歴史上、類稀なる戦術家であるハンニバルが生まれた国、カルタゴ。
ローマ帝国にポエニ戦役で破れた後に土地を荒らされ、二度と復興できないようにされたにも
かかわらず、再びローマ帝国布政時に、肥沃な土地ゆえ、活気を取り戻したという土地。
10月だというのに、さほど日本と変わらない緯度にもかかわらず、熱く湿った空気が流れていました。目の前には地中海。
チュニスの市街地から、路面電車に乗って30分ほど。カルタゴの町が広がっています。
栄えていたころのカルタゴの様子。紀元前4世紀ころ。
遺跡自体は、そんなに大きいものではないので、ちょっと拍子抜けしてしまった。
もちろんこれは修復された部分が大いにあるけど、ローマ円形闘技場。
現在もコンサートに使用されていて、出入口や音響施設が整えられてあった。もちろん舞台も。
ローマ人の住居となっていた遺跡。ここは広大でしたが、観光客0。だれもいない中、のんびり歩いてきました。
モザイク画も多数存在。
カルタージュ・ハンニバル駅の表札。
アントニウスピウス帝の浴場。もういろいろな浴場を見すぎて、ここはいいかな・・・とパスしようと思っていたが、せっかく共通チケットだし、行ってみたところ、今まで見た浴場よりも広く(いや、カラカラ帝の浴場と同じくらいの規模か)、意外と感動した。
それぞれの柱が太いこと。
最後に訪れたのが、タニトと呼ばれる印がたくさん残された場所。
カルタゴは、バール神と呼ばれる神に、いけにえとして嬰児を犠牲にして捧げていたと言われているのだそうです。
その犠牲にして捧げられた場所がこの場所だったらしく、様々な、異なった印が見られました。
カルタゴの町にももちろん学校がいっぱいあるようで、通りすがりに、学生たちに声をかけてみたところ、いろいろ話をしてくれました。
しかし、どの子も英語が上手なこと。上の写真は中学生くらいの年齢。下の写真は高校生後半の年齢。
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