2014年11月2日日曜日

45カ国目、コソボおおおおお…

2008年から2009年にかけてセルビアとは袂を分けたコソボ。
日本は、コソボの独立を承認しているので、一つの国家として認めているが、
世界の約半数はコソボを国として認めていない。セルビアの自治区としての存在とみているのが世界の半数いるということだ。


戦乱の世からまだ5年しか経っていない。
外務省の海外安全情報サイトを見ても、セルビアとの国境付近が「渡航の延期」と出ているだけで
他は大丈夫そうと判断。
国の様子をぜひ見てみたいと思い、2箇所だけ訪れた。
首都のプリシュティナと南部のプリズレン。
プリシュティナの主要道路

プリシュティナの集合住宅


モンテネグロからの深夜バスは朝4時にプリシュティナのバスターミナルに到着。
ターミナルはそんなに大きくないものの、そこに2,3時間留まっていても
そんなに危険な感じはなかったし、雰囲気も悪くなかった。
驚いたのは、6時くらいから喫茶店が始まり、ケバブ類の食べ物を売っていた!
まあ、日本のコンビニは24時間ということは抜きにして考えて、
彼ら働き者だなあと感心してしまったくらい。


プリシュティナには、コソボ博物館があり、そこに最近までの戦闘の様子が展示してあると調べてあったので
そこに向かうことにしたが、なんと行ってみれば展示物の9割が停止中!
そのためだけに行ったのに…(笑)
結局、コソボでの昔ながらの生活と、外にあった戦車を見て退散。

町の中心街を通りながらバスターミナルに戻った。
戻る途中に寄ったカフェで、店員さんとちょっと話す。
しかし、たくさん聞きたかったことは聞けず。
まずもっておれがコソボの言葉をまったく話せない。
そしてさらに店員さんは英語がほとんど話せない。
どこから来たの?コソボはどう?くらいの会話しかできないのね。
彼曰く、コソボの経済状況はそんなに悪くないとのことだった。
プリシュティナの中央広場

店員さん

いやー、しかし視線が厳しい。
こそこそ話でちらちら見られながら笑われるのはきつい。
街中そんなかんじだから、居られたもんじゃない。
外でコーヒーでも飲もうものなら、通りがかる全員が振り返る。


次に向かったプリズレンは、プリシュティナからバスが頻発しており、3時間くらいで到着。
プリシュティナはウォーミングアップ、ここからが地獄だった。
プリズレンを流れる川と夜

バスを降りた時に、きましたよーーー、久しぶりのアレ。

降りた瞬間の周りに居た人々の目線。
「オマエハナニシニキタンダ?」というもの。旅ですね、タビ。
いやいや、ここプリズレンは比較的観光地・・・いや、観光地ではないわな…。
「おっ、これはおれが間違えて来ちゃったんだな。」と分かったのは、1時間町を歩いてからだった。
こういうのを放っておける社会って・・・
こりゃ日本人だからそう感じるのかな

その後時系列に嫌なことを並べておこう。

****************
「The 無知は罪」
・「ヘイヘイチャイナ!」と言われ振り返れば学生たちに笑われ、
「その笑いは馬鹿にしてるの?」と言うと、大声で「YES!」と返答される。(英語がわからなかったのか?)
・宿探し中歩いていて、すれ違いざまに「チンチョンンチャン!※1」と言われる。
・すれ違いざまに「チャイナ、チャイニーズ」
・町のバスの横を歩いていたら、バスの中から笑われながら中指を立てられる。
・喫茶店の2階から頭になにか落ちてきたと思ったらタバコの灰。振り返れば、笑っている男二人。
※1「チンチョンチャン」
正式なる由来はわからんが、とにかくアジア系を馬鹿にして言っている言葉。
アジア圏の言葉がそう聞こえるのだろうか。

とにかく、顔を見て指さされて笑われるのである。
これは本当にはっきり言って、不快だ。
もお、ほっといてくれよおおおおお!って百回くらい叫びたくなった。
****************

動物みたいなかんじで扱ってくれるのね・・・

あの・・・人間のように扱ってもらいたかったのですが・・・

このコソボの場合は、若者、女性が中心にそういう行動に出ていたんだよね。
きっと、アジア系の人と会う機会が少ないのだろうと思われるし、実際、
「日本人とは初めて話した」という若者とも出会ったからな。

コソボの人たち、君たちの無知は、人を嫌な思いにさせているよ、残念ながら。
若者たちであるからこそ、もっと学んでほしいんだよなあ。
しかし、そういう「世界は広い、世の中には自分と異なる人が存在している」ということを
教えていない、教えられない大人がここコソボにはいるのが実際だろう。
きっとそこまで教える余裕や経験がないんだろうな。
仕方ないのかな・・・


まあ・・・こういう人も、数人だがいた。
・「チャイナ!」と声をかけてくれたので、これは話すチャンス!と思い話し始め、一緒に電気屋さんを30分くらい探してくれた若者二人。(実は、パソコンの充電器がボンという音とともに破裂した。)
・宿の人に上記のことを話すと「一部の人は頭がいかれてるんだよ」と慰めてくれた。
・朝、道に迷いかけそうになったときに途中まで車で案内してくれたおっさん。

最後にこういった嬉しい行動をしてくれるとマイナス点も、多少は減る。


というわけで、こういったときには、いち早くこの国を抜ける!
コソボ滞在わずか30時間。

2 件のコメント:

  1. がんばれ~、としか声援できませんが、気持ちはわかりますよ~。
    わたしは、一度石を投げられました、当たりませんでしたが。
    嫌な体験で去るのは本当に残念ですが、これもまた経験ですね。
    世界は広い、という言葉で片付けるのは簡単ですが、実際はとても深いような気がします。
    エチオピアでは、チョン・チュン・チャンなどと言われたこともありました。
    ちゃん・りん・しゃん、という懐の環境を考えると不幸なのかもしれないな、なんて思いました。
    そして、やっぱり、「がんばれ~」と声援しています。

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    1. PPさん、いままさにおれが欲しかった言葉が「がんばれ」だったと思います、ほんとに。
      「がんばって」なんとか耐えて、アジアにいち早く抜けることが、いまの自分にとっては必要なことだったと、トルコに入り感じました。
      これからアジアに入る喜びがふつふつとこみ上げてきてます。

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