2012年9月12日水曜日

キューバでの11日間


 普段なかなか行けないと思い、キューバという国へ行ってみようと考えました。単純な理由です。そんなもんなんです、わたくしの旅。
ちょっと長いけど、失礼、書かせていただきます。

前情報は、以前軍による独裁をカストロ始めレボリューション隊が革命を起こしたということ、差別があまりないということ、フルーツ・コーヒーがおいしいということなど、曖昧な情報のみ集めて足を踏み入れるのはキューバという国に申し訳ないかなと思っていたのですが、キューバ人が知る日本と同じくらいだろうと推測し、「ま、いっか」という軽い気持ちで降り立ちました。ですから、前情報3点を気にしながら、行動しました。

 まず、比較的に、そして思っていたほど、犯罪行為が少なく、4都市をまわったのですが、事件事故に巻き込まれることはあっ!あった!すべて未然に防げたので事件ではないのですが、「日本人だとわかったら金をとれ!」という輩に11日のあいだに3人会いました。日本人か?と声をかけ、そうだと答えると勝手に一緒に歩き始めるわけです、やれ大阪に友人がいるだとか、日本の野球が強いだの、前情報の少ないわたくしにとっておもしろい話をたくさんしてくれます。そうして歩きながら話をしていると、やがてカフェにいかないか、バーにいかないかとなります、100%。わたくし、断ります。いやです、飲めないし。そうすると、だって話をしてあげたじゃん!となります。そうすると、あとは必死にこう頼んできます「わたしのために、1ドルを(或いは1CUC)」だいたいどちらの単位でも80円くらいでしょうか。わたくしのポリシーからして「はらえないっす」となります。ここから暴力を振るわれてということは一切なく、断り続ければ去っていくので、未然にすべて防ぐことができました。このことから、キューバで「日本人か?」と声をかけてくる輩はあまり信用ならないと肝に銘じるようになりました。
ハバナの街並み、車だいたいみんなこんなかんじ

ザ・ハバナクラブ

トリニダードの葉巻売り場にて、おじさんを。

こっちがカリブ海、トリニダードからチャリで1時間、透明度良好、魚とともに泳げちゃう

こちらはキューバの南端のほうの町バラコア、こちらは大西洋


国に絶大な影響を与えてきたカストロ
写真はチェゲバラ、憧れの存在らしい
 さて、早速話題がそれましたが、一つ目の「革命軍によるキューバ解放」について、キューバ全土でそれを感じることができました。革命軍というと、チェゲバラが印象強い存在として世に知れていると思いますが、どこに行っても「カストロ」でした。カストロこそが今のキューバをつくったと言っても過言ではなく、これからもこのキューバを支えていくのはカストロの精神(「Viven Fidel y Raulフィデルとカストロは生きている」という言葉が壁面に書かれていた土地がありました)なんだと感じましたし、人々は言っていました。そして、行く先々で兵舎や革命にまつわる地で革命の様子を展示物から知ることができるのですが、革命軍をはじめ民間人まで多くの血が流れたということを物語る展示がされていました。多くの血が流れた現場、印象的な地にサンティアゴ・デ・クーバという大きな町があるのですが、そこの兵舎だった土地が今では小学校の校舎と校庭として使用されています。多くの人々の血が流れた現場で教育がされていました。
サンテアゴ・デ・クーバの旧兵舎、いまは博物館兼学校。銃撃の跡が。
  2つ目の「差別があまりない」というのもおそらく事実でしょうが、表面的事実としてそうとらえました。カリブ海の文化は、もともと居たその土地の人々とアフリカ系の移民により作られたということを知りました。なるほど、音楽がアフリカ的なかんじを受けるのはそのせいかと。さらに、コロンブス時代以降、白人系が移り住み、中国系いわゆるチーノが移り住み、現在のカリブ海諸国を形成しているそうです。これは、religionales popularesというミュージアムでまじない師から聞いた話と毎日泊まり歩いたカーサ(ホームステイのような公的な宿泊施設)で聞いた話、かつそれらの会話はスペイン語だったものですから、主観的で曖昧ではありますが、なるほどさまざまな文化が混ざり合って今を形成しているのだと感じました。「表面的」と書いたのは、さらに話を聞いていくと、もと居た中米系の人たちからすると「犯罪を起こすのは黒人系(つまりアフリカ系)だ」と言うし、黒人系の人たちからするとからかう対象はチーノになるわけで、全く差別がて、たくさんあるやん!差別がない国や地域などないと思ってはいるので、やはりそうかという思いになりました。

バラコアで撮った1枚、名前を漢字で書いてあげたときのもの

この二人が町中を案内してくれました、日曜日で学校はお休みです
 3つ目、フルーツやコーヒーがおいしいという点について。まず、カサ制度の説明から。公認カサマークというものが町中ついています。公認カサマークとは何かというと、公的な国の宿泊施設です。一般的にホテルに泊まると、だいたい50CUCから150CUC程度かかります。だいたい日本円で言うと、4000円から12000円程度です。上限にはきりがないですが、旅行者が毎日その金額を払っていたら、ゆっくりは滞在できませんので、安い宿泊施設が必要。そこで、一般の家に間借りするというかんじで、一室貸してもらえる制度が、そのカサ制度です。15CUCから25CUC1200円から2000円。安く旅行したいと思う人ならばかなり使える制度。制度といっても登録等は一切不要、宿泊の際にパスポートの提示と金額の支払いのみ。プチホームステイ体験ができるわけです。

夕食や朝食は別料金になりますが、夕食はだいたい5CUC、朝食は4CUCというかんじで、ゴージャスな量と質が提供されます。そこで、フルーツやコーヒーの話にようやくなるのですが、朝食のメニューがだいたい決まっています。卵焼き(目玉焼き)、ハムまたはベーコン、チーズ、フルーツジュース2,3杯分、フルーツ(パイナップル、バナナ、グレープフルーツ、ブドウ、グアバ、マンゴーなどから3種類程度)、パンとバター、そしてコーヒー2,3杯分。カサを公認するにあたり、きっとメニューの制約があるのでしょう。どの家庭でもコーヒーが美味しく、濃い味のコーヒーが楽しめました。特に、気のせいか南へ行くにしたがって、味の精度が高まっていきます。キューバ南部のコーヒー農園は世界遺産になっているようです。もちろん、カカオの栽培も盛んで、一番東端の町バラコアで食べたチョコレートの味の濃さには何時間も舌がしびれていました。少し話がそれますが、なんとか生活費を節約しようと、朝食と夕食の量が多いので昼食を抜く、或いは町で売っているバナナ(1本1CUPCUPは国民のための貨幣システム、だいたい1CUP4円)でしのぐということをよくしていました。

 インターネットが自由に使えない国ですので、日本で何が起きているのか分かりません。人々から伝え知るのです、「おい、昨日日本の北部で地震があったそうだぞ。」のように。以前の日本のようなのでしょうか。

 車も、文字通り「使えなくなるまで使い果たし」ます。乗っている途中にプスンプスンと動かなくなり、修理に少し時間を要します。修理やタイヤ交換も自分達でします。

 家の前のベランダで、道行くバスや車を眺めます。特に何をするわけでもなく。

 思ったより、みんな働きます笑。
 
 もっと長くいたいという気持ちには駆られませんでしたが、
今まで見たことのない景色が広がっていたということに行く価値があったと思っています。

2 件のコメント:

  1. キューバリポートありがとうございました。あまり知らない土地なので「へ〜」とか「そうなのか〜」という感じで読ませていただきました。写真もステキですね。今FresnoではHantavirus というdeadly virusがニュースになっています。Yosemiteへ観光に行った人々でCurry Villege(John Muir Trail のスタート点近く)に滞在した人)の中から感染者が出ているそうです。先生のパワーをもってすればウィルスも恐れをなして逃げて行くと思いますが 旅行中お体に気をつけて。では。

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  2. Hantavirusですか、しかもDeadlyなのですね。今のところ大丈夫そうです。幸いCurry villageを通らずにJMTに入りました。しかし油断なりませんね。ありがとうございます。JMTでは、歩いている人同士で、「西ナイル熱をもった蚊に注意しよう」「わかんないよね、どいつがそれをもっている蚊なのか」という話をよくしました笑。Delfamilyさんもお気をつけください。

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