2013年11月19日火曜日

移民の経緯と歴史、そして日本

先日、南米をペルー、ボリビア、ブラジルと演奏して周っている、
ぐしけんファミリーが学校を訪れてくれました。そして、土日に
地域の公民館で、地域の方々に演奏を披露していただいたようです。
私は、土日とも街で過ごす用事があったので、残念ながら聞きにいくことができませんでした。

そのぐしけんファミリーを招いている方とお話をさせていただく機会をいただきました。
アルゼンチンのブエノスアイレス(首都)で牧師さんをされている、与那嶺牧師です。
与那嶺牧師と奥さんと私


これからの旅の道程でブエノスアイレスを訪れるので少しお話をうかがいたいなあと思っていた
ところ、ご紹介いただけたので、幸運にもお時間を割いていただきました。

なぜこのようなコンサートツアーを企画し、南米を周っているのか、
という私の質問から、このようなお話をしてくださいました。

こうやって南米の各地を周っているのは、
「日本人って言ったら、南米ではすぐに信頼してくれる。」
これは、オキナワでもたくさん聞けた話です。
「そうした(南米での日系人の)歴史を作ってくれた一世の方々へのお礼」とし、
ぐしけんファミリーのツアーのお手伝いをしているのだという。
「一世の方々が、故郷の音楽を聞いて、笑顔になってくれればそれでいい」
その思いで動いているという。

また、少し深い話にもなり、戦後移民の話を聞かせてくれました。その話から私自身が感じたことを書きます。

話は少しそれますが、学校で教えていない歴史、教科書には詳しく載せていない史実、
そして、本土の人があまり知らないであろう史実というものがあります。
私は東京で生活をしていたときに、今いるボリビアへの戦後移民の話は全く耳に入ってきませんでした。

個人的な視点から、また、今までの経験をもとに書きますが、
戦後、敗戦国となった日本は、アメリカ軍に基地を提供しなければならなくなりました。
基地はそこの土地も含みます。
そうしたときに、焦土と化した沖縄県の土地に住む人々を、
「(戦後)移民」として、世界の国々に土地を求め、移住させたという歴史的経緯があります。
だから世界中にウチナーンチュ(沖縄人)が多いと言われるのですが、
特に、ボリビア、ペルー、アルゼンチンには、ウチナーンチュが多いです。
各国政府が受け入れを表明してくれたからです。

やはり、基地問題が話題に上がっている今日の日本ですが、
沖縄県の移住された方、特に一世の方々の立場からすると、「棄てられた」と思う方も多かったようです。
それはなぜか…、受け入れを表明した国から与えられた土地は、
荒地であったり、ジャングルであったり、一から開拓せねばならない土地だったからです。
ですから、本土の人たちと沖縄県から移住された一世の人たちとの間には、
心理的な距離をもつ人もいるという話を伺いました。
与那嶺牧師は、一世であるお父さんからはそのようなお話を聞いたというし、
「二世の私だから君にこう話せる」とも語ってくれました。

日本のニュースで基地問題が論じられても、本土と沖縄県はいまだに距離が遠い気がします。
それは、自分の中にある沖縄県への無関心から来ているのかもしれません。
=====================
 
いやあ、一回じゃ書ききれないので、次の投稿で、また更にお聞きしたことから感じたことを書きます。
今日は久しぶりに長い文章になってしまいました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿