2014年12月31日水曜日

2014年、歩き続けました。また、来年会いましょう。

南米の南端から始まった2014年。
ブラジルからアフリカへ飛び、日本に一時帰国、ヨーロッパと中東、アメリカ、アジアって
めちゃめちゃまわったな。
今年のハイライトは、なんといっても、1ヶ月間の水泳漬け月間(笑)
旅したいんじゃなくて、水泳がしたいのね、おれは・・・(笑)
特にこの水泳月間のみならず、「友人・家族に支えられて」旅をしているという事実を
再確認しました。声に出してこうして応援してくれるのは嬉しいですし、おれもみんなの生活を応援したくなります。


あまり生産的なことをしていない1年だったなあと思いますが、
まあ、旅人ですからね、こんなもんかな。


今年の年越しは、安心できるところでゆっくり過ごしてます。
この旅、少し長くなりすぎました。
来年2015年、自分が満足したかたちでは終わらせようと思います。

それでは、みなさま、よいお年をお迎えください。

2014年12月29日月曜日

タンジャーブール、とても魅力的な街だった

移動続きの毎日で、いたいのは「街の名前が覚えられない」。
長いともうお手上げ。がっつんがっつん移動しているから、街の名前は覚えられないまま次に行く。

じつは、街の名前に限ったことではなく、
旅全体の記憶自体も、薄いものになっていると感じていまる今日この頃。
こうも長い期間旅をしていると、正直、感動が薄れたり、印象があまりなく過ぎてしまう場所や人。
これが最近頭をもたげています。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

このタンジャーブールは、紀元1000年頃に栄えたチョーラ朝の首都だった街で、
最盛期だったラージャラージャが権威誇示のために建てたとされるブリハディーシュワラ寺院がある街。
もおおおおおお、ここも圧倒された!しかも、入場料とらない!
なんですか、この彫刻!
門塔は、このチョーラ朝を越えて新しくなってくると、だんだんと高くなるみたい。
 ここでも、写真を撮ってくれ、だとか、撮ってもいい?だとか、すさまじかった。
「撮った写真を送って!」って住所を書いてきたんだけど、めずらしく、パソコン等のメアドを持っていなかった。少し新鮮なやりとりだったので、印刷してその住所に送ることにした。
タンジャーブールでは、赤いサリーを着ている信者が多く、その綺麗さにぐっと見入っちゃった。

 本堂を外から見た時のこの斜面の一直線加減!たまらん!
そしてこの高さ60mというのも、インド建築でも高い建築物の一つだとか。

これが本堂の後ろ姿
さらにさらに!本堂の上に乗っている大きな石…80トン強の重さがあるらしいのですが、
この石を本堂の頭に乗せるにあたっては、傾斜を6kmの長さ作り、ごろごろ引っ張っていって乗っけたらしい。それだけの高さがあると、その距離が必要なんだって感心したが、6km先まで続く傾斜も、それはそれで見てみたいものだ。
回廊には無数のリンガ
このリンガは、信者の寄付によって大量に造られたという

ヒンドゥーの神々のひとり
柱に書かれていた文字
彫られたヒンドゥーの神々

撮れ!と言われて撮った
本堂全体
中にはヒンドゥー教徒しか入れないとガイドには書かれていましたが、
入口で少し躊躇していると、信徒の人々が「入れ入れ!」と声をかけてくれた。

教徒が大リンガ(シヴァ神の象徴)に祈りを捧げながら、
私も祈りを捧げて、ちょこっと額に塗ってもらいました。「Japan,Welcome to India」と言われながら。
ただ単純に手を合わせるだけなんだけど、なんだか心が落ち着く。


帰り際、赤い服を着たおかあさんが、「ほれ」と言って、お菓子をくれた
それに釣られてほいほいと家族のほうに寄っていったおれ
タンジャブールの近くの村から来たという

ここだけで、タンジャブールに来た価値があるって、自分で満足して引き上げていこうとした帰り・・・

街のオールドバスターミナル付近で「典型的な南インド料理やってます!」とうたってる店に入って夕飯食べたのね。
このレストラン、席数64のわりに、従業員が料理人を除いても12人。はっきり言って邪魔である。
インドの人件費が異常なまでに安いというのは納得である。
ドアを開け閉めするだけの人、
食器を引き下げるだけの人、
まあ、しっかりと機能してくれればいいんだけどさ、邪魔でも。

カレーとナンのセットメニューみたいのがあり、75ルピーで安いから、それを頼んだわけ。
それに水と、プルカというナンに似たのを追加で。
計算では全部で110ルピーなんだけど、会計時には165ルピーになってんのよ。
日本円にして110円の誤差なんだけど、これ不思議ね、ヨーロッパあたりにいると、「まあ100円分くらいはチップで」とか考えちゃうんだけど、インドにいるとこの100円分の差が大きく感じる。

…きましたよー、Theインド人!南東アフリカでも似たようなことがしばしば起こったが、
地味に盛ってくる
常套手段だ。
今回はセットメニューで頼んだものが、それぞれ単品の値段で計算されていたことが原因。
「おれこうは頼んでないから、値段をもう一度確認してくれない?」というと、頑固にも断るおじさん店員。
おうおう、そう来るんだったら・・・よし、始めようではないか。
しかし、すでにもうドアウェー。店員15人以上がおれを悪者扱いでガン見。
おい、これはおれのせいではないぞ。
あんたの聞き間違いが導いた結果でしょうに!
そう言うと、「警察に連れていく!」と激昂する彼。
おれはそうしてもらったほうが助かるので、
「じゃあ行こう」と言うと、
「いや~ちょ、ちょ、ちょ・・・それはちょっと待ってくれ!」とオーナーらしき人に止められる。
ったく、しょうがねーなーまったく連携が取れていない。
そして、なんなんだこいつらの芯の無さは!!!
結局、すったもんだの挙句、「おれが食べたぶん」だけ正確に払い、全店員に追い出される形で撤収。
せっかく、この街いい印象で出たかったのに!
南部でよく食べたマサラドーサ
ぱりぱりの生地がクレープみたいで美味しそうなんだけど、
すっぱいだよね(笑)

2014年12月26日金曜日

ティルパランクンドラム

・・・ティルパランクンドラム。
まず、名前が正確に言えない。
マドゥライから8km離れたところにあるこのティルパランクンドラム、
リキシャに頼むと、行って帰ってで200だの300ルピーだの言う、ちと高いな。
時間もあることだし、バスで行くことにした。バスだと往復で18ルピー。
サドゥっていうんでしたっけ、この方たち
 「ティルパランクンドラム」は「丘の上の高いところにある神」という意味らしく、その当時の君主ムルガンという人が住んでいたところらしい。
(40ルピーでガイドブックを買ったが、読み進めていくうちに名前や地名やらなにがなんだかわからなくなり途中で読むのを諦めた)

浅草の仲見世を幅広く、しかし簡素にした商店街を抜けると、
目の前に丘を背景にした門塔(ゴープラム)が立っていた。
この丘自体がシヴァ神の象徴であるリンガを表しているという。

バターくさいロウソク
 靴を預け裸足になり神殿の奥に進むと、入場料無料の入口と100ルピーを払い先にすぐ進める道と分かれている。
もちろんほとんどみんな無料の道を選ぶわけで、大行列。
ロウソクの代わりに、きっとバターを使っているらしく、甘ったるいにおいを充満させている空間を抜け、御神体を目指す。
バターくさい広場
一枚、その場の雰囲気を写真に撮りたいと思い、シャッターをきったら、
怒った形相のおじいちゃまに、「写真は撮っちゃいかんやろがこのボケえええがああああ!」と叱責されました、ごもっともです。
 ヒンドゥーの神々についてはいまだにわからない。
わからないから、石像を見てもなにがなんだか。こればっかりは、あらかじめ勉強するべきだった。
列に身を任せて出口へ進むと、出口付近では、にたーっと笑ったサドゥの方々がお布施をちょーだいとばかりに手を伸ばす。
少し渡すと、なにやら呪文のようなものを言いながらおれの頭の上でくるくる手を回しだした。
最後になかなかいい発音で「Have a good day!」と言われ、おお英語が話せるのねこの方たち!って驚いた。

門前町のおもちゃ売り
一個20円程度
 帰り際、「おい、おれとS○Xするか?」と誘ってきた濃紅の服の男。
ゲイが多いのは別にかまわないが、そういった誘いをするんでない。おれは女性が大好きだ。

南インドの料理
バナナの葉っぱの上にご飯やら数種類のカレーやらをどさっと置いて混ぜて食べる

サドゥの方たち
昼飯を食う定食屋では、サドゥの方たちは、ある家族がご飯代をすべて提供していて、その家族にありがたそうな言葉をかけていたのが印象的だった。

2014年12月25日木曜日

マドゥライの街

少しといってもたった2日間だったんだけど、まあゆっくりできたほうかな。
こういう門塔がたくさんありました、このマドゥライという町には
そして、金曜の夜に、特に人が集まり、外からも祈りをささげていたが、
音楽に合わせて歌いながら参拝するのが特徴的だった

バイク多し!

おれのバイクだで!
このマドゥライのミーナークシー寺院の門塔は東西南北と4つあるんだけど、
どれも高く、彫刻がきれいだった

特にこの南門に圧倒された

 カーニャクマリからのバスで知り合った、ラスベガスに倉庫があるケビンと出会い、彼と行動。
ケビンは、仕事をリタイアする前から、ラスベガスのカジノでポーカーをして生計を立て、
山歩きを何ヶ月もして人生を楽しむアメリカ人。倉庫にはすべての家財道具を入れているという。
おれが旅の前半に歩いたジョンミューアトレイルももちろん歩いているし、
5ヶ月以上を費やしたというパシフィックトレイルも、東海岸のアパレイシアントレイルも歩いている。
おれの英語にうまく合わせてくれる話し方で、独特のペースがある人だったが、
人生を楽しむって点で、おもしろい生き方をしている人だった。

彼とは行動する場所が違い、お互い泊まるところも遠くだったため、夜から別行動。


夜、ミーナークシー寺院へ行ったが、夜になると特に信徒が多く集まるみたい。
夜境内を、山車がまわっていた
上半身裸の信徒達が、額に白と赤の印をつけて闊歩している。
1日1万人はこのマドゥライのミーナークシー寺院を訪れるというが、全くその通りだと頷ける、人の数。
あなたたちは信仰のために来ているんですよね?ということなどを聞きたかったのだが、
なにせ英語はほとんど通じない…
くわー、もどかしい。

寺院の中にあった壁画

そうして1時間くらいは外で並んでいただろうが、彼らは見事に一列に並んで待つのである。
あの、駅でチケットを買ったり、売店ですかさず横から割り込んでものを買ったりするときのずうずうしいインドらしさを全く見せない。
なんだかほほえましい…
そして、おれは何を勘違いしたのか、入場料を払わないといけないゲートに並ぶべきところを、
ヒンディーの列に1時間も並んでいたのだった。
それがわかったときに「いいよ、お前も中にはいっちまえ!」と周りで言ってくれたのはありがたかったが、こっそりと列を抜けて神殿内を見て回った。
カメラは50ルピー払わないといけないとのことだったが、携帯は持ち込みOKだったので、
携帯で撮った(笑)。

いろいろなヒンドゥーの神様が博物館内に展示されていたけど、
こうやって自分の、或いは会社の名刺を入れる習慣があるみたい

2014年12月24日水曜日

ムンバイから飛んでティルヴァナンタプラム

友人とスリランカで会う予定だったが、急遽友人が来れなくなったので、南インドをゆっくりと回ることにした。

ムンバイの国内ターミナルでは、「まったくもお、こいつらバカだなあ・・・」って苦笑いすることが。
エアインディアは、他のLCCのターミナルとは少し離れている場所にあり、
といっても5分歩けば着くところなんだけど、
そこをなんとしてもタクシーかリキシャを使わせたいらしい、インド人たちは。
ここから歩くと1時間の距離にあるよ!」とか
彼らの腕時計を1時間ずらしておいて「何時に出発?えっ、もう時間ないよ、リキシャで送ってくよ!」とか

・・・しょーもない嘘をつく。
しかし、これが愛らしい。
なぜなら、絶対にだまされない、笑って済ませられるからだ。


早朝ムンバイを出発したエアインディアは、ティル…ナントカに2時間で到着。
乾季でさえもこのむっとした暑さ。
空港から街のバスターミナルまで100ルピーは今考えると多かったな。50ルピーくらいの距離だ。
この日はインドの南端のカーニャクマリを目指すため、ローカルバスを2本乗り継ぎ。
3時間近く乗っても、50ルピー程度(100円程度)で行けてしまったと思う。
ヤシの木が生える、岩山そびえる、そしてこの蒸し暑い感じは、
ボリビアのサンタクルス州を思い出す。
もしかしたら、緯度は同じくらいなのかもしれない。


なつかしい雰囲気を感じながら、バスでたまたま隣に座った若者はゲイで、
君可愛い顔してるから声かけちゃったと言われたんだけど、34のおっさんがかわいいと言われるほど気持ち悪いものはない。
南インドを旅していて、結構な確率でゲイに会う。性に対して寛容な社会なのかなあと感じた。

乗り継ぎのバスでは彼に大いに助けてもらい、南端のカーニャクマリに到着。
ここでの目的は、「海に沈む夕日を眺める」というもの。
なにせここは、インド洋、アラビア海、ベンガル湾という3つの大きな海が重なる場所。
気持ちもなんだか、あれ、この海綺麗なんじゃないって思うほど。
タミルナードゥ州の聖地巡礼はだいたいこんな格好でした

商店街



 ここはヒンドゥー教の聖地であり、多くの信徒が巡礼に来ていた。
そしてそこではしゃぐ男たち、沐浴をするおばあちゃん、高い波にはしゃぎながらも沐浴っぽく水を浴びる子どもたち。


2014年12月22日月曜日

アジャンター遺跡にもたまげた

こちらはバススタンドがアウランガバードにあり、そのアウランガバードのバススタンドからバスで3時間の距離にある。
こちらもデカン高原に位置する場所であり、乾季でも暑い。高原というよりも、盆地?のイメージ。

エローラ遺跡が石窟の中に彫刻を残しているのに対し、アジャンターは石窟の中に壁画がだいぶ残っているという。
入口に向かって歩いていると、「Dai、Daaaaaai!」と名前を呼ぶ声が。
しかし、ここに知り合いはいないはず、と思いながら先に進むと、ぐいっと腕を掴まれた。
おお、なんと昨日エローラで会った子達じゃないか!おれの名前を覚えてくれていたのか。
それに教師も声をかけてくれて、明るい方たちに癒された。
しかし、改めて名前を聞くが、ぐわーっと再度紹介されたもんで、誰ひとり名前を覚えられずさようなら…。


アジャンター遺跡を見ながら、イスラエルのエルサレムから来たタニアと話が合い、一緒に観光することに。彼女も旅好きで、今年6回旅に出ているという。
本職がガイドであるので、趣味が仕事に活かせる点ではいいなあと思った。
彼女はユダヤ人だが、もともとロシアにルーツをもち、両親がイスラエルに移住を決めたとのこと。
イスラエル、おれ最近言ったもんだから、彼女のイスラエルとパレスチナの話は実に興味深い。
そして、物価の高さの話もしたんだが、暮らしている当人たちも苦しいという。

ここは第一窟が一番の見所としてガイドブックでは詳しく書かれているが、
石窟内部が暗いということもあり、ガイドブックを十分に見ることができず、情報を処理しきれない。
あああすごいなあ、あああ残ってるんだなあああ、という感想ぐらいしか思い当たらない(笑)
説明もできないので、写真を載せるだけにしておきます。









アウランガバードに帰ってきて、ホテルに戻ると、失くしたチケットの再発行を旅行会社とホテルでしてくれ、
なんとかムンバイに戻ってこれました。
しかし、1泊800円のホテルがするサービスにしてはとてもとても気持ちがよいものだった。

結婚式の時期らしく、おそらく披露宴での花火であろう