全世界が悲しんだ出来事だったのかなと思います。
私は、「マンデラの名もなき看守」という映画を通して、マンデラ大統領がしてきたこと等を知ったけど、1994年に、アパルトヘイトを撤廃した(選挙権を全人種が持てるという法律が成立)という出来事は、子どもの頃のことながらも覚えていました。
いまこうしてケープタウンを歩いているけど、
黒人も白人も、有色人種も普通に歩いている。
でも、20年前までは、お互いに差別をしていて、教育を均等に受ける機会を設けていなかったり、
住む場所が定められていて自由に歩けなかったり、仕事の賃金が違ったり、そういった差別を黒人や有色人種が受けていました。
特に黒人に対してひどかったようです。
ケープタウンは港町なので、とても魚のにおいがしました。 そして、レストランの近くを通ると、魚を焼く香ばしいにおいがしました |
行き帰りは、船で移動です。ケープタウンの町から7kmの距離に、ロベン島があります。
マンデラ氏だけじゃなく、ここには何千人という人が牢獄に入れられていて、
投獄理由は主に、政治に対する批判だったそうです。
その「マンデラの名もなき看守」という映画では、あまりよく覚えていないのだけど、たぶんここのことを描いていたと思われます。ちなみに上の写真は、犬小屋の写真。
向こう側に見えるのが、ケープタウンの町。ここから7kmの距離。過去に泳いで逃げようと
試みた人が2人いたが、一人は成功、もう一人は失敗し死亡したそうです。
これが囚人とされていた人たちのベッド。それを見た最初の感想。
「んっ?これは、いま泊まっているホステルのベッドよりもいいのでは?」
トルコ人の友達と一緒に周っていたのですが、 誰かと話しながらツアーできるっていいなと改めて思いました。
ここをガイドしてくれた彼は、7年間このロベン島で投獄生活をしていたそうです。
その最初の時期に、マンデラ氏と共にいたそうです。
そして彼の投獄理由は、当時の教育政策に対する批判だそうです。
教育予算が白人に対してと、黒人に対しては大きく違いがあったみたい。
ここがマンデラ氏が投獄されていた牢屋。ちなみに投獄期間は18年間だったそうです。
差別はなくならない、誰にでも心に持ちうるものというのが、私の持論ですが、
少なくとも、今のケープタウンの様子を見ていると、表面的にはないような少ない気がします。
特に、アパルトヘイトを経験している人たちの振る舞いを見ていると、
心が温まるような接し方をする人がほとんど。つまり黒人達の私有色人種に対する接し方です。
勝手な詮索ですが、差別をされていた人は差別される辛さ苦しみを知っています。
きっと「もう二度と!」という思いをもっている人もいるのだと思います。
しかし、夜街を歩いていると、若い黒人に「ヘイ!チャイニーズ!ヘイヘイヘイ!」と大声で迫ってきます。
10歳くらいの子どもにも「チャイナ!金くれ!」とせがまれます。
南米と違うのは、彼らは「しつこい」ということ。断ってもついて来る、いつまでも。
だから、もう無視しています。
若い世代に、自分達の経験を受け継いでいくという「教育」という面では、難しさが残っているように感じます。
今日は最後に、ライオンズヘッドの写真を。
右に見える丘がライオンズヘッドと呼ばれるものですが、本当にライオンが横たわってる様子に見えます。
今日も充実した一日でした。
今日は長く書いてしまいました、差別ネタになると、どうしても熱が入ってしまいます。
読んでくださり、ありがとうございました。