2012年10月20日土曜日

メデジンという街で その1

メデジンに移動するバスはカルタヘナから13時間くらいかかった。
コロンビアの人たちは旅行者に明るく声をかけてくれる人が多い。
バスでたまたま隣になったおっさんは、
「東京から来たのか、それで、東京の津波の被害はもう大丈夫なのかい?」
と声をかけてくれた。
何気ない会話なんだけど、嬉しい瞬間だった。

南米コロンビアでは、中米と大きく異なることがあった。
・接客に笑顔がついてくる。
・トイレの場所を探していると、トイレ探してるのか?あっちだよと教えてくれる。
・ハポネスだというと、チーノを訂正してくれる、ごめんという言葉つきで。
今まで緊張していた人との接触が一気に緩む。
そんなかんじで、メデジンに入りました。


さて、メデジンという街は日本であまり知られていないのかなと思っています。
というのは、結構旅行好きなわたくし、でも、この街の名前を「ある人」から聞くまで知りませんでした。
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その「ある人」とは、パナマのプエルトリンド、出航前に会いました。
ほんの4時間程度の時間です。しかし、印象深い出会いでした。

プエルトリンドで出航待ちしていたわたくし、そこで一人の初老の日本人と出会いました。
その方は、ロサンゼルスの近くパサデナで40年近く生活をし、日系企業に勤め、
引退し、ヨットで世界をまわっているという方でした。
その方の話が非常に興味深く、またパサデナという土地(今夏ちょうど訪れた場所、パサデナでお世話になった家族の話をまだしていません。機を見てしたいと思っています。)に住まわれていたということもあり、また人生経験豊かな方の話ということもあり、非常に盛り上がりました。

そこで、これからコロンビアに向かうという旨を伝えると、
「負担じゃなければ、コロンビアのメデジンという街の私の友人に『おれは元気だ』と伝えてほしい。以前私が大病をしたときに必死に看病をしてくれた友人なんだ。ただその言葉を伝えてくれるだけでいいんだ。電話番号と彼の名前、それと電話するための料金を渡す。」
と、相談を受けました。快く引き受け、メデジン行きが決定したのです。

このことがなければ、メデジンは通り過ぎていました。
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メデジンに着いた次の日、早速その方の携帯に電話をかけると、仕事中にもかかわらず電話にでてくれて、「Kenの友人の大輔といいます。彼とプエルトリンドでお会いしました。そして『彼は元気です』それだけを伝えにきました。」と話すと、
「いまからそっちに向かう、待っててくれ」と。

そして、すぐに駆けつけてくれました。

彼の名前はVincenteさん。
本当に優しさが溢れる、友人思いのメデジン人です。

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