この「ミマール・シナン」という人物像に惹かれて、彼の作った建造物を巡りたくなりました。
その最たるものが、トルコのエディルネという場所にあるモスクですが、
これを見るのにあとひと月…
もーがまんができなくなってちょっといろいろなものが出てきてしまってます(笑)
ここボスニアは以前オスマン朝トルコの領地に組み込まれていたことがあり
そのときにシナンが、ここヴィシェグラードに橋を建造したのだが、
第一次大戦でも第二次大戦でも破壊され修復されたのが今の姿だそうです。
彼の技術の高さと美しさで有名な橋 |
この橋が壊された理由は、民族対立が原因だと知りました。
第一次大戦の勃発、そして最近のユーゴスラビア解体後も、
民族対立が原因での殺し合いがありました。
「民族の独自性(優位性?)を保つ・示すのに、いがみ合ってまで、殺し合ってまでする必要があるのか?」とか思うのはきっと、平和で有り続けた最近の日本に生きている若者だからだろうな…。
なかなかそこまで怒り合う状態になるのは…
と思って歩いていた矢先に、きたきた~、つっかかってきましたよ~(笑)
目の前から、がたいのいい兄ちゃんが歩いてきて「へいへい、キーノ!」(ボスニア・セルビア語で中国人の意味)と大声で絡んできます。
(あ~めんどくせー!)と思いながらも、受け答えしたのがいけない。
大輔:「ちげーよ、日本人だよ!」
やから:「ノーノー、キーノ!」
大輔:「だからちげーよ、日本人だって。お前はロシア人か?違うだろ、それと同じことだよ。」
やから「ノーノー、キーノ(だよ、お前は)!」(と、おれの胸を指さしながら)
大輔「ちげーって、ヤーパンだって本人が言ってんだろ!」
やから「ノーノー、キーノーーーーー!!!」
・・・
・・・このやりとりが5,6回続きました。
周りで見ている人が止めようと一言二言投げかけてくれますが、こいつは引きません。
最終的に二人共笑いながらですが、汚い言葉の投げ合いで去って行きました(笑)
さすがにその後はぐったりしました。
まわりにいた人たちは「あいつ頭おかしいんだよきっと」と声をかけてくれたのが、
おれには救いでした。でも、今となってはぜんぜん気になってません。
これでもかっ!ってくらい、最近「日本人としてのおれ」が強調されています、自分の中で。
それはさておき、
この橋は、有名な物語の舞台になっていて、
その小説に興味があって訪れている人のほうが多かったです。
土産物屋をのぞいたときにその人の肖像が描かれたお土産が多かったからです。
ちなみにシナンを描いたお土産を探していたら、一つだけあったのでそれを迷わず購入!
偏屈なこだわりです(笑)。
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なかなかこの国では、民族の話を出せません。
「君は何人?」って聞けなくて、街で住み分けもされているくらいだから、
聞いたら憤る人もいるのかなと思い、つっこめてないんです。
お土産屋さん(いい話ができてたのに写真をまた撮り忘れた…)との話で、
「さっき、つっかかってきたやつがいてむかついてさ…」ってなんだかんだ話したくなって、ぶわーって話し始めたわけ。
英語を話せる、解せる人が少なくて、話したいんだけど、
深い話ができなくて、ちょうどよかったんです。
そしたらその売り子さんが「うん、わかるな、私ボスニア人だけど、セルビア人って言われたらなんか違和感があるもん。それを言われ続けたら怒るのもわかるよ。」と言われ、
「おお、わかってくれる人がいたか!」と嬉しくなった。
ボスニア・ヘルツェゴビナの旅はこれでおしまい。
最後にセルビアへの国境に抜けるバスの中で出会った二人。
「どこから来たの?」と最初に口火を切ってくれたカタリナ。
それと、情報技術という分野を学んでるデジャン。
「福島のニュースをテレビで見た」としきりにそのときの様子をおれに話してくれたカタリナはあまり英語が話せない。
デジャンくんが訳してくれたのですが、彼女はその映像を見た時に、鳥肌が立ったと言ってました。
そういう、人が犠牲になる瞬間を知っている彼女(この年代は間違いなく戦乱を経験している)だからなのか、その「鳥肌が立った」と言った時の悲しい表情は印象的だった。
国を抜ける最後に、こういう瞬間的ではあるけど、
印象的な出会いがあると、嬉しい気持ちで一日を終えられる。
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