2014年4月13日日曜日

ジェノサイド(大量虐殺)

そのとき14歳、水泳とゲームに夢中だった思春期真っ只中だった私は、
アフリカのとある国で、100日間で100万人(一説によると)が殺されたという事件は、
全く耳に入ってこなかった。
果たして日本のニュースで取り上げていたかどうかも今となっては分からない。
だって、1992年から起きたボスニアヘルツェゴビナの紛争のニュースの記憶はあるんだもん。

計算してしまいました・・・。100日間で100万人、つまり、1分間で7人が、
このルワンダで殺されていたという。
今はルワンダという国でくくっているけれど、民族の対立が要因のひとつだという。
この事件の背景には、
・ベルギーの植民地時代の政策
・宗教界の思惑
・ヨーロッパのとある国の政策
・近代におけるそれぞれの民族の対立・・・等
そういったものがあり、今でも真相が隠されている部分もあるのではないかとされている。
詳しくは、ウィキペディアの情報を見ると分かると思う。
虐殺記念館にいくつか(キゴンゴロにあるムランビ虐殺記念館やキガリにある虐殺記念館)
に行ってきたけど、そこで書かれている情報が、ウィキペディアの情報だったから、
日本からでもその虐殺の様子は文から分かりうると思う。


今では写真撮影は禁止になってしまっているけど、
写真を「ああ、これはおれは撮れない」って思うほど、遺体の状況がすさまじかったです。
でも本当はこういうものは写真を通してでも、全世界に「わすれるな」という思いを伝えていくことが大切なのでは?とも思ったので、こっそり撮っちゃいました。

この虐殺、私はある映画で知りました。そこで知らなければ、もしかしたら一生知らなかったのではないかとも思ってます。
「ホテルルワンダ」
実際に実在している、あるホテルマンの話。
これを最初に見たときは、震えましたし、
なんだか信じられなくて「これは史実なのか?」と疑いました。
それほど凄惨です。

今日、石灰で防腐処理された遺体を、何百とある遺体を見てきました。
その防腐剤のにおいで頭が痛くなりそうなほど、そのにおいが部屋中に満ちていました。

遺体には、頭が破壊されているもの(マチューテ、ナタが多く使われた)
足がないもの(逃げられないように切られ、徐々に殺されたという)、服を着ているもの、
子ども、大人・・・。
20くらいある部屋に、50体ずつくらい、すべて遺体。
そして、あっ、人だわ全部・・・って分かるくらい原型をとどめている。

今、こんなに温厚そうで、優しそうに見えるルワンダの人が、殺しに殺しまくった虐殺。
プロパガンダとして、ラジオが使われたことは有名だが、
そこまでフツ族の人たちを駆り立てたものってなんだったんだ。


今日の朝焼けはとても綺麗でした。
丘の景色の中に霧が立ちこめ、でも、日差しが一部差し込んでいる。
あの日、1994年の4月も、こんな綺麗な朝があったのだろうか。
どんな気持ちで、ツチ族の人たちは朝を迎えたのだろうか。

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