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2014年8月27日水曜日

2014年3つの水泳の大会を終えて

いま、ものすごい脱力感に襲われてます(笑)
アイルランドのダブリンにいるのですが、観光する気が全く湧いてきません・・・(泣)。
旅の段取りもほとんどしてない状態で来たので、とりあえず明日フェリーで、イギリスのマン島というところに行き、2日間のんびりする予定でいます。山くらいは登るかもしれません。

旅じゃなくて、水泳祭りの1ヶ月になっていた今回の大会期間。
3つの大会をちょっと振り返ってみます。


<世界マスターズモントリオール>

私はアメリカのチームの一人として出たわけだけど、以前書いたが、やっぱこの大会は日本のチームで出たかった。JPNとなっているかUSAとなっているかの違いだけど、首から下げているプレートにアメリカの国旗がついているのは、なんか不思議で仕方なかった。

でも、2年前から変わらないメンバーで出場でき、個人種目も含めて楽しめた。

ここで、所感なんだけど、
ブラジル、フランス、ロシアのスイマーが多く、どの年代にもエントリーしていたのが印象的。
日本は、年配の方々(60代後半くらいから)の参加が多かったのが印象的。
メキシコの友人からは「なんで日本の若い人はあまり出てこないの?」と言われてうまく答えられなかった。
「仕事なのかな・・・」って答えたけど、それで答えは合っているだろうか。
他の国の参加者には、家族連れもいたし、奥さん旦那さん子どもっているけど、単独で参加したという人もいた。いろいろな参加の形がある。
2年に1度と、頻繁には行われる大会だけど、「今しかない!」って思い切らないと、なかなか一歩を踏み込めない人が、日本人に限らず、多いと思う。

この大会、速さじゃないです。みんな、水泳好きが集まってます。
みんな、趣味でやってきています。

日本のマスターズスイマーのみなさん、1歩踏み込んでみましょう!

あああ、わがまま言って、好きなことに休みを思う存分費やせる社会にならないかなあ・・・


<サマーナショナルズ inメリーランド大学>

今回はモントリオールの直後に行われただけあって、参加者がここ数年と比べると少なかった印象。
しかし、アメリカ国内大会であるが、プールサイドで応援できるってのが何より、嬉しい。

<リージョナルズ inミッションビエホ>

毎年行われている地域大会、私は2年ぶりの参加。次回の参加はいつになるのか・・・
今年からチームを変えての参加だったが、今回のチームの印象は、「たくさんエントリーする人が多いなあ」というもの。
チームのコーチであるナンシーは、以前アメリカ代表になって、日本に遠征に来たこともあるスイマー。
そのナンシーは、とってもこのチームに力を入れている印象で、
50mごとのタイムも計測してくれているし、泳ぎのアドバイスをくれるし、
エントリーの管理もしてくれているし、かけ声も応援ももちろん・・・
アメリカ代表のときの日本滞在話をぜひ聞きたかったので、いつか練習を受けに行こうと思う。

そして、印象的なのが、シングルや子どもがいないカップルが多いということ。
独身だから、比較的自由に大会参加や水泳に熱を入れられるのかもしれない。
ミッションビエホに近いマリーナ

ずっとお世話になりっぱなしの夫婦

世界マスターズで3位をとったリレーメンバー




2014年8月25日月曜日

Regionals2014 200フリー、50フリー、リレー3発・・・

2日目のリージョナルスが、おれにとってのリージョナルス最終日。
(今日は写真なしだ!)

リレーが、4×200m男女混合リレー、4×50男女混合リレー、4×50男女混合メドレーリレー、
個人が、50フリーと200フリー。これを4時間で泳いだもので、くったくた。
でも不思議と、疲れてくればくるほど、タイムは良くなってくる(笑)

1発目のリレーでは、200フリーを90%くらいの力で2分13秒5、しかしやっぱり後半疲れる。
2発目のリレーでは、50フリーを95%くらいの力で26秒4(引き継ぎあり)、この50が一番体にこたえていた。
3発目のリレーでは、50バックを100%の力で30秒0、気持ちよく泳げたけど、隣のコースが27秒前半を出していたので、ぶっぱなされました。
個人種目の50フリー(26秒64)はリレーの20分後くらいに泳いだので、スタート台にたった時にはフラフラ、
でも、みんな多種目に出ていて、これくらい全然当たり前なのが、アメリカのマスターズ。

話はそれるけど、この人すげーなと思ったのが、チームのメンバーだけど、
40代の女性で、1日で1500フリー、400個人メドレー、4×100mリレーに出てた・・・
なんか、今まで自分が楽しんでいた水泳の楽しみ方とは、別の楽しみ方があって、これに目覚めそうだ。

さて、一番自分が好きな種目200フリー。
今年4発目です(笑)。

泳ぐたびにタイムが上がっているのでワクワクしていたが、
なにせ、昨日は1500を泳いでいて、もうフラフラの状態、しかし、ここで目標を下げたらあかん!
チームのメンバーには、「2分12秒を切りたい」と言っておいた。(ベストが先日出した2分12秒14)

スタート、
今回は、リラックスして前半を入り、後半に力が残っていることを信じて泳ぐ。
不思議と体が軽くて、ぐんぐん進む。
感覚では1分3秒後半で折り返したかな(実際は、1分4秒5)、
ここから。

次の100を下げないでいくことが今までずっと課題だった。
なんと不思議なことに、150ターンしてからも、力が余っている。
キックも打ち込めるし、呼吸も乱れていない。
タッチ。

2分11秒91(30.54  34.00  34.12  33.25)ベスト-0.25

ビデオを載せられました。奥から3番目の白いキャップがわたし。
こう見ても、手前の二人なんかは、前後半同じくらいのタイムで泳いでるんだな。
そしてビデオの最後に友人のクリスが「よし、これで昼飯を食べてよし!」と一言
12秒切れなかったら昼飯抜きねとレース前に言われていた(笑)

チームのメンバーがめっちゃ喜んでくれてる。順位は、全体では4位(しかも、50代と40代の人に負けている)。
こんなバテている状態でこのタイムが出るんだって驚き。
2週間前のタイムが、
2分12秒16(29.62  33.36  33.56  35.62)
2年前のタイムが
2分14秒25(30.34  33.91  34.91  34.99)
なので、
ラスト50がかなり上がったのがタイムからもわかった。
200の泳ぎ方ってこうなのか?と新たな発見もうれしかった。

この日は、最後にチームのメンバーで食事して、
おれは、飛行場に向かった。

そうだ!
チームのメンバー(創設者?)に、マットビオンディという人がいる。
私より年配の方は聞いたことがある名前かも知れない。
私が小さい時に憧れていたアメリカの選手で、今でいうマイケルフェルプス選手のような存在。
その方と一緒にリレーが組めるかなと思ったけど、
残念!1日違いで会えず・・・次回に会う約束をしました。

2014年8月24日日曜日

Regionals2014 1500mフリー

400m個人メドレーでは、乳がんを克服し、マスターズを再開し、
レースに復帰した方が泳いでいて、放送担当の人が気を効かせてみんなの応援を集めていました。
そして感動することに、その組全員が、ピンク色のスイミングキャップをつけてレースしてたこと。
たとえ、違うチームの人であっても。
こういうところ、大好きです。
いよいよ今年、おれにとって最後の大会が始まりました。

といっても、実はもう大会を終え、一人ロングビーチの空港でこれを書いてるのですが、
アメリカにいるあいだは全て、文字通り「全て」マイクにいろいろしてもらっていたので、
寂しくて仕方ありません。これからボストンに向かいます。

さて、話を元に戻して、大会初日。
1500mに挑戦しました。昨年も同じ種目を同じ場所で泳いでいます。
そのときは目標を20分切りにし、結果は20分45秒だったので、今年はなんとか20分を切ってみたいと思い、エントリー。
今年も目標は「20分を切ること=100mを1分20秒ペース」です。

今回も、マイクがボードを用意し、ターンごとに回数を数えてくれました。
「いいか大輔、ペースが速すぎたらボードをプールの底に沈めておく。ペースが1分20秒だったら真ん中らへんにし、ペースが遅すぎたらこのボードを揺するからな!」という、昨年と似たような作戦を立てた。

昨年の反省は最初の200までを力入れてしまったので、今回は終始力を抜いて泳ぐことにした。

スタート。

これでもかってくらいゆっくり泳ぐ。
終始リラックスして泳げたものの、1100mくらいから1400mくらいまでが正念場だった。
その距離の時には「止まってしまおうか・・・」とか「バックに切り替えたいなあ・・・」などを思いながら泳いでいた。ちょうどそのときに、左側の呼吸しかしてないものだから、左腰が痛み出していた。
しかし、今年の大収穫は、マイクが出すボードの数字を5,7,9・・・27までしっかりと記憶に残しながら泳げた!脳もしっかりと働いていてということでしょうか。

最後の100もきつく、こりゃ200フリーよりもきついわと思いながらタッチ。
タイムは、

19分54秒92(ベスト-54秒!)

やりました、目標の20分を越えられました。
スペインでの練習2週間と、結構きつきつな日程の大会を2発こなしたからでしょうか、
昨年よりも体力がついてます、確実に(笑)
100mごとのタイムを載せておこう。500から1000くらいまでのタイムが19秒台。
我ながら見事だ(笑)

1:13.37  1.19.73  1.20.16  1.20.45  1.20.34
1.19.76  1.19.35  1.19.49  1.19.54  1.20.09
1.21.20  1.21.89  1.22.30  1.20.12  1.16.72
19.54.92


炎天下の中、この日マイクは、チームメンバー3人合計1時間以上もサポートしてくれました。
本当に、このキャプテンは、人のために尽くす人で、誰よりも大声でみんなのことを応援します。
おれは、君と離れてとても寂しいよ。

次回は、大会2日目。
この2日目がきつかった・・・

2014年8月23日土曜日

2日だけラスベガスにいて、その後ロス近くのミッションビエホで大会

いま、ミッションビエホというところで、Regionals(地域大会)が行われています。
この大会に出るのは2年ぶりですが、前回とはチームが違います。
しかし、このプール会場を使うのは、1年ぶりで、久しぶりに来たなあというかんじがあります。

その前に、ラスベガスでのこと書きます。

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ニューヨークに滞在後、JetBlueでラスベガスに向かいました。
またもマイクの家にお世話になってました。
ラスベガスの近くに、フーバーダムというダムがあり、そこに連れて行ってもらったり、
ラスベガスの街をぐるっとまわったりして過ごしていました。
高さは230mくらいで、1931年から1935年にかけて作られたみたい。
ここでの水力発電が、ラスベガスの街の電力供給をしているという。
ラスベガスからここに至る道が、くねくね道の連続だったけど、この橋を含め、1本のがつっとした道路ができて、ラスベガスがあるネバダ州からアリゾナ州の移動を短縮できたという。どんどんこういうの作れるのね。

犬の碑があったので何かと見てみると、忠犬ぶりを見せた犬らしく、工事期間中に毎日顔を出していたという。そのお墓が、ダムの近くにありました。
ダイナマイトを使っての建造だったようで、ダイナマイトを埋めた跡がいたるところで見られました。
そして、それによって工事期間中に亡くなった方も大勢いたようです。
とてつもない、送電線の数。これがラスベガスの街までずっと続いてました。
カジノにも連れて行ってもらいましたが、全く興味がなかったので(笑)、ブラブラして歩くのみ。

それぞれのホテルの中にカジノがあり、買い物もでき、娯楽施設もあり、展示なんかもやってるところもあり、不思議な空間。行ったことがある人も多いのでは?

ラスベガスでの滞在を終え、会場近くのロングビーチの空港までフライトで50分。
こういう、バンバン飛行機使う旅は今までしてこなかったから、なんか新鮮。
フライトは、スタンドバイってのを使ってて、席が余ってたら乗るタイプのチケット。
だから安くて、この50分のフライトも31ドルという値段。ありがたいことに、マイクに出してもらっている。

さて、大会1日目は、1500mでした。ほんっっっっっとに疲れた・・・。
結果は次回掲載。

2014年8月22日金曜日

9・11ミュージアムができてました

 ここが、グラウンド・ゼロです。
 最近開かれた貿易センタービルの展示。
13年前の出来事だけど、あのときはしばらくテレビから離れられなかった記憶がある。
みなさんは、そのとき何してた?
ハイジャックされたルートが記されている
 バイトを終え、夜中の0時頃に家に帰ったとき、そのバイトの先輩からメールで
「世の中何が起こるかわからないね」というような内容のメールが送られてきたのを覚えている。
なんのことだかわからず、テレビをつけてみると、どの局も同じような建物から煙が上がっている。
それがニューヨークの貿易センタービルだと気づくには時間がかからなかった。

これを機に、アメリカとイラクの戦争状態が再び始まったわけだけど、アメリカに対しては、日本の世論だけじゃなく、親アメリカ国の世論は当時、同情的な意見が圧倒的に多かったと思う。
多くの民間人が犠牲になったという事実をみな知っているからかな。
これはまさに、飛行機が突っ込んだ跡の上部のビルの柱
 ここで、いま8月だし、1945年のことを想像してみる。
8月6日と9日に、二発のとてつもない殺人兵器が使われた。
そして、その兵器による民間人の犠牲は、数で言うと、この2001年の犠牲者の何十倍にもなる。

広島と長崎、いずれも日本のことである。

この階段は実際にこの場所にあったものみたいだけど、
実際の避難に使われたものみたい
当時の世界の世論は、どうだったのだろう。

今の世界の世論に、原爆犠牲国になったという日本の事実は、どううつっているのだろう。

戦争時に、とてつもなく残虐な行為をした国だから、原爆を落とされて仕方ないと思われていたのだろうか・・・。
最初に貿易センタービルが造られた時の経緯を表す写真
 よく、「日本がこれ以上侵略するのを防ぐため、戦争を早期に終結させるため」などの理由で原爆投下が正しかったとする意見を聞くけど、それは、「大多数の民間人を犠牲にしても致し方なかった」ということに私の中では解釈がつながってしまう。その当時の資料を見たり話を聞いたりすると、日本の当時の戦力では、戦争継続は難しかったのでは・・・。
でも、それは日本の、後から考えるとそうだったよな的な言い訳になるのだろうか。
戦後の歴史について、いまを生きる私たちに一番大切な時代の情報が圧倒的に少なくて、なかなか自分の中で判断が下せない。
帰国の際には、沖縄から、日本を縦断するように戻りたいと思っている。
広島も長崎もどちらも訪れたことがある場所だけど、いままた思うことは違ってくるはず。
ビルの最上部にあったアンテナ・・・
 話は元に戻るけど、展示の最後に、アルカイダの台頭と経緯や、テロリストの動きや人物についてがあった。これを見て、みんなはどう思うのだろうか・・・
最後に、この写真。消防隊の犠牲が非常に多かったこのテロ事件。職務だとはいえ、
文字通り命をかけて、任務にあたったのだと思う。
もちろん、ハイジャックされた飛行機に乗っていたパイロットたちも任務にあたっていた。
いま一緒にいる友人のマイクはパイロット。当時、この話聞いて驚いたけど、ニューヨークのJFK空港にそろそろ到着する便をパイロットしていたという。
ビルに突っ込む飛行機が見えたほどの距離にいたというし、すぐにアトランタシティまで行き、そこで待機したという話もしてくれた。
「そのミュージアムには絶対に行きたくない」と言っていた。

2014年8月21日木曜日

ニューヨーク観光 その1 ナショナルヒストリーミュージアムなど

こんな大きな街を1日で周ろうというのがどだい無理なんだけど、
限られた1日、どうしても行きたかった場所を限定して歩きました。

○ナショナルヒストリーミュージアム
○9・11ミュージアム
○歴史的建造物を見る

今回は、ナショナルヒストリーミュージアムと、街歩きいろいろ。
9・11ミュージアムは次回掲載します。

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マイクの実家に泊めさせてもらっていたんだけど、マンハッタン島からは1時間ほど電車で離れたところ。
毎朝通ったCottage(コテージ)というレストランのホットケーキがとても印象に残った。
そこのオーナーもそう、そしてマイクの家族もそうだし、ニューヨークが大好きだ!と堂々と言っている人が会った人のなかで非常に多かったのも印象的。

さて、まずは、ナショナルヒストリーです。
今までアメリカ大陸を中心にいろいろな博物館を見てきましたが、ここの博物館は丸1日かけて歩いて見てちょうどよいくらいの量。

動物の剥製系の展示が多い中、9・11ミュージアムに時間をかけ過ぎ、2時間しか残っていなかった私は、中南米&アジアの文化コーナーに猛ダッシュ。
 メキシコのメキシコシティーにある博物館が中南米をはじめとする歴史や文化の貯蔵量が多いけど、ここは幅広さについて言えばその上をいく。
今まで旅してきて、見て感じてきた遺跡の模型を見て、とても懐かしく思うとともに、
歴史を少しずつ思い出してきました。
 そして、何より一番の収穫は、これから行くであろう場所の展示が豊富にあったこと。
 これはアルメニアの宗教について表した場面。
 これはインドの神々を表した像。
 これはネパールの神々を表した絵画等。
 そして、日本のコーナーもあり、時代を問わず、特徴的な面が強調され、展示されていました。
 これなんかは非常に簡潔に説明がされてあったな。
 貿易中継都市の模型があり、イスファハンでしょうかねこれは。

今じつは、自分の中で水泳のことが占めていて、旅がどっかいってます。
そして、本格的に水泳をしたいという欲が強くなってきたため、なかなか旅の動機が強くならなかったのですが、
これら中東からアジアにかけての展示を見ている時に、自分が微笑んでいるのがわかり、
ここを訪れてみたいという思いが改めて強いことを感じました。

アメリカらしく、月や宇宙の展示もあり、
5ドル追加でプラネタリウムの中でビックバンから星の誕生みたいな特別イベントを見れたんだけど、
こんな展示が作れるんだと感心した。
 自然系の展示もたくさんあったが、さっと見てまわるだけになってしまった。


ウォール街も見てきました。平日にも関わらず観光客が多かった。



 ブルックリン橋も見てきたが、この先のブルックリン地区にも行ってみたかった。
 フェリーで渡ってみたかった・・・
 高層ビルが多いことから、なんかつい日本で言うと・・・ってのを考えちゃうんだけど、
千代田区がちょー広いかんじが我ながら適切な表現だと思った(笑)
 ニューヨークといえばというところにもいってきました。タイムズスクエア。
 とくに、左の広告が好き。
 ちょうど休憩だったみたい。
 時間があればライオンキングなどのブロードウェイミュージカルも行きたかったなあ。

エンパイアステートビルディングを仰ぎ見て、家に帰りました。
ざっと歩いてみて、4,5日は次来た時に費やそうと思いました。

この前の日には、ニューヨークにビーチがあると知らなかったのですが、
「ビーチ沿いに小屋を持ってるから行こう」と言われ、家族と親戚がいる中、突っ込んでいきました。
7歳くらいの子たちと波で遊んだり、15歳の少年とキャッチボールをしたりして時間を過ごしていたんだけど、
私のその友人の母の兄とも話をすることができ、以前軍隊で日本に駐留したことがあり、また韓国での駐留が長かったという話をしてくれました。
ちょうどベトナム戦争のときのヘリコプターの操縦を担当していたそうだ。
話題には出せなかったけど、帰り際に語ってくれたのは、「戦争で見てきたことは辛くて家族にもあまり話せないんだ」と。

そんなあとに行った、9・11ミュージアムだったから、いろいろとまた考えてしまいました。
この話は次回。