2014年11月30日日曜日

イスタンブール その他もろもろ・・・

モスク以外の見てきたところと感じたことを・・・

【ルーメリ・ヒサール】
1453年のコンスタンティノープルの戦いのときに、コンスタンティノープルを攻め落とそうと考えていたメフメト2世は、黒海から下ってきて都を支援する船を、両岸から大砲で狙って撃ち落とし、
支援を防いだという。
 このルーメリ・ヒサールは、たった4ヶ月で作ったというもので、石組みの粗さが今でもわかるほどですが、それにしても、これだけ大きい施設を4ヶ月で作ってしまうのには驚く。




 新市街の中央通り、ここは毎日、昼夜関係なく、にぎわっていました。
おれこういうところ苦手で、極力避けて通ってましたが。
 シュレイマニエジャーミー近くから見た旧市街と新市街の夜景。

 ロシアンバザール付近の様子
 旧市街側の家具を扱う店が集まる地域
 旧市街側の楽器を扱う店が集まる地域
 その近くにある、水道橋。
 そして、そこそこ多かった、物乞いの子どもたち。
寒いのに裸足でいましたね。裸足できゃっきゃと遊んでいる物乞いの子どもたちの姿も見かけました。その横では、そのお母さんらしい人が座って、さらに小さい子を抱えてお金をくださいと言っていました。

都市だからと友人が言っていたのを思い出して、まあそうだなとも思うのですが、
けっこうお金に対して、ふっかけてくる人が比較的多かったなあ、イスタンブール。

靴磨きも、せこい。
通り過ぎる際に、向かい側から靴磨き屋さんが自分のブラシを落とします。
それをおれが拾い渡し、「ありがとう」と言われ去ろうとすると、「お返しに磨いてあげるよ」という。
最初それに引っかかった。
磨き終わったあとに「じゃあ、○リラね」と言われるのだ。
「おれは親切で磨いてくれるのだと思ったよ」と言うものの、相手は引き下がらない。
埒があかないので、これしかあげられないと言い、
モヤモヤする気持ちが残ったまま去ることになる。
親切がこうした形で返ってくるのかあ・・・)と思うと、残念な気持ちになる。
まあ初めからおれが、親切に対する代償を少しでも求めていたからいけないのかもしれない。

これが、確信犯的な行動であると分かったのは、
市街を歩いていて、頻繁に靴磨き屋がブラシを目の前で落とすからだ。
「これ、この前されたんですけど!」と言ったり、苦笑したりしてかわすが、
見ていて「こいつら狡いな、せこいな」と思いました。

イスタンブール、モスク巡り

左のほうのワンからイスタンブールまで、5000円くらいで24時間のバス移動。

今回の旅でいったトルコの街
 イスタンブールは、モスク巡りしかしていないので、
その中でも圧倒された3つのモスクの写真を載せます。

【ファティフ・モスク】
明るさが印象的な内部、夜に行ったからそう感じるのかもしれない…。





【リュシュテム・パシャ・ジャーミー】
イズニックタイルという、鮮やかで深みのある青のタイルで有名。
この青は、見ていて本当に落ち着く。
スレイマン大帝の時代の宰相がリュシュテムパシャで、大建築家のシナンもこの人に仕えていた。
建物内部のタイル





 【シュレイマニエ・ジャーミー】
スレイマン大帝を祀るモスクで、この内部の作りが絶妙な技術。
音楽にも造詣が深かったシナン、礼拝時の声がモスク内部に響くように、
なんとドームの石を中をくり抜いた石にし、より音が響くようにしたという。
それと、お香や煙で内部がくもることがあるが、それを解決すべく排気口を設け、
その排気口に溜まる黒ずみを集め、墨絵や書の材料にしたという。
フリーガイドがモスク内に何人もいて、質問があれば答えてくれる形をとっていた。
モスクの外にある、シナンの墓




シュレイマニエジャーミーの庭から見えるイスタンブール新市街





このマーブルの色が素敵で、どこから?と聞いてしまいましたが、
それを知っているボランティアの方がいませんでした


2014年11月28日金曜日

ワンの街とクルド人

エミュルの話を聞いていてひっかかっていたクルド人の話。
クルド人と話す機会を設けることができたのは、ドゥーバヤジットから3時間くらいの距離にあるワンという街についてからだった。

このワンは、クルド人オンリーなかんじの街。
ドゥーバヤジットの町の規模は小さかったが、このワンは大きな都市といったかんじ。
土地的には、シリアに近いが、シリア人の避難民はほとんど見かけなかった。

このワンでは、アクダマル島というとこに、浮き彫り彫刻が綺麗な教会を見に行こうと思っていたのだが、あまりのオフシーズンさに、船は出ているのだが人数集めないと船代を一人で払うことになりそうだったので、行くこと自体をあきらめた。

その代わり、ワン城塞がワンの街から歩いて1時間くらいのところにあるので、そこを訪れた。
この城塞、歴史は古くて、ウラルトゥ王国のある王が、紀元前800年代に、つまり3000年くらい前に作ったもの。
その大きさと古さに惹かれ、行ってみたのです。
まあでも、特に何もないです(笑)。
城塞の一番高いところから見る今のワンの街とワン湖、そして3時頃に響き渡ったアザーンの音が印象に残った場所でした。
奥に見えるのがその城塞

城塞付近から見た街

城塞、これは修復した後。
下に見えるのは、以前あった町だとか。城下町ってことになるのかな。

左に見えるのは、昔からある城塞

ぴょこぴょこ飛び出ているのは、石

帰りの道中でも、街中を歩いていても、クルド人の目線が気になった。
ここでも、世界のいろんな場所であったように、「おれの顔を見て笑う」ということがしょっちゅうあった。おれそんなに変な顔してるかなあ。

「嫌な雰囲気」である。

きっとここも、独立気運でいっぱいいっぱいなのだろうか、
それとも民族の誇りというものを大切にし過ぎて、
他との共生」という意識は少ないのだろうか。
得てして、民族の独立にがんばっているところは、この「嫌な雰囲気」をもつように個人的に思うのね。
他者を排斥しようという考えや教育から、他者への攻撃(口撃?笑)につながると推測できるのよ。
もちろん、そんな嫌な印象を与える人たちばかりではなくて、話すと分かってくれる人もたくさんいたのが良かった。
チーズ売りの青年

ワンは、チーズに香草を入れたものが、特産品

ケバブ屋さんのカレム(左)
グーグル翻訳を駆使し、意思疎通をはかってくれました

街にいる子どもは子どもで、おれを見つけると「お金くれ!」となる。
そんなに生活に苦しいように見えない装いだし、元気に過ごしている姿を見ると、
「お前らふざけんなよ!」と言いたいところだが、
「なになに、おれにお金をくれるの?ありがとう、お金ちょーだい!」って
しつこくおれが言っていると、彼らのほうから去っていく。最近身につけたわざである。
個人的には、おれが継続的に支援できないのであれば、絶対に金銭的援助はしないという信念で旅をしているので、今回もあげない。

いやあ、しかし、なかなかに、静かであるが混沌としている様子は、歩いていて興味深い。
そんな興味深い街、ワンでした。
街にはロシアンバザールもあり、多種多様の安い製品が溢れていた
ちなみに、みかん半リラ(26円)でこれだけ。タダ同然(笑)

都会である。
これは自分の想像をはるかにこえていた
最後に、ああクルド人、わがままなところが嫌い!と思った出来事…
ワンからイスタンブールに向かう24時間バスの中で、
深夜、「もっと座席を真っ直ぐにしろ」とおれの座席を後ろから叩き、
わーわー言っていたクルド人のおじいちゃんには、さすがにぶち切れました。
「寝るのに座席下げるでしょーにー!!!君も下げればいいでしょーにいー!いま夜中の2時なんですけど!」と日本語でわめきましたよ…
そうして、周りになだめられるおれでした。

2014年11月27日木曜日

トルコの東端の町、ドゥーバヤジット

いやあああああ、ドゥーバヤジットのトルコの人の温かさが半端ない!
カッパドキアから東、トラブゾン、ドゥーバヤジット…
はるばる東まで来てよかった…
このままイランに突入したかったのだが、次回に持ち越し。

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トラブゾンを夜発のバスに乗り、ドゥーバヤジットまで8時間。
トラブゾンのバス乗り場では、イラン人のカラムとカラムのお母さんファティと出会った。
カラムは、トラブゾンで大学の先生として働いていて、お母さんのファティが息子に会いに来て、これからイランへ帰るところだという。
そうか、この道は、イランへ続く道だと改めて感じた。
カラムは私と同い年で、ファティの家族は先生が多いということもあり、
またファティは私の母と年齢が近いということもあり、話していてとても親近感が湧いた。
トルコ語もイランの言葉も話せない私を、別れる最後の最後まで面倒を見てくれたファティ。
ますますイランへ行きたくなってきた。

カラムとはほんの少しの時間だったけど、ちょうど私が考え事をしていたその内容と
カラムが「日本人ってこういうところが素晴らしいから好き」と言ったことが重なり、驚いた。
これは次回載せよう。

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さて、翌朝トルコの東端ドゥーバヤジットに到着。
この町を歩いていて驚いた…。
すれ違う人で、目があった人は必ず「Hello」と挨拶をしてくれるのだ。
たとえ、小さな子どもであっても。
東アジアの人種が珍しいのだろうが、冷やかしの様子は全く受け取れないし、
一人の人としてちゃんと尊重してくれているのが歩いていて感じ取れる。
不思議だ。

そして道を歩いていると、「こいこい」と手招きされて、チャイをご馳走になる。

これ話で聞いてはいたけど、実際にタダでチャイをご馳走してくれるなんて…
本当に日本人に対して、いや旅人に対して好意的な人が多い。
山が町を囲んでいるけど、うっすら雪化粧な山も少なくない。
もう1週間すると、冬に入ると地元の人たちは言っていた。
少し高い山はもう雪景色
ちなみにここは標高1500mくらい

ほとんどバスで寝れなかったため、ホテルで2時間ばかり仮眠をとり、
目的地であるイサク・パシャ宮殿へと向かう。

タクシーでは35トルコリラ(1800円くらい)かかるとのことだったので
5kmの道のり、歩いていこうと決める。

あと1kmほどの登りというところで、車が止まってくれた。
「乗ってく?」と声をかけてくれたのは、エミュルとウフクの二人。
エミュルはトルコ中部の街コンヤで経済学の教授として大学で働いている。
ウフクはエミュルのいとこ。

イサク・パシャの宮殿は、17世紀にクルド人のイサクという長が建てた建物で、
パシャは英語で言うとminister、まあ政治のトップという意味になるのかな。
ハーレムがあり、大人数がここで生活していただろうと想像できたが、なにせ寒い!
この時期でこれなんだから、「雪どれくらい積もるの?」ってエミュルに聞いたら
「この地域は40cmは12月までに降るんじゃないかな」と答えてくれた。
建っている場所が場所だけに、絶景ではあるけれど、
空間を温めるために何か工夫はしていたのだろうか…
周囲の山に溶け込むかのような色の宮殿


宮殿から見たドゥーバヤジットの町

柱や建物に施されている彫刻がすてき


浮き彫りが素敵

客人をもてなす空間

少し離れたところから見たイサクパシャ宮殿




一旦エミュルたちと別れて宮殿を歩いていたのだが、
クルド人の学生と話したり、クルド人のおじさんたちと話したりしていた。
どの人も気さくで、話しやすくて、おじさんたちからはチャイとタバコを勧められて、
ついついゆっくりしてしまう。

おじさんたちから「この町に日本人が嫁いで生活しているよ」と聞いたのは驚きだった。
詳しく聞く前にエミュルたちが来て「ダイスケ、次急いで行くよ」と急かされる。
その掛け声がなんか奇妙に聞こえて、違和感をもっていたら、
「彼らはクルド人だ。いまトルコでは、スペインのカタルーニャと同じように、
独立についてトルコ国内の民族で揉めているのね。クルド人は独立したがっているようだけど、
私にとってはどちらでもいいのだが、国内問題の一つであるのが事実だ。」と。
クルド人の住む地域は、トルコ南東部からシリア、イラクにかけて住んでいる民族。
そうは言っているエミュルだけど、実際にはクルド人には壁があるのかもしれない…ということを
聞けはしなかったけど、感じ取れた。


「また会おうね!」という言葉で、今日も別れたが、
彼ら旅行好きだし、きっと日本に来ると思うな。再会が楽しみだ。