2014年11月8日土曜日

モンテネグロの首都、ポドゴリツァ

首都とは思えないほどの規模の町、ポドゴリツァ。
閑散とした印象を受けるが、建築中の住宅が多く見られたことから、
これからまだ発展していくのかなあという印象も受けた。
町の中心街に近い住宅
この景色をパッと見ると、日本だとも思える景色

町の中心広場

商店街

商店街の上に住宅
民俗歴史博物館が夜までやっているというので、バスの出発時間までだいぶあったし、のぞいてみた。
 花のレース模様が特徴の、モンテネグロの女性の舞踊衣装。
肩からかける刺繍が特徴の男性の舞踊衣装

ふと立ち寄った何でも屋さんで、店主ゴランと会う。
「どこから来たの?」という会話から、おれの旅の話になり、ボリビアの話をしたところ、
たいへん興味をもってくれた。
彼はボリビアのこともよく知っており、大統領が最近3選したことを知っていたんです。
実は、その協力の話は日本からもボリビアに打診していて、
ちょっと話が逸れてしまったが、
とにかくこのゴランさんの知識の豊富さに驚かされながら、会話を続けたんです。

インド系にルーツをもつ彼は、モンテネグロに生まれ、紛争のために
一時期ドイツのハンブルクに移住。数カ国語を自在に操る。
商売をしている彼の口からは、
「モンテネグロの経済状況はあまり良くない。先が見えない悪さ。」とのこと。
宗教の話にもなり、「日本の代表的な宗教は?」という話から、神道の話をしたのね。
そしたら、「そう、それが一番いいんだよなあ。」と。
全てはつながっているという考えが、人に対しても優しくなれるし、物を大切にもする。
彼がそう言った背景には、旧ユーゴスラビアの時代があった。

チトーという大きな力と推進力をもった、カリスマのような指導者が
ユーゴスラビアという国をひっぱっていた。
そのチトー政権下では、すべての宗教施設が閉じられたという話だ。
それもまた奇抜な考えで、信仰深い人に対しては酷な政策だと思う。
これは初めて聞いたことだった。

しかし、彼曰く、そのおかげでほとんどの人が幸せだったという。
チトー死後(1980年頃)、現在の国々が”離れ”ていき、
戦乱の世に突入していったという。

こうやって話していると、改めて宗教や資本、資源といったものが、
いつもけんかの・・・いや、紛争の原因だよなって。
それと、このチトーって人のもっていた力の強さというのも感じた。
(実はチトーのこの宗教の話は、マケドニアでも聞いたし、その人も良く評価していた)
左がゴラン、右が彼の兄

2,3時間は店にお邪魔していただろうか。
貴重な話が聞けて嬉しかった。

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