チクラヨ近くにある遺跡をツアーでまわりました。
1日40ソル(1300円くらい)で4箇所の遺跡や博物館をまわります。
ガイド料とバスなどの移動費のみでした。昼食と入場料は別途支払わなければなりません。
ペルーの遺跡をまわる前に頭を整理しようと思い、ガイドにバスの中でペルー北部の文化文明について聞きました。
クビスニク王国・・・紀元前500年まで
モチェ文化(シパン王による)・・・紀元後100-700年
シカン文化・・・紀元後700年-1375年
チムー文化・・・紀元後1100年-1500年
インカ文明・・・紀元後1430年-1530年
スペインの侵略・・・紀元後1532年-
ガイドさんの話によるとこんなかんじで、有名なナスカ文明などは、
ペルー南部になり、モチェの文化と時期が重なっています。
北部から南部にかけても、また現在の国境は関係なく、交易や侵略があったのは他の文化文明と同じだそうです。
チクラヨでは、モチェの文化(シパン博物館)とシカン文化の遺跡(ワカ・ローロ)と博物館を見に行きました。
モチェから整理していきます。
なんかこうやって書いていかないと、混乱したまま次の遺跡、次の文化ってなってしまいそうで・・・。もうすでに、シパンとシカンが区別つかなくなっています。
まずは、モチェ文化のシパン王墓博物館から。
ここは写真撮影禁止、荷物預かりという超厳重チェックで入場。
ですから写真が残っておりません。
モチェ文化の遺跡にはこれから向かいますので、そのときに詳しく書きます。(と、自分にいい気駆る。)
モチェ王国最後の王がセニョール・デ・シパンというのですが、その方が発見されたのが最近で、1987年だということ。そしてその王墓から大量の金銀細工が出土されたということ。
博物館内で、金細工を見たのですが、精巧という言葉に尽きる。
また、モチェの文化では、いろいろな神がいて(ローマの古代宗教みたいですね)、中にはカングレホ(カニ)やプルポ(たこ)を模した神もいたそうな。いま現在、セビーチェで大変お世話になっております。
では、モチェはこのへんで。
次に、シカン文化。
シカン文化は、モチェに次いで出てきた文化です。ここも、黄金が関係していて、出土・発見も最近です。
そして、発見者は、日本人の島田博士という方で、この地域の方々やガイドは、この島田博士をAdmireしていました。Admire・・・適切な言葉が見つからないのでそのまま使います。
発見された中の一つ、ワカ・ローロ(黄金の墓)に行きました。
「ワカHuaca=墓、ローロoro=金」という意味で、今では大規模墓地として位置づけられています。
模型があると想像しやすくて助かる |
墓の形がなんとなくわかる・・・? |
30度くらいあるよねと参加者で話していたけど、 ガイドは「18度!」と。たしかに風はあったけどさー笑 |
至るところに貝殻。装飾品としても貝殻が多数発見されている。 交易もさかんであったよう。 |
家族のマーク、家紋みたいなものでしょうか、 そういったものがあったそうです。 |
これちょっとインパクトあるんですが、 王の首はなく、逆さまに埋葬されていたそうです。 そして、あるべき頭のところには黄金マスクが。 ちなみにこれは東の墓。 |
西の墓にはこのように埋葬されていたそうな。 こちらの王は、家族や他の生き物が装飾品と共に埋葬されていたそうな。 |
黄金装飾ですが、精巧です。 ここまでの鋳造技術があったのですね。 日本も大仏を鋳造していた時期です。 |
出土した黄金マスク 日本でも2009年くらいに展示されたそうです。 見に行った方いるんじゃないかな? |
超でかイヤリング |
ちなみに、今日移動してきたチャチャポヤスというところで、チャチャポヤス文化に触れてきました。
その話はまた次回。
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