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2014年12月17日水曜日

ヨルダンという国、興味深かった…

10日間くらいいた国だけど、砂漠のベドウィンのとこにも行ってないし、
ぺトラは一日だけの滞在だったし、マダバという街に行きそこねたし、
もう一度行きたいと今は思わないが(笑)、いつかそう思うだろうなあという国でした。

「多民族」
アラブ系が多いのは確かだが、アンマンの街を歩けば、
インド系、アフリカ系、アジア系(中国人ではなく、フィリピン人が多い)が生活していたと思う。
イスラエルから追い出されたパレスチナの人々も多いし、シリアやレバノンから戦火を逃れて来た人もいる。会った人では、イラクから旅行に来ていた老人もいたし、クウェートから働きに来ている人もいた。
ホテルにあった興味深い地図
旧ユーゴだし、東西ドイツだし、ソ連だし・・・

ホテルにあった壁面に書かれた地図
まったくイスラエルが入る余地はありません
 「食事」
これがまた美味しいこと・・・発酵させていないパン。しかも安い。2枚で0.05JDだったから、
2枚で10円くらいで単品として売っている。
レバノン料理と似ているけど、中東の料理で、これが好き。ホムス。
ひよこ豆をすりつぶして、レモン汁やオイルをさっとたらし、これをパンに付けて食べる。

 安いホムスは、1JDしなかったな。
 甘味も種類が豊富。上の甘味は、杏仁豆腐のようなもの。シロップがないと甘くは感じないんだけど、ココナッツの粉とシロップが合わさるととても美味しかった。
行列が毎日できる↓のお店

この白い部分はチーズで、上にパリパリ甘い何かがかかってる。
名前は忘れた。クナフェでいいのかな?

これも甘くて美味しかった。
もちもちした生地をまわりに配置。口に入れたときにとろける感触。

「ゴミ多し」
これはこの国に限ったことではないけど、アラブの人たち、ゴミをそこら中にポイポイ投げるのね。
食べかすはもちろん、ダンボールもタバコの空き箱も服も。
だから、街中ゴミだらけ。排気ガスも多くとどまる土地柄だし、
あまり快適な空気があるとは思えなかったな。



「Welcome to Jordan」
街中国中で、この言葉を聞くこととなったんだけど、
「どこから来たんだい、ヨルダンへようこそ」って。
そして挨拶をすると、いぶかしそうな目もせず、すぐに挨拶を返してくれる点でも、
それだけで嬉しく感じる。
まあいろいろな人がいるけど、子どもたちの中でも「Hello!」と快く挨拶してくれる子もいれば、
「Fu○k you!」と声を掛ける子もいる。テレビや映画の影響なのか、心から言ってるかわからんが。
子どもたちが動物を虐待する姿も一度見られ、それを大人が咎めないでいたのが残念だった。
そういう価値観は、きっとこの国ではないんだろうな。

少しゆっくりできた街だけあって、いろいろな面が見れたなあ。
最後に、アップしきれていなかった写真を。
ここで会議もするのかな・・・モスク
アンマンの一番立派とされているモスク

そのモスク内部
一応2JD払うけど、観光客はほとんど来ない場所
静けさの中礼拝をしている人たちとともに

モスクの階下にあった会議場

会議場横の廊下には写真がいくつも飾られていて興味深い写真ばかり
サウジアラビアのメッカの巡礼
人で埋まってる・・・

エルサレムの岩のドーム内にある岩を写した写真
初めてみました。
ヨルダンからインドへとびまーす!

2014年12月16日火曜日

ヨルダンの首都アンマン

ここはおもしろい街だ…興味深いって意味で。
泊まったホステルは9ヨルダンディナール(だいたい1500円)、7泊以上をせざるを得ない。

今日はシュウさんとニュージーランド人トムとで、ジェラシュの遺跡を見に行った。

アンマンの北バスターミナル(アンマンのバスターミナルは至る所に数多くあり、なにがなんだかわけわからん)に0.4ディナールで向かい1ディナールでジェラシュまで。
「あと10分で出発するから!」という運転手の声。でたーっ!
それは確実に「あと30分、いや1時間待つかな?!」ということですよね(笑)。

気を取り直して、こうやって、アンマンの外に出ると、アンマンの街自体が丘の上にひろーく広がっているのを感じることができるし、意外と標高が高いことに気づいた。


40分ほどでジェラシュに到着。
降りてすぐに遺跡が見える。8ディナールを払い、中へ。
この遺跡は、ペトラ遺跡がナバタイ人の遺跡であり、またローマの影響も受けた遺跡であるのと違って、ローマ帝国の遺跡であるそうだ。
ハドリアヌスの凱旋門が観光客を迎えてくれる。

 歩きながら、シュウさんが詳しく書かれているガイドブックで説明してくれ、とっても助かる。
大規模に修復がされており、でもある程度もとの形も残ってた遺跡なんだなあと歩いてわかる。
 柱に囲まれた広場も圧巻だったし、敷設されていた街道も素敵だったし、
ただ、地震が多い地域だろうから、石組みの建物って、危険性が高いんじゃないって感じたのね。
で、遺跡内でお茶を売っている人に聞いてみたら、柱自体に耐震構造があって、最近の日本の建築でも、
動いて揺れを逃がす、みたいな建築方法があるけど、それを採用していた。
ああこれは写真かビデオを撮るべきだったが、忘れてたなあ。
右に残る瑕は、引いて移動させるためのもの?


ほぼ完璧に修復されているローマ劇場
柱頭・・・

遺跡内のチャイ売りでひと休憩

凱旋門から通るローマ街道
きっと地震がなければ、この道も平らでぐにゃぐにゃはしていなかったはず

 700年ごろに大きな地震があったそうで、それでほぼ壊滅してしまった街なのだそうです。
泉なのですが、水が出る穴が今でも見てわかる
そうして、またアンマンに日帰り。
アンマンの街を見て分かる通り、白い石組みで建物を構築しているんだけど、
これは国で決まりがあるみたい。イタリアのフィレンツェも自治体で決めて高さや色を制限しているんだけど、収入によって白い石や大理石を使う割合が異なるそう。
この国旗は大きくて有名

アンマンのおじいさん、チャイ飲んでてたまたま出会った。
この人、興味深かった人なんだけど、6,7カ国語を操れる人だった。
定食屋さんでちょっと話しただけだけど、スペイン語の発音はネイティブに近かったし、
おれのとのコミュニケーションは英語だし、日本語の漢字の意味についても分かっているものがいくつかあり、
いくつもの漢字の意味を聞いてきた。
言語習得が趣味だという、齢70。たまげた。

アンマン城にあった復元されたモスク?教会?↓


アンマン城跡、入場料は2JD(だいたい300円)

アンマン城から見たローマ劇場

モスク前で祈る老人と子供

街の小さなバス停
これ、JICAの協力の下建てたと碑が立ってました

シリアのアレッポという街から移り住んできたケーキ職人
アレッポは空爆により悲惨な状態で、昔の姿をとどめてないという
イラク、シリアからヨルダンに移り住む人が少なくないと感じた

帰ってきて、夜は久々に飲みに出かけたんだけど、ヨルダン、アルコールについては比較的緩やかな国で、酒店もあるし、バーもある。Amstelを1杯だけ飲み、楽しんだ。

Amstelは「ヨルダンがオリジナルだよ」と地元の人は言うが、本当にそうか?!チリでも、ドイツでも見かけたと思うけどなあ。

2014年12月14日日曜日

死海、Dead Sea、目に入ると猛烈に涙が出てきます

イスラエルで入らず、こっちのヨルダン側で入ることにしてました。
標高-400m近くにある世界で最も低い土地にある死海。
塩分濃度が強いことで、体が浮いてしまうという。
ちなみに、「浮く」ことに関しては、ある程度人よりも分かっているつもりですし、
浮いてバランスをとるということも、得意なほう。
でも、最初入った時に、ここまでバランスが取れなくなるんだって驚いた。

アンマンの北ターミナルから1JDのミニバスで移動。
死海に近づくにつれ、だんだんと暖かくなるのがわかる。さすがに海抜-400m。
到着後、20JD(3500円くらい)を支払い入場。隣に、プールがついていない入口があり、
そこは12JD。
節約したい人は、そっちのほうがおすすめ。入口が非常にわかりにくいので注意。

着替える場所があり、シャワーもある。
着替えたあと、海岸にダッシュ!おお、これが死海!

 遠くには靄(もや)がかかり、鋭い日差しがある。
反対側に見えるのは、イスラエル。
一見普通の海や湖に見えるのだが…ゆっくり歩いて入る。
足や腰が浸かっている分には普通の海だ…。

 すっと体全体を沈ませた時に「あれまあ!」ってなった。
沈むべき体の部分が沈まない!
これが死海か…。おもしろすぎる!
最初は、バランスとるのに慣れなかったが、1時間もすると、
どうするとバランス取れるかがわかるようになる。もう少し海温が温かければ、
ぐっすり眠れるほど心地よい。


ぽんと足が浮き出てしまうくらいの浮力
 一緒に行ったベラルーシのヴァディムとドイツから来たトキ、それとシュウさんと、
いろいろなポーズをとり遊ぶ。
泥を塗って遊ぶ。3JDで泥を塗ってもらえるのだが、死海の沿岸には、泥が蓄積しているので
それを拾って体に塗れば十分に泥パックが可能。
そんなこんなで3時間も遊んでいると、暑さもあり、疲れてくる。

わずかな水分を求めて?集まるハエが多いこと・・・

ヴァディムは3JD払って濃い泥を塗ったが、
おれとトキは、沿岸部にある底に沈んだ泥をかき集めて体に塗ってた
3人で泥まみれになって撮った写真があるんだけど、ヴァディムくんが送ってくれない(笑)
死海で4泳法をしてみた!
バッタとブレストはキックが打てないことが判明。
そして、バックが進む。きっとここで100泳げば、1分切れるんじゃないかと思うくらいぐんぐん進む。
口に入る塩水が!口中がしわしわになる。そして鼻の穴に浸水すると激痛。
さらにゴーグルの中に浸水したことにより、激痛が走り、涙が止まらない。

帰りは4人いたということもあり、運良くタクシーで1時間ほどで帰れたんだけど、
その日はぐったりぐっすりでした。

2014年12月12日金曜日

インドビザ取得への道のり

インドビザを取得する道のりは、長いらしい…ということを以前から聞いていたんです。
日本で取るわけにはいかないので、トルコか、イスラエルか、ヨルダンのどこかで取るしかないかなと思っていたんだけど、ここヨルダンの首都アンマンで時間を作れたので、インドビザを取りに行きました。

で、最初でつまずく。

①ネットから申請書をとらにゃならん
ネットでまずは申請書を作成。しかし、そこで苦戦。
5ページくらいの質問攻め。
「インドでの住所、ヨルダンでの住所」をはじめ、「父母の出生地、名前」「正確なサイズの顔写真」「いままでこの10年間で訪れた国」等。
これらが正確でないと、やりなおしになるとも聞いた。
すみずみまでチェックし、記入し終えるのに2時間はかかった。

②航空チケットのコピー
これはすでに出入国分の予約が済んでいるので、印刷するのみ。

③申請先が大使館ではない
ここでも、つまずく。アンマンのインド大使館で申請するのかと思いきや、
インドビザアプリケーションセンターという別の住所の建物での申請。
あとで分かったことだが、マルチプルの場合は、先にインド大使館に行かなくてはならないという。
それを知らないでアプリセンターに先に行き申請&時間がなかったおれの場合、シングルしか発行されなかった。
住所を記しておきます。
Arar Street, Building number142(3rd Circleの近く)

④準備するもの
これらは、他の国のビザ申請の場合と同じようで、
・顔写真2枚
・①の申請書類
・②のフライトチケットコピー
・クレジットカードのコピー
・パスポートのコピー
・アプセンターに支払う手数料&申請費用
となる。
ここのアプセンターの方が本当に親切に対応してくれて、アポイントを通さなければならないのに飛び込みで引き受けてくれたし、
パスポートとクレジットカードのコピーもその場でしてくれた。なんて、親切な受付嬢、それだけで惚れそうになりました。


幸い、書類が全部揃っていたことと、申請書の内容が適切に記されていたとのことで、申請完了!
5営業日が必要と言われたが、「日本の場合は、早めに発行される場合もある」って言われて、結局、4営業日で発行された。その後、本当は電話をしないといけなかったんだけど、これまた親切にメールで連絡をしてくれ、指定された日時に受け取りに行き、すべて完了。

もし、これを見て申請される方がいたら、これに気を付けて。
イスラム教の国なので、金曜日が私たちの日曜日にあたる休日。
逆に、日曜日は平日となるので、それを見越しての申請を考えたほうがいいと思います。

2014年12月10日水曜日

51カ国目、ヨルダン入国、ペトラ遺跡

日本では総選挙が近づいてきてますね。
与党が「景気」をだいぶ強調しているようですが、論点はやっぱり「景気回復」なのでしょうか。
日本の外にいて、しかも在外投票権も放棄している身としては何を言ってもしかたないですけど、
このまま原発再稼働進めるの?って考えてます。
本当は講演会なんかにも積極的に行っていろいろな話を聞いてみたい。
いまはただ、各党の政策を読むくらいしかできないけど、各党のこれ、読む人いるのかね。
支持者の政策なんかは見る人がいるだろうけど。
自○党なんかの政策○ファイルは402項目ありましたよ!それ一つ一つに解説が書いてあって読むのに何時間かかったか・・・日本語であるにもかかわらずこの時間。
日本で働いている人にこれ読めって、過酷なかんじがするけどな。違う意図を感じてしまう。

以上、余談でした。

>>>>>>>>>>>>>>>

そう、後になってわかったのでこれはどうしようもないけど・・・
インドビザ取得のために、1日しかいられなかったペトラ遺跡。最低でも2日は欲しかった…。
ヨルダン南部にあるアカバを朝出ようと思ったが、
Theヨルダン=満車になるまでバスは出ない。
7時にバス停に着いて結局バスが出たのが10時というこのアフリカのポレポレ並みの時間の流れ。
「5JD(ヨルダンディナール)だよ。」とおれに言っておきながら、
周りの他の乗客は2JD・・・。
・・・
・・・・・・おいっ!3JDのぼったくりかい!1JDはとても大きいんだぞ!
首を締めんばかりに問い詰めて、3JDは返してもらいました。

10時にアカバを出発したバスは12時にはペトラ近くにある町、ワディ・ムーサに到着。
そこからホテルを探し、荷物を置き、昼飯を歩きながら食べ、ペトラに直行。
半分走りながら見て回りました。
しかしここの入場料は半端ない。ハンパない。はんぱない。
1日券ですら50JD(ヨルダンディナール)。2日券だと55JD。
ねっ、50とか55って聞くと「なんだ、安そうじゃん!」って思いますでしょ?
1JDが、いま2014年12月現在170円強です、だいたい。計算してみてください…。
8500円、9400円…、いままで50カ国以上まわってきました。世界遺産も数え切れないくらい行っていますが、これは断言できます。世界一高い入場料。
ただ、これだけの値段を払う価値があると思いました。

ほんとに広い遺跡内、そして似たような墓がたくさんある(笑)。
最初にスークと呼ばれる、ずっと見上げていると首が痛くなるような絶壁のあいだを通り、エル・ハズネへ到着。
このラクダ乗り勧誘が、はっきり言ってウザイ!しつこいというほうが正確に言い表せているかな。

これがスークと呼ばれる細い小道


小さい頃見た映画インディージョーンズの舞台。
高さは40mほどだと言います。真ん中に見える欠けていますが、死を司るエジプトの女神イシス。
両脇にあるのが、ギリシア神話に出てくるアマゾネス。

いろいろな時代の影響を受けているのがこの遺跡の特徴。

その後、ローマ劇場を通って、神殿跡へ。
途中、トレッキングコースとガイドブックなどには書いてありますが、アップダウンを繰り返す道を歩き、遺跡を探します。
そうした中でたくさん見かけたのは、綺麗な模様の岩。




これは熱でこうした色が出ているのか不思議でしょうがなかったですが、
綺麗なものを見つけるたびに感嘆の声が出てしまうほど。

そして、結局最奥のエド・ディルまでたどり着けずに時間切れ。
後は、友人のシュウさんにお願いして写真を撮ってきてもらいました。写真を拝借し、載せました。
そして、シュウさんとアンマンで出会ったあと、解説までしてもらいました。
オベリスク、シュウさんが説明してくれたのですが、
これのすごいところは、オベリスクを切り取って石の上に置いたのではなくて、オベリスクを作るために
周りの石を切り出した、つまり、下の土台と同じ岩を使っているという。

奥にある神殿エド・ディル




古代アラブ民族のナバタイ人という民族が紀元前6世紀ごろから住んでいたこの街。
水をうまく扱っていたようで、スークのところどころに石で塞き止められていたダムのような跡がありました。

インドビザのためには仕方ない。閉まるギリギリまでいましたが、なにせ日暮れが早い。
ヨルダンはこの時期5時には暗くなってしまいます。仕方なく、次の日朝に首都アンマンに向かいました。