カッパドキアから東、トラブゾン、ドゥーバヤジット…
はるばる東まで来てよかった…
このままイランに突入したかったのだが、次回に持ち越し。
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トラブゾンを夜発のバスに乗り、ドゥーバヤジットまで8時間。
トラブゾンのバス乗り場では、イラン人のカラムとカラムのお母さんファティと出会った。
カラムは、トラブゾンで大学の先生として働いていて、お母さんのファティが息子に会いに来て、これからイランへ帰るところだという。
そうか、この道は、イランへ続く道だと改めて感じた。
カラムは私と同い年で、ファティの家族は先生が多いということもあり、
またファティは私の母と年齢が近いということもあり、話していてとても親近感が湧いた。
トルコ語もイランの言葉も話せない私を、別れる最後の最後まで面倒を見てくれたファティ。
ますますイランへ行きたくなってきた。
カラムとはほんの少しの時間だったけど、ちょうど私が考え事をしていたその内容と
カラムが「日本人ってこういうところが素晴らしいから好き」と言ったことが重なり、驚いた。
これは次回載せよう。
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さて、翌朝トルコの東端ドゥーバヤジットに到着。
この町を歩いていて驚いた…。
すれ違う人で、目があった人は必ず「Hello」と挨拶をしてくれるのだ。
たとえ、小さな子どもであっても。
東アジアの人種が珍しいのだろうが、冷やかしの様子は全く受け取れないし、
一人の人としてちゃんと尊重してくれているのが歩いていて感じ取れる。
不思議だ。
そして道を歩いていると、「こいこい」と手招きされて、チャイをご馳走になる。
これ話で聞いてはいたけど、実際にタダでチャイをご馳走してくれるなんて…
本当に日本人に対して、いや旅人に対して好意的な人が多い。
山が町を囲んでいるけど、うっすら雪化粧な山も少なくない。
もう1週間すると、冬に入ると地元の人たちは言っていた。
少し高い山はもう雪景色 ちなみにここは標高1500mくらい |
ほとんどバスで寝れなかったため、ホテルで2時間ばかり仮眠をとり、
目的地であるイサク・パシャ宮殿へと向かう。
タクシーでは35トルコリラ(1800円くらい)かかるとのことだったので
5kmの道のり、歩いていこうと決める。
あと1kmほどの登りというところで、車が止まってくれた。
「乗ってく?」と声をかけてくれたのは、エミュルとウフクの二人。
エミュルはトルコ中部の街コンヤで経済学の教授として大学で働いている。
ウフクはエミュルのいとこ。
パシャは英語で言うとminister、まあ政治のトップという意味になるのかな。
ハーレムがあり、大人数がここで生活していただろうと想像できたが、なにせ寒い!
この時期でこれなんだから、「雪どれくらい積もるの?」ってエミュルに聞いたら
「この地域は40cmは12月までに降るんじゃないかな」と答えてくれた。
建っている場所が場所だけに、絶景ではあるけれど、
空間を温めるために何か工夫はしていたのだろうか…
周囲の山に溶け込むかのような色の宮殿 |
宮殿から見たドゥーバヤジットの町 |
柱や建物に施されている彫刻がすてき |
浮き彫りが素敵 |
客人をもてなす空間 |
少し離れたところから見たイサクパシャ宮殿 |
一旦エミュルたちと別れて宮殿を歩いていたのだが、
クルド人の学生と話したり、クルド人のおじさんたちと話したりしていた。
どの人も気さくで、話しやすくて、おじさんたちからはチャイとタバコを勧められて、
ついついゆっくりしてしまう。
おじさんたちから「この町に日本人が嫁いで生活しているよ」と聞いたのは驚きだった。
詳しく聞く前にエミュルたちが来て「ダイスケ、次急いで行くよ」と急かされる。
その掛け声がなんか奇妙に聞こえて、違和感をもっていたら、
「彼らはクルド人だ。いまトルコでは、スペインのカタルーニャと同じように、
独立についてトルコ国内の民族で揉めているのね。クルド人は独立したがっているようだけど、
私にとってはどちらでもいいのだが、国内問題の一つであるのが事実だ。」と。
クルド人の住む地域は、トルコ南東部からシリア、イラクにかけて住んでいる民族。
そうは言っているエミュルだけど、実際にはクルド人には壁があるのかもしれない…ということを
聞けはしなかったけど、感じ取れた。
「また会おうね!」という言葉で、今日も別れたが、
彼ら旅行好きだし、きっと日本に来ると思うな。再会が楽しみだ。
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