18カ国目のウルグアイに入国。
このウルグアイ、私個人的に興味があって、今まで以上に人と話していきたいと思います。
2012年のリオデジャネイロでの環境会議でのことです。ご存知の方いるでしょうか。
このことはまた今度話しますね。
さて、ブエノスアイレスでのこと。
ブラジルには2月に入国予定で、昨年もブラジルには入国しています。ですから今回二回目。
日本がブラジルにビザ取得を課しているので、
ブラジルも日本に対してビザ取得を課しています。(主権の相互尊重の原則)
ですので取得をしないといけないのですが、昨年はパラグアイのエンカルナシオンで取りました。
そのときは、即日発行でしたし、書類もあまり揃えなくてもよかったのですが、
今回はアルゼンチンのブエノスアイレスでの取得、書類についてかなり厳しいと聞いていました。
事前に揃えたのは・・・
・ブラジルアウトの航空券控え
・事前に大使館のホームページから印刷した申請書
・銀行の残高証明をするレシート(残高証明書でなくてもよいみたい)
・パスポート、銀行のカード、顔写真
でした。
さて、申請当日ですが、
担当の人に面会するのにアポが必要だから、ネットで面会の予約をし、その時間ぴったしに到着。
事前に印刷してあった申請書をもとに問答を繰り返す。
2,3日は発行に必要と聞かされていたが、次の日の午前中に取りにこいとのこと。
1日待たずして取れてしまった。
その後、ITAU銀行(ブラジルの銀行なのだが、妙に愛着がわく名前)に行って、
283ペソを支払いレシートをもらい、次の日の10時に領事館へ行き、手続き終了。無事取得。
ちなみに283ペソは、青ドルだと2300円くらい(2014年1月27日現在)、通常のレートだと3600円くらい。
宿で話していたのですが、取得できなかったという話も聞いていたので少し心配していましたが、
きっとその人たちは書類に不備があったのでは?と思いました。
2年8ヶ月で57カ国。歩き、泳いだ人生の迂回路。 And Visit my website! → http://daisuito.web.fc2.com/
2014年1月31日金曜日
2014年1月30日木曜日
アルゼンチンタンゴの本場にて
アルゼンチンタンゴは、ブエノスアイレスのボカ地区で、船乗りが男同士で酒を飲みながら踊ったことから始まったとされる。
ここで歴史があり、最も純粋なタンゴを味わえるというところへ行った。
「El Viejo Almacen」
Almacenは、まあ何でも売っているところ、食料とか燃料とか。
Viejoは、古いという意味です。
このEl Viejo Almacenは、1977年に開いたあと、
一度経営状況が悪くなり破産後一時的に閉鎖しましたが、
その後数年を経て復活。そして、今に至るという歴史をもつ。
さて、そのタンゴなのですが、私初めて見たんです、タンゴというものを。
驚きました・・・し、感動しました。近くで見れたからこそ、ここまで心を打たれたのかな。
最初はバックの演奏から始まる。
電子ピアノ、チェロ、バイオリン、バンドネオンの演奏。
特に、バンドネオンが入るのが特徴なのかな。
タンゴといったらその音が入る印象がおれにもあった。
素早い足の動き、緩急のある動き、バンドネオンのリズムあふれる音、
そして、なにより、踊り手の鍛えられた体に魅了された。
だって、女性の体見てても、肩から背中にかけての筋肉がきれいなんだ。
男性も、スーツの上から見える隆々とした体をもっていて、安定した踊りを支えている。
途中、フォルクローレが入る。顔はアルゼンチンの方の顔をしているけど、
演奏しているのは、ペルーのフォルクローレだったかな。
ひさしぶりに、サンポーニャやチャランゴの音が聞けて、
「ああ、フォルクローレを聞くのも、もうないかな」とちょっと切なくなった。
写真にはないけど、シャンソンも何曲か歌われた。
和田アキ子のような声量で、酒と夜と女というかんじの歌を歌っていて、聞き入った。
また、途中、大きな蜘蛛(2階からもはっきり見えた!)が舞台に侵入し、
踊り手たちはそれに気づかず、蜘蛛は踊りをかわすも、すぐにあえなくぺしゃっと女ダンサーに。
会場からは悲嘆と笑いの声が、というハプニングもあった。
リベルタンゴという曲が私は好きなので、楽しみにしていたんですが、
最後の方にその曲での踊りがありました。もうノリノリでした!
「El Viejo Almacen」
http://www.elviejoalmacen.com.es/
Visual Tourというページがあるので、見てみると少し体験できるかも。
それと、ビデオをあとでYoutubeにアップするので、見てみてください。
https://www.youtube.com/user/daisuito/videos
まだまだブエノスアイレスでの体験を伝え切れていないので、
次回もブエノスについてのことを書きますが、
明日、ウルグアイに移動します。
アルゼンチンには、ひと月半居たことになります。
この国では、今まで以上に様々な人に出会い、お世話になりました。
特に、ブエノスアイレスでは、与那嶺牧師ご夫妻にお世話になり、勉強させていただきました。
別れは悲しかったですが、「また会いましょう」の言葉で別れました。
もっともっと滞在したいという気持ちがあります、正直。
そして、住みたいとも思った街です。チャンスがあれば、仕事をしたい、そう思う街となりました。
ここで歴史があり、最も純粋なタンゴを味わえるというところへ行った。
「El Viejo Almacen」
Almacenは、まあ何でも売っているところ、食料とか燃料とか。
Viejoは、古いという意味です。
このEl Viejo Almacenは、1977年に開いたあと、
一度経営状況が悪くなり破産後一時的に閉鎖しましたが、
その後数年を経て復活。そして、今に至るという歴史をもつ。
こんな小さな建物に!? という印象を与えるEl Viejo Almacen |
私が行った日も1階席は満杯 私は2階席からの観覧、65ドル 知り合い旅行社の方に予約してもらいました |
隣の人に撮ってもらった写真は・・・ブレている(笑) 観覧後だったから、きっと興奮されていたんだろう・・・ |
驚きました・・・し、感動しました。近くで見れたからこそ、ここまで心を打たれたのかな。
最初はバックの演奏から始まる。
電子ピアノ、チェロ、バイオリン、バンドネオンの演奏。
特に、バンドネオンが入るのが特徴なのかな。
タンゴといったらその音が入る印象がおれにもあった。
素早い足の動き、緩急のある動き、バンドネオンのリズムあふれる音、
そして、なにより、踊り手の鍛えられた体に魅了された。
だって、女性の体見てても、肩から背中にかけての筋肉がきれいなんだ。
男性も、スーツの上から見える隆々とした体をもっていて、安定した踊りを支えている。
途中、フォルクローレが入る。顔はアルゼンチンの方の顔をしているけど、
演奏しているのは、ペルーのフォルクローレだったかな。
ひさしぶりに、サンポーニャやチャランゴの音が聞けて、
「ああ、フォルクローレを聞くのも、もうないかな」とちょっと切なくなった。
写真にはないけど、シャンソンも何曲か歌われた。
和田アキ子のような声量で、酒と夜と女というかんじの歌を歌っていて、聞き入った。
また、途中、大きな蜘蛛(2階からもはっきり見えた!)が舞台に侵入し、
踊り手たちはそれに気づかず、蜘蛛は踊りをかわすも、すぐにあえなくぺしゃっと女ダンサーに。
会場からは悲嘆と笑いの声が、というハプニングもあった。
リベルタンゴという曲が私は好きなので、楽しみにしていたんですが、
最後の方にその曲での踊りがありました。もうノリノリでした!
「El Viejo Almacen」
http://www.elviejoalmacen.com.es/
Visual Tourというページがあるので、見てみると少し体験できるかも。
それと、ビデオをあとでYoutubeにアップするので、見てみてください。
https://www.youtube.com/user/daisuito/videos
まだまだブエノスアイレスでの体験を伝え切れていないので、
次回もブエノスについてのことを書きますが、
明日、ウルグアイに移動します。
アルゼンチンには、ひと月半居たことになります。
この国では、今まで以上に様々な人に出会い、お世話になりました。
特に、ブエノスアイレスでは、与那嶺牧師ご夫妻にお世話になり、勉強させていただきました。
別れは悲しかったですが、「また会いましょう」の言葉で別れました。
もっともっと滞在したいという気持ちがあります、正直。
そして、住みたいとも思った街です。チャンスがあれば、仕事をしたい、そう思う街となりました。
2014年1月29日水曜日
ブエノスアイレスを歩いています。
まずは、有名な(?)本屋さん、劇場だったところを本屋さんにしたみたい。
舞台にはコーヒーショップ。本も多種多様なものが売られていました。
デモに遭遇。道をふさいでいました。バス労働者の待遇改善のためのデモみたい。
現在アルゼンチン政府は、輸入を全面的に禁止にしています。郵便物などはオッケーなのですが、
他国からの輸入はダメ。だから物価もどんどん高騰していくわけです。
このように、輸入してきたものも、こうやって留まっているまま・・・。経済状況が心配です。
街並みを少し。古い建物が残っているブエノスアイレスの中心街。
これは、どこかの劇場かな。
オベリスクと街並み。
いまの大統領(女性なのですが)、エビータさんのことが大好きみたいで、
街中にエビータさんの肖像が飾られています。ビルの壁面にも。
エビータさんの生涯は、映画になっていますので、興味がある方はぜひ!
このように、新札100ペソにも、エビータさん。
大通りの様子。バス停の周りに道、その周りにビル。
2014年1月28日火曜日
コロンという街に連れていっていただきました パート2
さて、続きです。
コロンでは、4日間もお世話になり、勉強させていただきました。
パストールにワークショップにて、リーダーとして、教師として、どのように子ども達を導くか、 ということの話を聴きました。 パストール・ジョン(右)はロスアンゼルス出身なので、英語での説教、 そして、ルイス牧師がスペイン語に訳してくださいました。 |
教師にとって、とても大切な価値観。私のどうも苦手な部分です、「許す」こと。
礼拝を終えた後、別れの時間でした。
この写真を載せたのには理由があって、南米では「ほっぺとほっぺを合わせて『チュ』と音を立てて抱き合ってあいさつする」のが習慣です。
さすがに、中南米に2年近くいればもう慣れますが、不思議とコロニアオキナワにいたときはできませんでした、なぜかわからないけど(笑)。
でも、アルゼンチンでは、男性同士も『チュ』と抱き合って挨拶するのには、最初やっぱり驚きました。
日本に帰ったときになんかおれしちゃいそうです、本当に。もう習慣になってるので。
許してね(笑)。
キャンプミーティングを終え、ブエノスアイレスに帰ってきました。
日曜日には、日曜学校がルイス牧師の教会であり、参加してきました。
今回、キャンプミーティングin Colonで一緒だったブラジルのチームと再会。
再びお話を聞くチャンスをいただきました。
今回は、「自分を知る」というテーマでお話を聞きました。
教会には、それぞれの国旗と千羽鶴が掲げられていました。
2011年の大震災のときには、近くのショッピングモールにも8000羽の鶴を作ってくれていたみたいです。
日本ではニュースになったでしょうか。
私は全く知らないこの事実に、感動しました。ブエノスアイレスの方々、ありがとうと。
その後、日曜の午後は、みんなで買い物にショッピングモールへ。
アルゼンチンは、アイスがとにかくうまい。各地で食べてます。
牛が多いからでしょうね、きっと。このサイズ(上)で、44ペソ。(だいたい400円かな)
夕飯は中華街でみんなで。ブエノスアイレスの北部にあります。
飲んだのは、冬瓜の甘ーいお茶。
坦々麺、かれこれ2年は食べてないのでは・・・
みんなで分け合って、たくさん食べて。
ここの中華料理、本物でした(当たり前か)。
みんなで食べる料理は楽しいし、美味しい。
そんなこんなで、ブエノスアイレスを楽しんでます。
2014年1月27日月曜日
コロンという街に連れていっていただきました パート1
ブエノスアイレスにご住まいの与那嶺ご夫妻に、
コロンという街の教会に連れていってもらいました。
ブエノスアイレスからバスで4時間ほど北上したところにあるコロン。
そこでは、ブラジルからの伝道者とともに、キャンプミーティングに参加。勉強してきました。
その教会は、与那嶺牧師の義理のお父さんが建てられたという教会で、
地域の方々も、少しずつできることを提供して協力したという。
私は、そのブラジルからの伝道者に同行し、その一員のような形でいさせてもらいました。
本当にありがたいことです。
しかし、すぐに仲良くなれるのは、相手がブラジル人だから(笑)
みなさん、本当にオープンです。
近くの別の教会で、親御さんがいない子ども達が生活していて、そこでブラジル人たちのチームは
様々な活動を通して、子どもたちに生きる力を与えていました。
この教会は、与那嶺牧師を中心にして建てたということでしたが、建設中のときは、
「つい何かを与えるときは報酬を求めてしまうけれど、『子ども達のため』となると、そういう求めはどこかに吹き飛んでしまっていた。」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。
伝道者であるブラジルからのチームのみんなが考えた活動で、
子ども達は大いに楽しんで過ごしていました。
私も、久しぶりに子どもたちと遊び、元気づけられました。
子ども達はとても純粋で、いろいろな子どもを見てきたけど、「純粋という言葉はこういう子たちにあてはまるのか」と一人で感じていました。
親御さんがいない子に対してでも、誰にでも、周りの大人が温かく包んでいる雰囲気がありました。
泊めていただいた教会では、信者の方々が、ご奉仕くださいました。
できることをできる人がということで、食事を作ってくれる人、片付けや準備をしてくれる人、掃除をしてくれる人など分かれて、そしてみんなが笑顔で提供してくださっていたことに感動しました。
そういう方々の振る舞いからも、与那嶺牧師が今までされてきたことをうかがえました。
ただいま聖書とともに勉強中。生き方を学んでいます。
パート2に続く・・・
コロンという街の教会に連れていってもらいました。
行く途中に見れた景色 久しぶりに見たこんな夕焼け |
そこでは、ブラジルからの伝道者とともに、キャンプミーティングに参加。勉強してきました。
教会内に泊めさせていただきました。 教会の壁に掲げられていた「感謝」の文字 |
地域の方々も、少しずつできることを提供して協力したという。
私は、そのブラジルからの伝道者に同行し、その一員のような形でいさせてもらいました。
本当にありがたいことです。
しかし、すぐに仲良くなれるのは、相手がブラジル人だから(笑)
みなさん、本当にオープンです。
近くの別の教会で、親御さんがいない子ども達が生活していて、そこでブラジル人たちのチームは
様々な活動を通して、子どもたちに生きる力を与えていました。
この教会は、与那嶺牧師を中心にして建てたということでしたが、建設中のときは、
「つい何かを与えるときは報酬を求めてしまうけれど、『子ども達のため』となると、そういう求めはどこかに吹き飛んでしまっていた。」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。
自己紹介を終えてから・・・ |
1日こんな活動をしますとの説明を聞き・・・ |
遊びを通して・・・ |
子ども達と仲良くなり・・・ |
作品づくりで励ましたり・・・ |
40度を超える午後もたくさん遊んで・・・ |
ミサンガも作れるようになりました ブラジル、ミサンガ作りは本場ですものね |
最後に、とことん遊んで |
暑いから水風船も使って・・・ |
伝道者であるブラジルからのチームのみんなが考えた活動で、
子ども達は大いに楽しんで過ごしていました。
私も、久しぶりに子どもたちと遊び、元気づけられました。
子ども達はとても純粋で、いろいろな子どもを見てきたけど、「純粋という言葉はこういう子たちにあてはまるのか」と一人で感じていました。
親御さんがいない子に対してでも、誰にでも、周りの大人が温かく包んでいる雰囲気がありました。
1日目の夜は、夜も40度近くで暑いけど、街全体が停電 外に出て、暑さをしのいでパシャッと一枚 車のライトが頼りです |
できることをできる人がということで、食事を作ってくれる人、片付けや準備をしてくれる人、掃除をしてくれる人など分かれて、そしてみんなが笑顔で提供してくださっていたことに感動しました。
そういう方々の振る舞いからも、与那嶺牧師が今までされてきたことをうかがえました。
この日の夜は、アサード。 アサードは、ボリビアではチュラスコと呼び、 ブラジルではシュハスコと呼びます。 焼肉です。 |
40度近い夕方から暑いかまどで肉を焼いてくれたエドゥアルドさん エドゥアルドさんからも大きな笑顔が見られました |
食後のデザートまでこうして気を遣っていただいて用意してくださった |
パート2に続く・・・
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