2012年11月29日木曜日

ワラス第2弾 ピスコ峰登山とその失敗

タイトルにもある通り、今回のピスコ峰(5725m)は失敗しました。
5400m付近で、体力のなさと時間が下山を決めました。

そして読みながらわかるより、先に書いておいたほうがいいかな。

下山途中、クレバスに落ち、死にかけました。

書くと心配させてしまうかなと思う一方、旅の記録として使っているブログなので、正直にあったことを記録しておこうと思います。

では、登れる気満々だった初日から下山までを記録していきます。

【1日目】
7時にワラスを出発、前日に装備の確認は済ませておいたのでバッグに入れるだけ。
コレクティーボに揺られて麓の町ユンガイまで移動。
ここユンガイは、8年前に訪れています。
あの像(写真左中央に見える白い像)を見ながら、8年前の自分がいたことをふと感じました。
ユンガイの町からタクシーで1時間半、ヤンガヌコ湖を横目に、ワスカラン国立公園に入る。

ヤンガヌコはこの青さが特徴。alga de marinaという植物がこの色にしているのだそうです。
てっきり、氷河から流れてくる水がこの色にしているのだと思っていました、8年間。
 8年前に来たこのヤンガヌコ湖の記憶もよみがえってきました。
今まで忘れられないくらいのインパクトがこのワラス周辺にはあったんだと思う。
この日は、3700mから4700mの小屋までの登り。雨季だけあって、常に雲が漂い、
小雨がちらつく天気。寒さだけは十分にあるので、雪が凍っているだろうなとは思っていた。
レフヒオ(避難小屋)にはガイドのエドガルと私だけ。
さすがはオフシーズンである。
6時に寝て体を休める。

【2日目】
2時に起きて準備をし、3時に出発。
外が暖かい。
エドガルには言わなかったが心の中で「雪のしまりはよくないのでは」とずっと思っていた。
気温が高いのである。雪が凍りきっていないのではないかと心配だった。
これからは気温が上がる一方だから、ダウンジャケットは必要ない。
1時間半岩場を歩く。(この時点で行動速度が遅いことが後でわかった)
もう汗だく。半そででレインジャケットのみで十分。
アイゼンを装着し、いざ、雪面へ。
いきなりの急勾配
 登り始めから急だった。
そして、雪の状態がやっぱり良くない。
ジャバジャバまではいかないけど、股下までズボッと行くことが2,3歩に一度。
これは早く上まで行って降りないとと思いながらも、息が切れ、思うように進めない。
エドガルがトップ、私がセカンドでしばらく行っていたが、交代することもあった。
夜明けが5時半くらい。周りの景色が見えるにつれ、興奮も増してくる。
 しかし、なかなか思うように前に進めない。
7時には目指すべき頂が見えてきた。

これは途中に見えた別の山。形がきれい。

エドガル。この右側の雪を登っていく。
75度を60mくらい。


ここも雪が深く、ズボズボ足が入ってしまう。
 稜線に出て、あと300mというところで、これ以上進めないとエドガルが判断。
体力と時間が今回の問題だった。
登頂断念。午前8時半。
 ここから下山。
とても心配だった、というのは雪の状態がますます悪くなっていたから。
下山後1時間、9時半、一歩進むごとに足の付け根まで沈む。
だんだんと体力も消耗してきて、うまく進めないイライラも出てきた。
そのイライラは、「滑り流れれば早く降りられる」という考えにも変わってきた。

雪面もあと100mほどとなった。

一度、滑り流れることができ、10mほど進めた。

「流れて止まるだろう」
そう安直に考えていた。

今度は、意図せず転ぶ、そして滑り流れる・・・。

アイゼン(足裏につける装備)が雪にかからない。
アックス(雪面に打ち付ける装備)が雪にひっかからない。

 やばい、と思って下を見たらクレバスが開いていた。
長さは4,5m、幅1m。
滑り落ちる体。声しか出せない。
これに落ちていくんだろうなと思いながら、滑り落ちていく。

そして、サッとクレバスに入ってしまった。
足は浮いているが、幸い両腕でクレバスの口を押さえている。

アイゼンが全く氷の壁に効かない。
自分では這い上がれないことに気づいた。
エドガルに助けを求める。
「No puedo! no mover. no puedo sostener mas. caigo!」
スペイン語で全部言っているということはエドガルにすべてを求めていたんだと
後から気づいた。エドガルになんとかしてもらうしかないのだ。
エドガルは「とにかく動くな!待て!」と言っていた。救助の準備をしていたんだと思う。

両腕がしびれてきて、「このまま落ちたら・・・」と思ってしまい、つい下を見た。
10m以上何もない。落ちたら死ぬのかもしれないと正直思った。

我慢していた時間は3-5分ほどだっただろうか。
呼吸が乱れる。

エドガルがロープを引っ張り、体を引き上げる。
それでもクレバスの口端が体にひっかかりうまくあがらない。
時間を要してクレバスから出たものの、雪が解けていてさらに下まで崩れてしまった。
そのときの流れの様子がわかるのが上の写真。
流れてしまうと、どうあがいても止まらない。

ロープがピンと張ると体が止まった。
あとはエドガルの指示通り、まず立ち、アックスを取りに行き、
エドガルの元へ、慎重に移動していく。

「助かった・・・」

助けてもらった感謝と、まだ降りていくという気持ちを新たにし、下っていくことを再開。

慎重に降りていく雪面、一歩踏み込んだときに「カランカラン・・・」と足元で音が。
ツララが折れて落下する音だ。
今歩いている下が、「空間」になっているのだ。

エドガルが「止まるな!」と。
「崩れるな、崩れるな」と心の中で祈りながら20mを降りる。

ようやく雪面が終わった・・・。
命があって本当によかった。

その後、岩場を戻り、小屋へ。
待っていたのはこの景色。


雪崩が何度も起きる、そういう時期であったし、そういう天気だった。
行けると判断したのも、下山を判断したのも、エドガル。
そして、体力のなさによる行動時間の遅れ。
死にたくないと瞬間強く思った。

【3日目】
疲れを十分に取り、6時に小屋を出発。
10時半、登山事務所に到着、ワラスに向けて出発。
12時半、ワラス着。



いままで好んでやってきたトレッキングの延長で、雪山登山を考えていたかもしれない。
これを機に、登山に対する考え方を改めようと思った。


恥をしのんでこの失敗談をアップする。
楽しめた登山であったのは事実。しかし、山は怖いと感じたのも事実。

無事であって本当によかった。
そして、心配させてしまってすみません。
いま元気です。
元気に首都リマに向かっています。

2012年11月26日月曜日

ワラス第一弾 Cojup峠トレッキング

宿でネットがつながったのでアップできました。
ワラスで登るピスコ峰の前に高度順応とトレーニングを兼ねて、
コフプ峠という5000mの峠を越えてきました。

3日間の行程で、かなり体力に余裕がある状態で終えたので、
ピスコ峰が楽しみになってきました。

ワラスから車で1時間、ワスカラン国立公園入り口で
65ソル(2000円くらい)の入園料を払う。ツアー代金に含めてくれなかった・・・
15日間くらい有効なので、ピスコもこれでいける。
 で、おもしろいのは、聞く人聞く人チケットの有効期間が違う(笑)
ガイドのエドガルに聞くと、「だいたい2週間くらいじゃない?」というし、
公園管理の人が言うには「15日・・・いや20日間くらい大丈夫。」という。
言い直したところがおもしろかった。おまえ、管理してんじゃないのか(笑)!

この地域、動物が放牧されていて、動物の周りに人がいないのがなんだか不思議だった。
そこいらに骨が落ちていた。

Huariワリの文化があった地で、3000年くらい前の建築物だという。
それにしてはよくできていたが。山の間をぬって人々は村から村を移動し、交易等をしていたが、
そのときの宿泊施設にもなったという。

チャスキという郵便屋さんが以前活躍していました。
村から村へと伝達する役目を果たす人です。
日本では、チャスキというサンダルが一昨年あたりから売られています。
チャスキの文化は最近まであったようです。

万年雪をいただくプカランラ峰

1日目は、雨季にもかかわらずほぼ快晴。

夕刻、空が真っ青になる瞬間を・・・とらえ切れなかった画(笑)
いい時間でした。


上の山の反対側を見れば、綺麗な夕焼け。
これは、サンフアン峰。

2日目は、天気悪かったっす。
とにかく広いこのコース。

雨と言うより、雪でした

コフプ峠を通過。

ガイドのエドガル、エドガルの濃い顔とわたくしの薄い顔のギャップがナイスでした。

このように谷を抜けていくようなかんじのトレッキング。

「馬、草食らう」の接写。

最終日3日目の出発。大雨の翌朝というかんじの霧。
テント浸水、修復せねば。

帰ってきたら宿の子がクリスマスツリーのかざりつけをしてました。
もう1ヶ月あまりで今年が終わるのか・・・。
って、きみ、かわいすぎるぞ!
行動時間
1日目 6時間
2日目 6時間
3日目 3時間半

マンツーで登ってたもんだから、一人で物思いにふける時間がたくさんあった。
景色も似ていたもんだから、アメリカのジョンミューアトレイルを思い出した。

2012年11月23日金曜日

ワラスに到着

ワラスという町に到着。
ここは、8年前のペルー旅行で最後に訪れた思い出深き場所。

ここで、トレッキングと登山をします。

一つ目は、トレッキングでワラス近郊の山々をぬっていきます。
高さ的には4000から5500mを縫っていくかんじです。

二つ目は、チャレンジ登山になります。
ピスコ峰という山で5500m程度の高さですが、少し技術が必要で、
ガイドとマンツーマンです。

どちらも3日間。
うまくいけば、合間にアップできると思いますが、
時間がなかったりすると、29日以降のアップになりそう。

じゃあ、行ってきます。

そうだ、8年前の若かりし旅の写真を載せましょう。
思い出します、ナスカで酔ったフライトと雨の中歩いたマチュピチュ。
そして、真っ青な空に圧倒されたカニョン・デル・コルカ。
上に見えるのは二等辺三角形

アストロノウトと説明していましたが、どうみてもガチャピン

ホエールといっていたのを覚えています。
地上絵は、大きな石や小石をのけて、下にある白地の地面をさらすと
陰影をつけられ、それが絵になっているというものです

ペロ、犬です


次、右側!次、左側に何々!みたいに忙しいフライト30分でした。
これは、サルです。

偉大なる歴史をもつ街、クスコ。
インカ帝国の元首都です。

マチュピチュ近くには、段々畑が多く見られます。
この画が撮りたくて、ポジション探しを雨の中していたように記憶しています。


たしか、いけにえの儀式をする石だったような・・・

日時計
アレキパから黙々と高度を上げていき、カニョン(キャニオン=谷)にたどり着きました。
この近くの町(カバナコンデという名前)に宿をとったときが衝撃だった。
バスの中で高山病になったんだけど、苦しんでいる途中で一人のおっさんに「宿、うち来ない?」と。
いくら?って聞いたら「5ソルだ」という。5ソルは当時も今もあまり変わらず、だいたい150円。
驚いたよ。
 

2012年11月21日水曜日

レイメバンバ博物館

チャチャポヤスから車で2時間半。これも言わずもがな悪路・・・。
レイメバンバというところに到着。ここでの目的は博物館。
レイメバンバ博物館では、チャチャポヤ文化に生きた人々のミイラがあります。
近くのコンドル湖という湖の壁(というか崖)に埋葬されていた人々が発掘され、
その後ここに展示されています。

レイメバンバの町で近くの町の大学生たちと合流。というか教授が一緒のバスに招いてくれ、
いろいろと話をしました。うれしい出会いでした。
学生達も臆することなく、私を連れて環境の話をしてくれたり、日本に興味をもってくれたり
ありがたい出会いでした。
ペピーノという果物を学生がくれました。

中身はこんなかんじ、
スイカのような味で、ジューシーで甘い

ここでしか見られない鳥ということで、
環境について学んでいた学生たちは興奮していた
その学生達と写真を撮ったのですが、教授が撮ってくれたので、送られてくるまで待ちます。
教授は、日本にも何回か来日されたことがある方で、日本語を話し、
六本木の夜について熱く語ってくれました(笑)とても素敵な方でした。
博物館の近くにはこのような遺跡?それとも農業で使用している壁?
みたいなものも見かけられました。

これが、レイメバンバ博物館にあるミイラたち。
特徴的なのは、布がかけられ、顔や体に絵が描かれていたこと。
そして、壁に埋められていたことがこの地域の埋葬方法の特徴。

レイメバンバからみえる一枚岩
そしてその後、カハマルカに向けてまた悪路を走る。
次回は、カハマルカのインカ温泉について。ここ超感動した。

2012年11月20日火曜日

クエラップ遺跡、雲上の都市でした

いまカハマルカという町にいるのですが、明日ゆっくり温泉につかってきます。
その名も「インカの温泉」・・・、どんなのだか。

ペルー北部のチャチャポヤスというところから移動してきたのですが、
クソ悪路を14時間移動した上、2度のパンクに見舞われました。
・・・ついてるな、おれ。

まあ無事転落せずに着いたのでよしとします。

さて、チャチャポヤスというところでは、クエラップ遺跡を見てきました。
このクエラップ遺跡は、標高3000m近いところに都市があったというところなのです。
マチュピチュを今回はパスするので、気持ち、その代わりにと思ったのですが、
実際、個人的にはマチュピチュと比してもそん色なく感動できるところでした。
チャチャポヤス文化が花開いたところで、軍事的にも祭祀的にも大きな都市だったといえるようです。
紀元前400年から紀元後1500年、つまりインカ帝国が滅ぼすまで栄えたようで、
なんと1000年間も、独自の生活様式を守っていたようです。

個人で行くの大変そうだったから、ツアーで行きました。
チャチャポヤスから2時間くらい山を縫って進む。
パッチワークのような山肌が素敵。

入り口から少し歩くと、遺跡が見え始める。

山頂の広範囲に遺跡が残っている。

遺跡自体の入り口はここ。


ここにもリャマさん。そうだ、スペイン語では「ジャマ」或いは「ヤマ」と発音します。
リャマは日本語にした読み方です。

これ家の壁に装飾が、「Ojos」と言っていたので、目のことでしょう。

この穴は、家の内部に掘ってあるのですが、
家族の遺体を埋めて、生きているものと共に同じ場所で
時を過ごしていたということでした。
何層も遺体を重ねてその上に石のふたをしていたとのこと。
当時の家々を再現したもの。
とんがり帽子の屋根。

このように数多くの家が居住区には建っていて、
それを想像すると、感動しました。

祭祀的に使用していた、高さ5mの施設。

ここは最大3000人が居住していたそうで、
一つの家の大きさはだいたい8mほど。
石でできている壁ですが、その石の90%はここで採石されたとのこと。

ここもマチュピチュ同様、石切の技術があったようです。
マチュピチュよりも時代は圧倒的に早いです。
そして、頭蓋骨手術の形跡もあったようです。

これだけ立派に遺跡が残っているのは、なかなか素晴らしいと思いました。

ペルー北部、なかなかに深く(地理的にも)、足を運ぶのに正直困難です。
見れる範囲で見ていこうと思っています。

次回の投稿は、レイメバンバのミイラ博物館について。