響きが好きで、昔からなんとなく行ってみたいところでしたが、ついに!
主に、王族が住む場所と王の妻たちが住む集合施設を訪れました。
一般市民は、この施設の周りに住んでいたようです。
多いときは25000人がこの一帯に住んでいたという。
丁寧そうに修復作業をしていた人 |
それほど大きくなく、南米ペルーのインカの文化に非常に似ているものでした。
ペルーの北部にチャチャポヤス、クエラップ遺跡のほうが大きさ的には大きかったような気がしますし、圧倒されたので、今回それほどインパクトはありませんでした。
でも、ガイドと半日じっくり話しながらまわれたおかげで、
ジンバブエで使われているショナ語を少しだけ習えて、ショナ族の踊りを体験。
楽器もすこし触れました。改めて思ったのは、「あ、おれって音感なかったな」ってこと。
観光客が来ると、家々から「よいしょ」といったかんじで 広場に集まり、服装を着用、楽器を演奏してくれる チップが必要 |
ショナ族のダンスで使われていた楽器 これはふくらはぎの部分につけていた |
それはさておき、グレートジンバブエの歴史をメモしておこう。
13世紀ごろから17世紀ごろに栄えた部族による建築だと言われていて、
石切りの技術があったという。
火で熱した石を急速に水で冷やすことで割れやすくなった花崗岩をうまい具合に形作り、
壁にしたり、建築に使っていったという。
中国とも交易していたそうで、陶磁器が発掘されていました。
ここは、宗教的儀式(主に雨乞い)に使われた広場 ステージがあって、客席があって。 |
うしろから付いていったんだけど、 このガイドの歩く後姿がかわいい。 腕を後ろに振るときに背中よりも後ろに振るもんだから ふわふわ浮かんでいるように歩いていた |
ちなみに、上の写真の内部がこの写真 塀はだいたい10m程度 |
この塔と2本の木が国のシンボルにもなっているそうな。 |
こちらは集合施設の入り口 |
この王国も、例外なく、衰退の時期が来たそうですが、
人口増加と内部分裂により王国は破綻を迎えたという。
ガイドのケリーナはとても勉強意欲旺盛な24歳。
日本語を少し覚えたいというから、ショナ語と交換に少し教えました。
ここでガイド付けてよかったなあと思いました。ケリーナ、マイタバサ!!
そろそろ、ジンバブエを出国する時期が近づいてきました。
現地時間火曜日には、モザンビークに向かいます。
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