2014年8月22日金曜日

9・11ミュージアムができてました

 ここが、グラウンド・ゼロです。
 最近開かれた貿易センタービルの展示。
13年前の出来事だけど、あのときはしばらくテレビから離れられなかった記憶がある。
みなさんは、そのとき何してた?
ハイジャックされたルートが記されている
 バイトを終え、夜中の0時頃に家に帰ったとき、そのバイトの先輩からメールで
「世の中何が起こるかわからないね」というような内容のメールが送られてきたのを覚えている。
なんのことだかわからず、テレビをつけてみると、どの局も同じような建物から煙が上がっている。
それがニューヨークの貿易センタービルだと気づくには時間がかからなかった。

これを機に、アメリカとイラクの戦争状態が再び始まったわけだけど、アメリカに対しては、日本の世論だけじゃなく、親アメリカ国の世論は当時、同情的な意見が圧倒的に多かったと思う。
多くの民間人が犠牲になったという事実をみな知っているからかな。
これはまさに、飛行機が突っ込んだ跡の上部のビルの柱
 ここで、いま8月だし、1945年のことを想像してみる。
8月6日と9日に、二発のとてつもない殺人兵器が使われた。
そして、その兵器による民間人の犠牲は、数で言うと、この2001年の犠牲者の何十倍にもなる。

広島と長崎、いずれも日本のことである。

この階段は実際にこの場所にあったものみたいだけど、
実際の避難に使われたものみたい
当時の世界の世論は、どうだったのだろう。

今の世界の世論に、原爆犠牲国になったという日本の事実は、どううつっているのだろう。

戦争時に、とてつもなく残虐な行為をした国だから、原爆を落とされて仕方ないと思われていたのだろうか・・・。
最初に貿易センタービルが造られた時の経緯を表す写真
 よく、「日本がこれ以上侵略するのを防ぐため、戦争を早期に終結させるため」などの理由で原爆投下が正しかったとする意見を聞くけど、それは、「大多数の民間人を犠牲にしても致し方なかった」ということに私の中では解釈がつながってしまう。その当時の資料を見たり話を聞いたりすると、日本の当時の戦力では、戦争継続は難しかったのでは・・・。
でも、それは日本の、後から考えるとそうだったよな的な言い訳になるのだろうか。
戦後の歴史について、いまを生きる私たちに一番大切な時代の情報が圧倒的に少なくて、なかなか自分の中で判断が下せない。
帰国の際には、沖縄から、日本を縦断するように戻りたいと思っている。
広島も長崎もどちらも訪れたことがある場所だけど、いままた思うことは違ってくるはず。
ビルの最上部にあったアンテナ・・・
 話は元に戻るけど、展示の最後に、アルカイダの台頭と経緯や、テロリストの動きや人物についてがあった。これを見て、みんなはどう思うのだろうか・・・
最後に、この写真。消防隊の犠牲が非常に多かったこのテロ事件。職務だとはいえ、
文字通り命をかけて、任務にあたったのだと思う。
もちろん、ハイジャックされた飛行機に乗っていたパイロットたちも任務にあたっていた。
いま一緒にいる友人のマイクはパイロット。当時、この話聞いて驚いたけど、ニューヨークのJFK空港にそろそろ到着する便をパイロットしていたという。
ビルに突っ込む飛行機が見えたほどの距離にいたというし、すぐにアトランタシティまで行き、そこで待機したという話もしてくれた。
「そのミュージアムには絶対に行きたくない」と言っていた。

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