2013年5月2日木曜日

今日の話は長いですよ 体育の授業から見える考え方の違い

最近悩んだことです。文句とかではないので、ちょっと書かせてください。
自分で言うのもなんですが、興味深いことです。

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持久走の授業。
前回もそうだったんだけど、小学校高学年の走りの中で、
男の子たちは話しながらタラタラ走っているんだ。
だから「走りながら話すなー!」とおれは叫ぶ。
叫ぶ根拠は、日本の教育者なら誰もがそう言うだろうということだけど、
「一生懸命ではないから」だ。
そういってもまた2周目で話しながら走る。
率先して話をする、Tくんという子がいる。Tは運動神経が良い。
だから「Tは手を抜いて走っているな」と感じる。
最後の一周になってもその調子だったが、なんと驚くべきことに、
ラスト20mで全力で走り、Tは先頭の子を抜き、1位でゴール。
しかし、おれは2位になった子をほめる。
なぜならその子は最初から黙々と走って自己ベストを出したから。
全員が走り終わったあと、なぜ叱ったかを話す。
「オリンピックで話しながら走っている選手がいるか?いないぞ、それは彼らが一生懸命だからだ。オリンピック選手になれとは言わない。でも、体育の授業で一生懸命になってほしいのが先生たちの思いだ。」と伝えた。

なんで彼らはしゃべりながら走るのだろう、と夜考えていた。
そこでふと感じたのは、日本の体育の授業やスポーツの考えで、個人種目である水泳や陸上では、自己ベストを伸ばすことに美徳があると指導している。
児童生徒はそこに疑問は抱かない。自己の伸長こそが、自分の成長であると大人が言っているからだと思う。
けれどここボリビアは個人主義。
「誰かに勝つ」ということに重きを置いているのだと、体育の授業を3ヶ月やって感じた。というのは、低学年でリレー競争をすると、「チームで競うんだ」ということをいくら言っても彼らには通じない。彼らは、自分と対戦する相手の子を倒すことこそを考えているのだ。だから、リレーといって、前の走者がタッチしてもスタートをしないで、自分と対戦する子と同時に出ようとする。「グループで競うんだ」といくらいっても通じない。ああ、個人主義の国の考え方なのだとそこで気づいたのだ。
そこで、Tの話に戻ると、なぜ彼がゴール手前20mしか全力を出さないのか。
それは、このグループで1位になればいいと考えているからだ。
走り終わったあと彼は「前に教えてくれた人はそう教えた」という。
なるほど…。相手を倒せばいい…か。

悩んだ。ここはボリビアだしそれでいいんじゃないのか…。
いや、それじゃだめじゃないか…。

おれの結論は、「それでは個人の体力や技術の伸長はあまり望めないから、相手がどうであれ全力を尽くすべき」ということに達した。
環境が変わって、相手やグループが変わったときにその子はどうするだろうか。勝てない相手が出てきたときに、その子はどうするだろうか。そういう競争的な社会に出たときに、その子はどうするだろうか。
低学年の授業をもっていて、不思議に思ったことがあった。走る競争をしていて、負けるのがわかると走るのを拒絶して座り込む子が多いのだ。
「世の中自分の思い通りにならないことがある、そういうときにどうしたらいいか」を指し示していくのが大人の役割なんだと考えると、負けが分かっていても自分の責務は果たすと指導していくのが今おれができる指導なんだと思う。
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こんなに長い文章を最後まで読んでくれてありがとう。

2 件のコメント:

  1. 興味深い話だね。私もきっと、勝ち負けよりもその時に全力を尽くすこと、に重きを置くとおもう。
    ただ、グループを勝たせる脇役者になること、負けても全力を尽くすこと、を美徳とするのは日本が平和だからなのかな?勝たなくても生活に困る訳じゃないし…
    実社会じゃ勝ち負けがすべてだと言われれば確かにそうかもしれない。
    でもだからこそ、学校教育においては勝ち負けにとらわれず、個人の資質を伸ばしてあげたいなと思うかな。最近仕事してないからちょっとボケてる意見だったらごめんね。

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    1. 長かったでしょ、ありがとう、ゆうママ。
      子どもって全力スイッチ入るとすごいんだけどね(笑)
      そうだよね、実社会では勝ち負けが全てという部分は大いにあるからね。
      しばらく持久走続けるから、どうなっていくかちょっと見てみるわ!

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