2014年7月23日水曜日

マラケシュで感じた信仰の強さ

いま、スペインのマドリッドに戻ってきました(2ヶ月ぶり)。
テント&合宿生活スタートです。
取り立ててネタがないので、以前書こうと思っていた記事をアップします。

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モロッコのマラケシュでは、アザーンの力強い声が街中に響き渡る印象が、
他のどの街よりも強い。


アザーンは、ミナレット(尖塔)から流れる、礼拝の際の言葉なのだが、1日に5回流れる。
いま泊まっているホテルからすぐ近くにモスクがあり、たとえ夜中の3時であっても
ぐわーーーーっと力強い声が湧いてくる。

ラマダンの時期だからそうなのか、3時まで起きてて、礼拝に行き、また朝7時くらいから起きて仕事するなり家の中のことをするなりって、眠くならないのかい!?
ってことを以前知り合いに聞いたら、昼間ダラダラしたり、昼寝したりするからね、大丈夫。
って言ってたな。
でも、バスの運転手あたりにそれをされたら、ちょっとたまらないな。

先日は、何か特別な礼拝の日だったようで、街で一番大きなモスクで集団礼拝が行われていた。
広場が人で埋め尽くされてる
広場一面を埋め尽くす信者。サウジアラビアのメッカの方向に向かい、
一斉に立ち、そしてお辞儀をし、座り、頭を下げる。その繰り返し。
暑い夜でも、1時間強の礼拝を行っていました。

信仰心の熱さからでしょうか、こういう人とたまに出会いました。モロッコでも3,4人にあったな。
とにかくイスラム教の素晴らしさを説くんです。
「イスラムはいい。ラマダンを通じて人の健康の大切さを説いている。他者の苦しみを知る経験をさせてくれる。コーランを読んだほうがよい。コーランには・・・」と止めなければ10時間くらい話すのではないかというように。

そこで、こう突っ込んでくる人もいる。
「仏教はだめだ。ユダヤ教もだめだ。カトリックもだめだ。だって、神様が見えるのなんてそんなわけないだろ?なんで十字架に架かっている人に向かって祈るのだ?なんでブッダに祈るのだ?」

おうおう、イスラム教No.1をかかげてきたなと思い、
「他の宗教を信じている人をさげすんじゃだめじゃない?なんでそれを尊重できないの?」
と口をはさむと、
「だっておかしいだろ、神様が目に見えるなんて!」
というふうに、なかなか「思想の自由」を認めてくれない。
まあこれは日本の価値観であって、イスラム教国家であれば、イスラム教が絶対なのはわかるのだが。

こういった話にもつれると、お互い平行線のまま、終わる。

まあ、そんなことを思い返していた夜でした。
ビデオは、マラケシュで行われていた集団礼拝の様子。

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