオールの直後に行われただけあって、参加者がここ数年と比べると少なかった印象。
しかし、アメリカ国内大会であるが、プールサイドで応援できるってのが何より、嬉しい。

<リージョナルズ inミッションビエホ>

毎年行われている地域大会、私は2年ぶりの参加。次回の参加はいつになるのか・・・
今年からチームを変えての参加だったが、今回のチームの印象は、「たくさんエントリーする人が多いなあ」というもの。
チームのコーチであるナンシーは、以前アメリカ代表になって、日本に遠征に来たこともあるスイマー。
そのナンシーは、とってもこのチームに力を入れている印象で、
50mごとのタイムも計測してくれているし、泳ぎのアドバイスをくれるし、
エントリーの管理もしてくれているし、かけ声も応援ももちろん・・・
アメリカ代表のときの日本滞在話をぜひ聞きたかったので、いつか練習を受けに行こうと思う。

そして、印象的なのが、シングルや子どもがいないカップルが多いということ。
独身だから、比較的自由に大会参加や水泳に熱を入れられるのかもしれない。
ミッションビエホに近いマリーナ

ずっとお世話になりっぱなしの夫婦

世界マスターズで3位をとったリレーメンバー




2014年8月25日月曜日

Regionals2014 200フリー、50フリー、リレー3発・・・

2日目のリージョナルスが、おれにとってのリージョナルス最終日。
(今日は写真なしだ!)

リレーが、4×200m男女混合リレー、4×50男女混合リレー、4×50男女混合メドレーリレー、
個人が、50フリーと200フリー。これを4時間で泳いだもので、くったくた。
でも不思議と、疲れてくればくるほど、タイムは良くなってくる(笑)

1発目のリレーでは、200フリーを90%くらいの力で2分13秒5、しかしやっぱり後半疲れる。
2発目のリレーでは、50フリーを95%くらいの力で26秒4(引き継ぎあり)、この50が一番体にこたえていた。
3発目のリレーでは、50バックを100%の力で30秒0、気持ちよく泳げたけど、隣のコースが27秒前半を出していたので、ぶっぱなされました。
個人種目の50フリー(26秒64)はリレーの20分後くらいに泳いだので、スタート台にたった時にはフラフラ、
でも、みんな多種目に出ていて、これくらい全然当たり前なのが、アメリカのマスターズ。

話はそれるけど、この人すげーなと思ったのが、チームのメンバーだけど、
40代の女性で、1日で1500フリー、400個人メドレー、4×100mリレーに出てた・・・
なんか、今まで自分が楽しんでいた水泳の楽しみ方とは、別の楽しみ方があって、これに目覚めそうだ。

さて、一番自分が好きな種目200フリー。
今年4発目です(笑)。

泳ぐたびにタイムが上がっているのでワクワクしていたが、
なにせ、昨日は1500を泳いでいて、もうフラフラの状態、しかし、ここで目標を下げたらあかん!
チームのメンバーには、「2分12秒を切りたい」と言っておいた。(ベストが先日出した2分12秒14)

スタート、
今回は、リラックスして前半を入り、後半に力が残っていることを信じて泳ぐ。
不思議と体が軽くて、ぐんぐん進む。
感覚では1分3秒後半で折り返したかな(実際は、1分4秒5)、
ここから。

次の100を下げないでいくことが今までずっと課題だった。
なんと不思議なことに、150ターンしてからも、力が余っている。
キックも打ち込めるし、呼吸も乱れていない。
タッチ。

2分11秒91(30.54  34.00  34.12  33.25)ベスト-0.25

ビデオを載せられました。奥から3番目の白いキャップがわたし。
こう見ても、手前の二人なんかは、前後半同じくらいのタイムで泳いでるんだな。
そしてビデオの最後に友人のクリスが「よし、これで昼飯を食べてよし!」と一言
12秒切れなかったら昼飯抜きねとレース前に言われていた(笑)

チームのメンバーがめっちゃ喜んでくれてる。順位は、全体では4位(しかも、50代と40代の人に負けている)。
こんなバテている状態でこのタイムが出るんだって驚き。
2週間前のタイムが、
2分12秒16(29.62  33.36  33.56  35.62)
2年前のタイムが
2分14秒25(30.34  33.91  34.91  34.99)
なので、
ラスト50がかなり上がったのがタイムからもわかった。
200の泳ぎ方ってこうなのか?と新たな発見もうれしかった。

この日は、最後にチームのメンバーで食事して、
おれは、飛行場に向かった。

そうだ!
チームのメンバー(創設者?)に、マットビオンディという人がいる。
私より年配の方は聞いたことがある名前かも知れない。
私が小さい時に憧れていたアメリカの選手で、今でいうマイケルフェルプス選手のような存在。
その方と一緒にリレーが組めるかなと思ったけど、
残念!1日違いで会えず・・・次回に会う約束をしました。

2014年8月24日日曜日

Regionals2014 1500mフリー

400m個人メドレーでは、乳がんを克服し、マスターズを再開し、
レースに復帰した方が泳いでいて、放送担当の人が気を効かせてみんなの応援を集めていました。
そして感動することに、その組全員が、ピンク色のスイミングキャップをつけてレースしてたこと。
たとえ、違うチームの人であっても。
こういうところ、大好きです。
いよいよ今年、おれにとって最後の大会が始まりました。

といっても、実はもう大会を終え、一人ロングビーチの空港でこれを書いてるのですが、
アメリカにいるあいだは全て、文字通り「全て」マイクにいろいろしてもらっていたので、
寂しくて仕方ありません。これからボストンに向かいます。

さて、話を元に戻して、大会初日。
1500mに挑戦しました。昨年も同じ種目を同じ場所で泳いでいます。
そのときは目標を20分切りにし、結果は20分45秒だったので、今年はなんとか20分を切ってみたいと思い、エントリー。
今年も目標は「20分を切ること=100mを1分20秒ペース」です。

今回も、マイクがボードを用意し、ターンごとに回数を数えてくれました。
「いいか大輔、ペースが速すぎたらボードをプールの底に沈めておく。ペースが1分20秒だったら真ん中らへんにし、ペースが遅すぎたらこのボードを揺するからな!」という、昨年と似たような作戦を立てた。

昨年の反省は最初の200までを力入れてしまったので、今回は終始力を抜いて泳ぐことにした。

スタート。

これでもかってくらいゆっくり泳ぐ。
終始リラックスして泳げたものの、1100mくらいから1400mくらいまでが正念場だった。
その距離の時には「止まってしまおうか・・・」とか「バックに切り替えたいなあ・・・」などを思いながら泳いでいた。ちょうどそのときに、左側の呼吸しかしてないものだから、左腰が痛み出していた。
しかし、今年の大収穫は、マイクが出すボードの数字を5,7,9・・・27までしっかりと記憶に残しながら泳げた!脳もしっかりと働いていてということでしょうか。

最後の100もきつく、こりゃ200フリーよりもきついわと思いながらタッチ。
タイムは、

19分54秒92(ベスト-54秒!)

やりました、目標の20分を越えられました。
スペインでの練習2週間と、結構きつきつな日程の大会を2発こなしたからでしょうか、
昨年よりも体力がついてます、確実に(笑)
100mごとのタイムを載せておこう。500から1000くらいまでのタイムが19秒台。
我ながら見事だ(笑)

1:13.37  1.19.73  1.20.16  1.20.45  1.20.34
1.19.76  1.19.35  1.19.49  1.19.54  1.20.09
1.21.20  1.21.89  1.22.30  1.20.12  1.16.72
19.54.92


炎天下の中、この日マイクは、チームメンバー3人合計1時間以上もサポートしてくれました。
本当に、このキャプテンは、人のために尽くす人で、誰よりも大声でみんなのことを応援します。
おれは、君と離れてとても寂しいよ。

次回は、大会2日目。
この2日目がきつかった・・・

2014年8月23日土曜日

2日だけラスベガスにいて、その後ロス近くのミッションビエホで大会

いま、ミッションビエホというところで、Regionals(地域大会)が行われています。
この大会に出るのは2年ぶりですが、前回とはチームが違います。
しかし、このプール会場を使うのは、1年ぶりで、久しぶりに来たなあというかんじがあります。

その前に、ラスベガスでのこと書きます。

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ニューヨークに滞在後、JetBlueでラスベガスに向かいました。
またもマイクの家にお世話になってました。
ラスベガスの近くに、フーバーダムというダムがあり、そこに連れて行ってもらったり、
ラスベガスの街をぐるっとまわったりして過ごしていました。
高さは230mくらいで、1931年から1935年にかけて作られたみたい。
ここでの水力発電が、ラスベガスの街の電力供給をしているという。
ラスベガスからここに至る道が、くねくね道の連続だったけど、この橋を含め、1本のがつっとした道路ができて、ラスベガスがあるネバダ州からアリゾナ州の移動を短縮できたという。どんどんこういうの作れるのね。

犬の碑があったので何かと見てみると、忠犬ぶりを見せた犬らしく、工事期間中に毎日顔を出していたという。そのお墓が、ダムの近くにありました。
ダイナマイトを使っての建造だったようで、ダイナマイトを埋めた跡がいたるところで見られました。
そして、それによって工事期間中に亡くなった方も大勢いたようです。
とてつもない、送電線の数。これがラスベガスの街までずっと続いてました。
カジノにも連れて行ってもらいましたが、全く興味がなかったので(笑)、ブラブラして歩くのみ。

それぞれのホテルの中にカジノがあり、買い物もでき、娯楽施設もあり、展示なんかもやってるところもあり、不思議な空間。行ったことがある人も多いのでは?

ラスベガスでの滞在を終え、会場近くのロングビーチの空港までフライトで50分。
こういう、バンバン飛行機使う旅は今までしてこなかったから、なんか新鮮。
フライトは、スタンドバイってのを使ってて、席が余ってたら乗るタイプのチケット。
だから安くて、この50分のフライトも31ドルという値段。ありがたいことに、マイクに出してもらっている。

さて、大会1日目は、1500mでした。ほんっっっっっとに疲れた・・・。
結果は次回掲載。

2014年8月22日金曜日

9・11ミュージアムができてました

 ここが、グラウンド・ゼロです。
 最近開かれた貿易センタービルの展示。
13年前の出来事だけど、あのときはしばらくテレビから離れられなかった記憶がある。
みなさんは、そのとき何してた?
ハイジャックされたルートが記されている
 バイトを終え、夜中の0時頃に家に帰ったとき、そのバイトの先輩からメールで
「世の中何が起こるかわからないね」というような内容のメールが送られてきたのを覚えている。
なんのことだかわからず、テレビをつけてみると、どの局も同じような建物から煙が上がっている。
それがニューヨークの貿易センタービルだと気づくには時間がかからなかった。

これを機に、アメリカとイラクの戦争状態が再び始まったわけだけど、アメリカに対しては、日本の世論だけじゃなく、親アメリカ国の世論は当時、同情的な意見が圧倒的に多かったと思う。
多くの民間人が犠牲になったという事実をみな知っているからかな。
これはまさに、飛行機が突っ込んだ跡の上部のビルの柱
 ここで、いま8月だし、1945年のことを想像してみる。
8月6日と9日に、二発のとてつもない殺人兵器が使われた。
そして、その兵器による民間人の犠牲は、数で言うと、この2001年の犠牲者の何十倍にもなる。

広島と長崎、いずれも日本のことである。

この階段は実際にこの場所にあったものみたいだけど、
実際の避難に使われたものみたい
当時の世界の世論は、どうだったのだろう。

今の世界の世論に、原爆犠牲国になったという日本の事実は、どううつっているのだろう。

戦争時に、とてつもなく残虐な行為をした国だから、原爆を落とされて仕方ないと思われていたのだろうか・・・。
最初に貿易センタービルが造られた時の経緯を表す写真
 よく、「日本がこれ以上侵略するのを防ぐため、戦争を早期に終結させるため」などの理由で原爆投下が正しかったとする意見を聞くけど、それは、「大多数の民間人を犠牲にしても致し方なかった」ということに私の中では解釈がつながってしまう。その当時の資料を見たり話を聞いたりすると、日本の当時の戦力では、戦争継続は難しかったのでは・・・。
でも、それは日本の、後から考えるとそうだったよな的な言い訳になるのだろうか。
戦後の歴史について、いまを生きる私たちに一番大切な時代の情報が圧倒的に少なくて、なかなか自分の中で判断が下せない。
帰国の際には、沖縄から、日本を縦断するように戻りたいと思っている。
広島も長崎もどちらも訪れたことがある場所だけど、いままた思うことは違ってくるはず。
ビルの最上部にあったアンテナ・・・
 話は元に戻るけど、展示の最後に、アルカイダの台頭と経緯や、テロリストの動きや人物についてがあった。これを見て、みんなはどう思うのだろうか・・・
最後に、この写真。消防隊の犠牲が非常に多かったこのテロ事件。職務だとはいえ、
文字通り命をかけて、任務にあたったのだと思う。
もちろん、ハイジャックされた飛行機に乗っていたパイロットたちも任務にあたっていた。
いま一緒にいる友人のマイクはパイロット。当時、この話聞いて驚いたけど、ニューヨークのJFK空港にそろそろ到着する便をパイロットしていたという。
ビルに突っ込む飛行機が見えたほどの距離にいたというし、すぐにアトランタシティまで行き、そこで待機したという話もしてくれた。
「そのミュージアムには絶対に行きたくない」と言っていた。