2015年1月24日土曜日

鹿児島で再会

7日間いた沖縄をフェリーで離れ、丸一日。波は大きく荒れていたが、快適に過ごせた2等部屋。


 沖縄県にはどうしても行きたかったんだけど、きれいな海には好きな人と来たい。
今年、もう一回来る!ってみんなに言っておいたので、がんばります(笑)
フェリーの経由地、与論島
 鹿児島には、ボリビアのオキナワにいたときに同じ敷地内にいた方が住んでいて、
その方を訪れるのと同時に、観光(につれていってもらう)するのが目的。
ちょうど桜島にいったときに大きく噴煙が上がった
その夜、大規模噴火が観測されたって。

きれいな月夜だった

オキナワにいたときにはたくさん相談にのってもらい、助けてもらった
 地図を見ていて、この土地と施設を見つけたんだけど、
知覧特攻平和会館。
いわゆる「負の遺産」的な施設を今までの旅の中でいろいろ見てきたのね。
どの施設も、戦争の悲惨さが写真や当時の文章などの史料で伝えていたわけ。
ここも、そうした戦争の悲惨さが伝わってくる場所なんだけど、
なんだろうね、ここは涙が止まらなかった。

この知覧という、鹿児島県の南に位置する場所から、沖縄防衛のために、
がんがんと1945年代に、若い年齢層から構成された、いわゆる特攻隊が飛んでいったという。

この地で訓練を受け、すぐに「必死」と、飛ぶ。

一枚の写真が目に焼き付いて離れない。
若い5人が子猫を抱いて微笑む写真を撮ったとき、撮影者が彼らに「いつ飛ぶのか」と聞いた。
「明日、行ってきます」と返した顔には、次の日に確実に命がなくなるという覚悟(というのだろうか)
が本当にあるのかそれだけではおれはわからないけど、そうした状況を受け止め、自分がすべきことをしていったということが伝わってきた写真だった。

特攻の前夜に兄弟にあてた遺書、母親へあてた手紙なんかを見ていたら、なんだか
涙が止まらなくなってしまった。
 彼らは、こう考えていたという。
「いまこうして我々が必死に撃ち落とせば、日本の豊かな未来は守られる」と。

今年戦後70年。
 その後、川辺の茶畑を通り、釜蓋大明神に行った。
 縁結びの神として有名で、そのほかにも開運厄除の効果があるという神社。
 願い事を伝え、鹿児島市に戻る。
泊めていただいたお家でもたくさん美味しい料理(特に豚肉)をいただいたが、
鹿児島最後の夜、屋台村に連れて行ってもらった。
鳥の刺身、黒豚、焼酎、さつま揚げ、さつまいもを揚げたもの、そして豚トロラーメン・・・
食いに食った2日間。

また来るね。

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