2012年10月7日日曜日

パナマシティ、わくわくしちゃう街だ

まず、新しさと古さが共存しているってことでぞくっときた。
街自体大きいので歩くと時間がかかるので、タクシーとバスをうまく使いました。


ホテルやマンションが多く立ち並ぶ地域

こちらは旧市街
この2つの風景が一度に見れたことにまず満足。
旧市街の街並み

太平洋に接しています
セビーチェは10年前にペルーで食べて以来
雰囲気キューバに似ているんだけど、人々はガツガツしていない温和な感じがした。
話しかけても温かく迎えてくれるような、「楽しんでね、街を」と言ってくれる人もいた。
今日はランゴスタ、ロブスターのカクテル

世界遺産にもなっている修道院があるパナマビエホ
歩いていて、ワクワクしちゃう街だな。
実は今日パナマ運河博物館を4時間かけてじっくり見てきました。
博物館自体は、運河の歴史、経緯、諸外国との関係、運河の今などが解説されていました。
パナマという国は「通商の要衝」であることが伝わってきたのは、諸外国との関係です。
特にアメリカ合衆国との関係。切っても切れない関係なのでしょう。
そして他の中米諸国と同じくらい、いやもしかしたら一番血を流しているかもしれない国だとも感じました。
意外だったのが、運河をどの会社がたくさん利用しているかのようなトップ10みたいな解説があったのですが、そのうち3社は日本の会社でした。

そして、運河の歴史の箇所では、青山士さんの写真もあり、荒川放水路の写真もありました。
わたくし、3年生を受け持ったときに、社会科見学で荒川にある岩淵水門を訪れたことがあります。
そのときにバスのガイドさんが話した内容を少し思い出しました。
青山さんは、パナマ運河の完成を見ずに、(日本人排斥運動ともあいまって)帰国。
その後、政府の土木関係の職に従事したということで、そのときに
荒川放水路の設計等を担当したのです。
岩淵水門の脇に石碑でこのようなことが書かれていたとバスガイドさんが言っていました。
青山さんは自分の名を記さず、「この工事には私たちの仲間の人的な、多大なる労力が費やされ、そして完成したのだ」という内容を残しました。
パナマ運河にあるひとつの水門の設計を担当していたようです。
厳しい環境の中、どうすればこの運河を完成させることができるだろうか、熟考したのだろうなと想像しました。

明日は、いよいよそのパナマ運河を見に行こうかなと思っています。

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