2014年9月6日土曜日

スカイ島はめちゃめちゃ不思議で惹かれるところでした その2

<スカイ島暮らしの博物館>
島の北に位置している博物館で、ポルトリーからは車で30分くらいのところ。
ラジー島を歩いていたら、「この島の人たちはどうやって生活していってるんだろう?」って疑問がわいてきて、急に行きたくなった。
トレッキングがいい動機付けでした(笑)
スカイ島のこういう景色、好き
向こう側は大西洋

この島、昔から基本的には農業とウール産業で成り立っていたという。
今は観光が主流産業であり、季節を問わずこの島には観光客が来るという。
ん、確かに、ポルトリーの町を歩いていると、みんなガンガン金を落としていっている様子が見られる。
今の時期は、ドイツ人、それに中国人が圧倒的に多い。
中国人は家族で、友人同士での旅行だが、英国留学を終えた学生が家族・友人を呼び
旅行しているもんだから、その数が半端ない・・・。

島の教育関連のコーナーで、ゲール語のことを触れていたが、スコットランド(イギリスの一部)では英語のほかに
ゲール語を国語で習わせているという。
町のタクシーの運転手が車の外に出て話している姿を見ていたら、英語ではない、英語の訛りでもない言語を使っていることに気づいた。
彼らはゲール語を使っていたんだな、きっと。
ゲール語はなんか、ノルウェーなどの言語に近いようなかんじがした。
第一次世界大戦に際し、鉄の需要が増加
鉄を扱う職業が大活躍

スカイ島の昔ながらの家
風で飛ばされないように重い石を

いまも昔も羊の毛は必要

これも面白い。
下の方にはジャマ(日本語で言うリャマ)に似たような羊もいた
ブラックフェイスか、おれが見たのは

帰りはヒッチハイクでポルトリーまで戻れたんだけど、拾ってくれたのは、
南ウェールズから来たリチャードとアレクサンドラ(両親)とスカイ島で働いているベス(娘)。
おれがボリビアで働いたことがあるっていったら、彼らはボリビアを旅したことがあるってんで、話が盛り上がり、
ベスはウェールズからこの島に働きに来たというのだけど、不動産の仕事をしているんだって。
おれはてっきり観光関係の仕事をしているもんだと思ったから不思議になって、「なんで不動産関係で働いているの?」って聞いてみた。
そしたら、「最近、島の人口が増えつつあって、不動産関係の人手が不足しているの。もともとこの島に魅力を感じていたからなんの仕事でもいいんだけどね。」と。


その日、テントサイトに戻ると、隣にはニューカッスルから来たアレックスがいた。

お互い一人だったので、夕飯を一緒に食べることにした。
彼は、バイクでの旅だったので、バイクの魅力についてたくさん語ってくれたが、
話が変わり、選挙の話になった。
「スコットランド独立のための選挙をどう思う?」
そう、来る9月16日に、イギリスではスコットランドの独立をかけた選挙が行われます。


スコットランドの地方都市では結構YESをかかげている家が多く見られたかな。
一方、エジンバラやグラスゴーなどの大都市ではNOをかかげている商店や家が多いように見えた。
これも、掲げる掲げないは自由なのだから、見た目ではどちらが優勢かなんかは全くわからない。

アレックスと話していて、どう思うって聞かれたもんだから、
「経済的に自立していけるなら大丈夫だと思うけど、観光業だけじゃちょっと不安だよね」と言うと
「スコットランドには石油があるんだ。でもこれもいずれ尽きるもの。なぜ今独立気運なのか・・・」
と、首をかしげていた。

9月16日にかけて、ポンドは動くでしょう(笑)。
ちょっとニュースに注目です。

さて、最後に、スカイ島の景色を。バスの中から撮った景色だから、
もし気に入った人がいたら、編集して送ります。
これは室内プール
学校と図書館併設の運動施設だった








というように、この島、のんびりとした時間の流れをもっていて、
なぜか不思議と引き寄せられる魅力がありました。

2014年9月5日金曜日

スカイ島めちゃめちゃ不思議で魅力的なとこでした その1

当初この島には来る予定がなかったのだが、
アメリカにいたときにマイクが「おれの旅のベスト5を選ぶとすると、そこは必ず入る」と。
70カ国以上をまわったマイクにそう言わしめるスカイ島「Isle of skye」翼をもつ島。

緯度にしたらニューヨークと同じ、北方領土の北端と同じくらいなんだけど、
行く前のイメージとしては、雲が低く垂れこめていて、風が強いというイメージ。

グラスゴーからバスで7時間。
北に来たなあという印象を受ける景色。いいねえ、このイメージ通りの雲(笑)。


ここではトレッキングができるので、ひさしぶりに歩くとする。
3日間のうち、2日間をトレッキングの時間とした。

<Old Man of Storr>
という、岩の場所。テント場から歩いて2時間くらいのところにあったので、景色も気持ち良いし、歩いて行ってみた。
いまにも降り出しそうな天気、案の定歩いている途中に降っては止みの雨。
スコットランドのイメージ通りの天気だ。
顔が黒い、角が丸まった羊たちの群れ
歩いているとじっとこちらを全員が見る
なんだか、アフリカや中南米を歩いている時の気分になってしまいます(笑)


これがそのオールドマンなんとか
実際に近くで見ると大きい



 このスカイ島は、海抜0m地帯で、そこから急に丘がぽんとでてくるので、なんだか不思議なかんじ。
というのは、丘の形が日本の山でいう3000mくらいの高さの形をしているから。
森林限界はおそらく50mくらい(日本だと2500~2800mくらい)で、海から眺めるとより不思議さがこみ上げてくる。

帰りまた2時間歩くのは嫌だなあと思っていたので、ヒッチハイクで帰ることにする。
ここスカイ島は、ヒッチハイク天国で、けっこう止まってくれる。
滞在中ほぼヒッチハイクで移動できた。


<Raasey島>
という、スカイ島の隣にある島で、
ポルトリー(島の主要都市)から20分くらいのとこからフェリーで行く。
ラジー島から見たスカイ島



丘の上から見たスカイ
 フェリー時間は20分程度。このラジー島は、かつて鉄が産出され、第一次世界大戦中には
ここから大量の鉄がスコットランド本島に送られていたという。
その名残がわずかながら残っていてそれを見ながらのトレッキング。

これは鉄を運んでいたベルトコンベアの跡

 そしてこの島の主な産業は今となっては林業と漁業、そして観光。
このフェリーで行き来、料金は往復7ポンドほど


木々が見事に伐採されているのに少し違和感を感じた。

2014年9月3日水曜日

おまかせカットinスコットランド&グラスゴーの街

カーライルの街を後にし、スカイ島への通過点として、スコットランドのグラスゴーに滞在。
なんかね、なんか横がもさってなって、気になって髪の毛を切りに行ったのですよ。
「お任せ!」ってことで。
8ポンド(1400円くらい)と安いからいいんだけど、
どんどん短くなってきている…。


このカットしてくれた彼らは、イランから出稼ぎでイングランドに来て、
カット屋さんを始めたみたい。彼とても話し好きで、おれもついついたくさん話したんだけど、
グラスゴーとても雰囲気いい街だから日本人の留学生が多そうだなと言うと、
学生は多いが、観光客は少ないんだそうだ。腕が太い彼は、日本人と中国人の見分けがつけられるという。
中国人は、学生も働いている人も観光客も非常に多いという。

ちなみに、いろんな国まわってるけど、中国人の商魂にはおそれいる。
中南米では中華料理屋さん、アフリカ東部やスペインではなんでもコンビニ屋さん、
ポルトガルでは果物屋さん、とそこに必要な職業なのか、
なくてもいいような職業なのかわからんが、とにかくどこにでもいる。
そして、マン島においても中華料理屋を発見した時には、正直たまげた。

話は戻り、イランから来た彼らの話。
で、なんでこっちに来たの?って聞いたら、
「イランの政治を見ていると、イランで働いててもだめだと思った。イランの政治は北朝鮮のようなんだ。
そして、ポンドがイランの通過より強いだろ。だからここを選んだんだ。」という。
ビザを取るのは大変だけど、と付け足しながら。

よく、特に日本人の長期旅行者から「イラン人が親切で優しい」という話を聞く。
そんな話をしたら、実際に、首都テヘランの近くに家族が住んでいる村があるというから、
近くに行ったら寄ってくれとのこと。
果たして実現するのか…楽しみなところである。


グラスゴー、特に観光的に目玉なものはないんだけど、
墓地に寄ってみた(笑)それと、教会を写真に撮ってみた。




最後に、気になってたイギリスでの看板。
Letって、賃貸しするって意味があるんだ・・・調べてみて初めてわかった。

現在、スカイ島に滞在中。ネットを使わない予定でいるので、更新は3日後くらい!

2014年9月1日月曜日

旅の中で行きたかった場所の一つ…ハドリアヌスの防壁

カーライルの町は小さく、町自体の観光は徒歩で十分。
大聖堂がなんか格好良い。

たくさんの花があふれるように咲いていたレストラン

さて、今回は長くなってしまいました。
最後まで読みきった人には、もれなく、ハドリアヌスの防壁写真(3MB)を送りますからね、
教えてくださいね(笑)。


目的の場所へはバスで移動。
「ハドリアヌスの壁」です。

ハドリアヌスというと、ピンとくる人も多いのでは。
わたしはまだ見てないですけど、テルマエロマエで市村正親さんが演じたのがその皇帝です。

話は戻り、今年3箇所目のローマ遺跡巡り。
スペインのイタリカを7月に訪れたとき、その地がハドリアヌスにゆかりがあると知りました。
前にも書いたのですが、わたくし、塩野七生氏の著作の大ファンで、
かれこれ12年以上読み続けています。
その中で『ローマ人の物語』というシリーズがありまして、ハドリアヌスに関する記載で、
いくつか印象的な場面があります。

その一つに、「皇帝ハドリアヌスは、属州で生まれ、属州で死んだ」というもの。

帝国ができてから500年を過ぎた西暦70年頃になると、
現在のイングランドもその帝国の範囲に入ってきます。
ハドリアヌスが皇帝になってから、北方民族からの侵略を防ぐために、
ハドリアヌスの防壁と後世になって呼ばれている壁が作られました。
この壁の計画をはじめ、この皇帝は在世中に帝国内のあらゆる場所を視察し、
その防衛を強固なものにしたと言われています。

その功績から、5賢帝の一人とされていて、後世評価が高い皇帝の一人なんです。
ハドリアヌスはきっと、当時のローマ帝国にとって、これから先何が必要で、
自分が今できることは何かを考えられる人だったのでしょう。



<Roman Army Museum>
要塞がここにあり、壁が築き上げられたことから、ローマ軍博物館がここにあるのも納得がいく。

この図からもわかるとおり、ハドリアヌスが周らなかったローマ帝国は、サルディーニャとコルシカのみ(それぞれ流刑地だったと記憶している)で、
あとは隈なく視察している。この当時の交通手段を考えると、時間も相当かかっただろう。
首相不在が長く続く国会…ってなかなか想像できない。
Fort(要塞)には村を隣接してつくり、兵士の家族を住まわせていたという。
そしてそこでは、しっかりとラテン語をはじめとした教育がなされていたもよう。
イギリス小話が教室の後ろに掲示されていました。
イギリスらしいなって読みながら思わず笑ってしまった

結構この博物館ハイテクで、3Dの映像があったり、
映像さんが話して授業をしてくれたり。
子どもがその様子を見て食い入るように聞き入ってました

ローマ軍団内の規律が厳しいことでも有名で、またかなり組織化された役割分担も資料として見つかっているみたい。
右は黒くて見にくいけど、くさびかたびらです。
うお、漢字で書くと、楔帷子なんだ(笑)

<Roman Vindolanda>
要塞(Fort)の跡地
ここがまた当時の様子を想像できるように可能な限り説明をしている点が嬉しい

これは浴場跡。兵士たちの憩いの場だったみたい。

いままでスペインのイタリカやモロッコの遺跡を見てきて、
遺跡は見たものの、発掘されたものなんかはあまり見れてこなかった。
ここでたくさんの発掘品が見れたことはとても嬉しかった。
いくつか写真とともに解説を。
鍵。しかも、かなり多種類の形で、今も使用されている形のものもある。

 こんだけ綺麗に残っているローマ金貨とデナリウス銀貨を見ているとわくわくしてきちゃう。
特に大きい金貨は、ハドリアヌスの時代のもの。
 ガラス細工や銀細工。精巧なものが作られていた。上は「母と父」と刻まれている。


ここで発掘されているもので、タブレットがあります。
木片にラテン文字が書かれているもの。
内容がおもしろくて、手紙に使われていたり、買い物するときのメモに使われていたり、
こういった文が解読されちゃうのだから、手紙を書いた本人が後世の世界中の人々に読まれていると知ったら苦笑するだろう。


<ハドリアヌスの防壁>
最後に、目的の壁です。
当時、陸からの侵入を防ぐのを目的に造られたのだけど、
本当に島全体を横断するように造られているからたまげる。
今でこそ当時の原型はとどめていないが、そうだったんだろうなと想像することは可能。
丘のくぼみがあろうが、崖があろうが、壁が隙間なく造られていたんだろうな。

造られた当初は土塁だったようですが、
後世に石が積まれ、今ではこれがスコットランドとイングランドを分けている線にもなっている。



土曜日だけあって、観光客多かったし、
日本人も数組見かけました

イングランドの湖水地方の北にあたるのでしょうけど、
おもしろい地形で、なんだかのんびりしているのです。
幸い、この日は晴れていて、歩いていると汗ばむくらいの陽気でしたが、
イギリスの天気はいろんな人が「陰鬱な」と表現するのを聞きます。

塩野さんは著述で、こんなニュアンスのこと(これらの言葉は使われていません)を言ってます。

スペインの陽気な天候のもと生まれたこの皇帝は、
雨が多く陰鬱な雰囲気を醸し出すブリタニカの属州地で
幾日も過ごさねばならなかったというのは、どんな気持ちでいたのだろうと。

帝国の恒久の平和を願って駆け回っていた皇帝だったんだろうな。