昨日は授業の中で、真剣にしかりました。
わいわいするのが好きな子たちです。
感情表現を直接的にします。
たとえば、嬉しさを表すときは全身で、歯止めが利かないくらい。
不満を表すときは口にも態度にも出します。
日本では、思ったことは「相手に不快だろうな」と感じたら、
子どもでも、それを口にすることはあまりありませんでした。
日本の子たちの良いところは、相手の気持ちを察することができることです。
ここの子たちの良いところは、物事をはっきりと主張できることです。
昨日は日本語3時間の日。
自分の中では、退屈させないように、ビデオを用意したり、
活動を多めにしたり、工夫をしていたつもりでした。
でもそれでも不満を直接口にするわけです。
1ヶ月間、それでも「まあまあ、勉強していこうよ。」と優しく言っていたわけですが、
昨日はとうとう・・・
「君達は、なんで日本語を勉強しに来ているの?したくないなら、しなきゃいいじゃん。」
と口につい出してしまいました。
「言葉は言っていると本当になる。言葉には魂がこもっている。」と普段言っているものだから、
私自身もそう言ってしまったことに大いに反省はしています。
その後、子どもたちに話を聞いてみると、
日本語を学ぶことに対する意識がちょっと低いように感じたのです。
日本でもありました。
「なんで英語を勉強するの?使わないじゃん。」
確かに・・・。日本の子に対する英語への意識というものは、
特別高い子は例外として、そんなかんじだと思います。
主に環境ですが、使う必然性はないですし。
だから英語活動だったり、中学校の教科としての英語だったり、
子どもたちの動機付けをすることに私は悩みました。
旅人目線からすると、英語を話せると、
「とっても便利な道具」だと気づくのですけれど。
そういう視点で考えると、動機付けが大切だということはどこでも同じなのですが、
ここでの「日本語を身に付けること」って、日本人の英語習得とは次元が違う話なのではないか。
もっと子どもたちには日本語を身に付けることに積極的になってほしいなと、
1ヶ月働いてみて感じています。
でも、それは大人の、子どもたちに対する、勝手な思いの押し付けなのだろうかな。
まあとにかく、子どものせいにはしないで、自分が飽きさせない授業を考えていくのみに集中したいと思います。
ということで、昨日はしばらく考えていました。
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