2014年11月18日火曜日

次の遺跡巡りは、エフェソス遺跡

ベルガマからセルジュクまでバスを乗り継いで3時間くらい。
だいたい1200円くらいでこれたかな。
The観光地という感を醸し出しているこの街、レストランも地元民のためでもあるが、
まあ観光客相手のメニューが多かった。
今回は、PIDE(ピデ)とヨーグルトのスープ。
甘味は全くなく、むしろ塩分を含んだヨーグルト
美味しいとは感じないんだけど、Ayranアイランというヨーグルト飲料となると
だんだんと病みつきになって、欠かせなくなる
トルコに行った人なら、Ayranがわかるのでは?

これでだいたい8TL、400円強といったかんじ。
 翌朝、市が開かれていたので、ちらっとのぞいた。
ヨーグルト、チーズがたくさん売られていた。

柿もこの時期のものなのか、たくさん売られていた

街に着いたあとわかったが、エフェソスの博物館にある、アルテミス像というものを見たかったのだけど、博物館が閉まっていた…残念。
仕方なく、エフェソス遺跡を目指す。
街から歩いて30分ほどで遺跡の入口部分に到着。ここからさらに上りで20分くらい歩く。

歩いている途中で、ある家族と会った。

追い抜いたときに、日本語が聞こえたからパッと振り返ったら「やっぱり日本人だ」と言われた。
「日本人だってわかった?」って聞き返すと「うん、絶対日本人だって思った」って。

話を進めていたら、関東に住む家族で、お母さんはブラジルと日本のハーフ。
子どもたちは、そのお母さんと、トルコ人のお父さんのハーフ。
二人の子どもがかわいいこと、かわいいこと。
長女に一目惚れしました。

子どもといっても、お姉さんはもう20歳で、これからトルコで働きたいという。
「おれもブラジルに家族がいるんだよー」という話や、
妹さんが2年生ということで「前は小学校の先生だったんだ」という話をして、
少しは親近感をもってもらえたかな。
「一緒に行動していいですか?」とお願いし、半日一緒に行動することにしてもらった。
自分で言うのもなんだが、自分からこうお願いするのは、本当に珍しい(笑)。

一人ではいけないなあと思っていた聖母マリアの家や、
7人の眠り人の家などを見て回ることができた。
マリアというのは、イエスの母で、イエスが処刑された後、使徒のヨハネとともに、逃避。
この地でヨハネが支え続けたという話がある。
だから、キリスト教徒にとっては、ここが聖地とも言える場所なのではないかと思う。
キリスト教を広めようとした信徒が、迫害を逃れ、この祠に入ったところ眠ってしまい、
起きたら1世紀が過ぎていたという奇跡が起きた祠
今は何も残されていない

このエフェソス遺跡の規模も非常に大きく、
地震等があったにもかかわらず、そのままの形を残しているものも多かったし、
修復されている遺跡も多かった。
紀元前11世紀ごろからこのような神殿等が作られていたというから驚く。
また、ペルシア帝国が一時期ここを支配していたが、アレクサンドロスが紀元前350年ごろに
この地を支配することになったという。
その後、ローマ帝国の影響下にもあった土地だが、ローマ帝国が崩れていく過程で、
この街も廃れていくことになったという。





どこになにがあるかわからないまま歩いていたのだが、とにかく大理石を豊富に使っていた。
その当時の国力というか、財力というか、それに驚かされる。
ケルスス図書館というものがあり、その前面部がほぼ完璧な形に修復されている。
この大きさには驚いた。・・・し、実際どうやって建てたの?って思ってたら、
奥に作り方が書かれてた↓

たしか、オーストリアの援助により、この遺跡が再建されたみたい
野外劇場も規模としては大きく、1万人
 しかし実際、妹さんの学校の話を聞いて頷いて、質問していたら、時間があっという間に過ぎ、
遺跡にいることを忘れさせてくれた(笑)
とても楽しい時間だったので、ぜんぜん構わないんだけど、
個人的には日本でも会いたい家族だな。


その家族とは泊まっている町が違うので、遺跡の出口で別れた。
本当は海とプールに一緒に行こうとしてたけど、残念、水着を持ってきていないおれ。
水着を持ってきていないから・・・という理由で断ったけど、さすがにその家族のホテルまで行って
一緒にプールに入ろうというのは図々しいだろうと、自分から引いちゃったんだなあ。

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