正直、ユダヤ人の歴史についてあまりよく知らない。
21世紀の現代でさえ、大きな世界の課題となっている問題について、知りたくなった。
ここらでちょっと勉強しようと思い、ベルリンにあるユダヤ博物館に行ってみた。
この博物館は、人々にユダヤ人の歴史とユダヤ人の風俗習慣を理解してもらおう、
という意図を感じたな。
しかし、ここにはビデオギャラリーというか学習室というようなかんじの部屋があるんだけど、
それは本当にわかりやすかった。
「ユダヤ人の離散」というのはよく言われることだけど、それはローマ帝国が拡大していた時代に、
エルサレムという土地が支配され、ユダヤ人はヨーロッパ中心に各地に散ることになったそうだ。
そして、ポーランドやウクライナ、ハンガリー、そしてパレスチナに多く居住することになったそうだ。
ユダヤ教は、生活様式(結婚、食べ物、服装、儀式等)、民族(血縁)を大切に考える。
金曜日の夜から土曜日の夜までは働かないという基本的なことも、この館で初めて知った。
香港、上海に移住していたユダヤ人が多い中、 1941年に日本が戦争に参戦、1943年には香港を支配し、 ゲットーと呼ばれる収容所にユダヤ人を送還 |
ユダヤ人こそ根絶やしにしようではないか、という考えを持ち、それを実行していった人物。
ユダヤ人に生まれたが故に、いやがおうにも殺される運命・・・
これは以前の日本、いや今の日本にも関係してくることなのでは?と思ってます。
いま、日本でも差別がありますよね。みなさん、ご存知ですか?
日本の差別は世界でも結構有名なのですよ。
今後、こういうヒトラーのような考えが日本中に広まってこないか私は心配でたまりません。(まずは自分が気を付けないと。)
館内はがらんとしていて、 これには理由があるみたい |
「ドイツ社会におけるユダヤ人の喪失」というものが含まれているようだ。
なんだかよくわからなかった空間。鉛の顔がたくさん。
「自由とはなんだろう」の木 |
私、じつはこの「平等とは何か」について、旅中ずーーーーーーっと考えていることなんです。
日本帰国時に、差別について話した人もいるかと思いますが・・・
いちじくです。 |
「ザクセンハウゼン強制収容所」
アウシュビッツ(ポーランド)にも行ってきましたので、次回書きます。
今回はドイツ国内の強制収容所。
ベルリンから電車で1時間弱、S1(S-Bahn)というラインの北側終着駅から徒歩20分、
かつて強制収容施設があった。
ここには、ドイツ国内にいたユダヤ人を収容し、過酷な労働をさせ、多くの人を死に至らせた施設。
労働は自由につながる |
当時の施設のままの部分もあった |
ドミトリー的なベット(笑)つい、自分がよく泊まる安宿を思い浮かべてしまった |
これが着せられていた服だそうですが、 生地が薄く、ドイツ北部の冬の寒さに耐えうるものではないような気がしました |
広大な敷地にバラックがかつてたくさん並んでいた |
これが遺体焼却施設 写真を見ましたが、その遺体数は目も当てられなかったです |
囚人(と呼ばれていた人たち)が逃げ出さないように鉄条網 |
ポーランドのアウシュビッツ強制収容所は、本当に、まじで、考えさせられたし、
戦争というものを直視させられた。
これにより、旅の方向が転換するくらい衝撃を受けたので、次回(も)たくさん書きますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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