2014年3月12日水曜日

ボツワナからザンビアへ、チョベでの出来事とその後

インターネットにつなげない環境が続いているので、一回一回の記事が長くなっちゃうや。
いま、ジンバブエのマシンゴというところに到着。
これからザンビアのこと書きますが、もうすでにザンビアは出国しています(笑)

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この間も書いたけど、チョベ出発の日、起きたあと
テントの入り口を開けっ放しにしていたのね、そして10m離れた水場に水を汲みに行き、
テントに戻ったところ、あれっパンがない・・・
おかしいな、入れる場所を間違えたかなと思って探していたけど見つからない。
今度は充電している場所に行ってパソコンの電源を挿しテントに戻ると、
「こいつらかー!」と。
サルがおれのラーメンもピーマンも持っていっているではないか!
「えさをあげないで」と書いてあったけど、ごめんなさい、あげてしまいました・・・

ああ、野生。

ロビーでタクシーを拾おうと待っていると、暇そうな87歳のご老人が話しかけてきた。
 おれも暇そうにしていたのがわかったのだろう。
彼は、ロンドン出身のアンソニー。
南アフリカにアパルトヘイト政策時代から住み始めて
いまもインド洋沿いの都市に住んでいるという。
彼から少しアパルトヘイトと差別の話を聞いた。そして、南アフリカの教育の話も聞けた。
機会があったらまた書きますね。
バックパッカーであっても丁寧に対応してくれたスタッフ
さて、いよいよチョベ出発。
あもてなし精神あふれる場所でした。ここ、新婚旅行でまた来たい!って思った場所です。
かなりおすすめです。


国境へはとりあえずタクシー(40プラ、450円くらい)で移動し、
その後イミグレを経て、ザンビア側に。フェリーで渡るが、


「んっ、ここのフェリーはただなのか?払ってないぞ。」と思っているうちにザンビア側到着(笑)

ザンビア側のイミグレでは、ビザを40ドルで取得。ここは国境で取得できるから助かる。
今後、タンザニア、ルワンダ、モザンビーグのビザはどこかの首都で取らなきゃなあとちょっと面倒。
国境沿いで両替をしたんだが、ザンビアは昨年数字の切り下げがあったらしく、
5000クアチャが5クアチャくらいになっていた!それを知らずに両替していた・・・あぶない。

国境から、またタクシーを拾わなきゃなあと思っていた矢先、
話しかけてくれた南アフリカ出身のマイクが、「リビングストンまで乗ってけよ!」と提案してくれた。
ありがたい、彼らと話しながらリビングストンまで。

彼らは3人組で、南アフリカからザンビアのルサカまで3日かけて車で移動。
そこでショッピングモールの建設を行うという。なんともスケールのでかい話。
国境沿いでザンビア人を雇っていたが、お金の話で話がこじれていたので、
こっそりさようならしてきた(笑)

バスの中で話した、雇われ労働者のザンビア人たちが、よく話をしてくれる人たちで
「おれたちアフリカの人々はみんなファミリーなんだ。独立をお互いに助け合ったからな。」
と胸を張って自国に自信を持っていた。
一方、白人のマイク、そしてロッジで話したアンソニーは、
独立後の政治を見ると、厳しい。いろいろなシステムが黒人に任せるとなったとたん、機能しなくなった。」という。
表面的には見えないなにかがいまだあると感じた瞬間だった。

しかし、明るさを全面に出すアフリカの人々、嫌いじゃないわー!

リビングストンの街頭でもおもしろいことが・・・
街頭の物売りが、買え買えとしつこく迫る。これは中南米でもあったことだけど、
最初「これは6ドルするものだ」と言い、おれが買わないと言い張っていると
「じゃあ、いくらなら買ってくれるんだ?」とおれに質問してきた。
「うーん、1ドルかな」って言うと、
悩んだ表情をして「うーん、1ドルでいいからもってけ!」と最終的になる。
本当に生活が苦しそうだけど、興味がないからそのお土産は買わなかった。
こういうやりとりの端々に、アフリカでは思わず笑っちゃう瞬間がちりばめられている。
ザンビア入国、そして次はヴィクトリアの滝です。

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