2015年1月31日土曜日

長崎&広島

いわゆる「負の遺産」。
ここも、どうしても「今」訪れたかったところでした。

長崎の平和資料館。
広島の平和資料館の3分の2が改装中のため閉鎖していたので、
この長崎の資料館をじっくり見ておいてよかった。
それにしても、広島の平和資料館の3分の2が2018年まで閉鎖ってどういうこと?!
時間かけすぎじゃね?って思ったけど、なんかあったのか?!
 たぶん、実寸だと思われるけど、このファットマン(ユニークでかわいいネーミングだけど、やったことは本当に非人道的)が、こんなに小さいファットマンの中で、核融合が進み、反応を起こし、
7万人もの人々、「民間人」も含んだ、その数の人々を殺戮したという事実。
おれは個人的には、いまだに「日本はアメリカの占領下」だと思っているのですが、
本来ならば、もっと声を大にして「私たちはこの民間人大虐殺を忘れていません」と言っても
おかしくはないなって。

 長崎の資料館の素晴らしいところ。
ある国の大虐殺祈念館は第一部と第二部になっていて、その第二部には、
軍国主義国家の愚かさを披露しているのと比べて、
この資料館でも第一部と第二部に分かれているが、
第二部では、核兵器の所有と現在の世の中の動向が展示されていて、
「いま世界的にこうですよ、長崎と広島でこうなったにも関わらず!」という伝え方をしていたところ。
 広島と比べて長崎への外国人観光客が少ないと感じたのは、時期的な問題だからなのか…?
 長崎を経て、福岡&山口に。
カプセルホテルの安さと快適さに惹かれたわあ。

下関の瓦そば
 広島到着。
 高校の頃に一度来たが、歴史に対する感じ方はぜんぜん違う。

 ここ広島の原爆資料館の外国人観光客の多さには驚いた。
しかし、前述したとおり、2018年まで資料館の3分の2は改装しているという。
はっきり言って、あれだけの展示だと、伝えられるものも(仕方ないんだけどさ)伝えきれないんじゃないかと思ってしまった。
日本のことだからきっと「最善は尽くしている」のだとは想像できるけれども。

宮島の景色が素晴らしかった。
 これは、宮島へ渡る広島側から見た夕暮れ。空が高く感じた。




広島では、教え子と会えたのが本当に嬉しかった。
たった7年間という短い期間の教員生活だったけど、こうして数年間かともに時を過ごした人と、
もう一度時を経て会えて話せるということがこんなにも嬉しいって、改めて感じることができた。

しかしまあ、あれだね。
実際初めて会った時から10年は経っているわけだけど、
お互いそれぞれあのときあった事なんかは、けっこう鮮明に覚えているものだなと感心したなあ。

神戸、大阪に移動します。
こうやって、日本をゆっくり移動していくってのはぜいたくだなあ。
そして、交通費がべらぼうに高いなあ・・・。

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