2012年11月18日日曜日

チクラヨの近くにある遺跡

ペルー観光の場合、個人で足を運んでいくより、ツアーでまわったほうが効率がよく、あまり費用も差がなく観光できます。
チクラヨ近くにある遺跡をツアーでまわりました。
1日40ソル(1300円くらい)で4箇所の遺跡や博物館をまわります。
ガイド料とバスなどの移動費のみでした。昼食と入場料は別途支払わなければなりません。
ペルーの遺跡をまわる前に頭を整理しようと思い、ガイドにバスの中でペルー北部の文化文明について聞きました。

クビスニク王国・・・紀元前500年まで
モチェ文化(シパン王による)・・・紀元後100-700年
シカン文化・・・紀元後700年-1375年
チムー文化・・・紀元後1100年-1500年
インカ文明・・・紀元後1430年-1530年
スペインの侵略・・・紀元後1532年-

ガイドさんの話によるとこんなかんじで、有名なナスカ文明などは、
ペルー南部になり、モチェの文化と時期が重なっています。
北部から南部にかけても、また現在の国境は関係なく、交易や侵略があったのは他の文化文明と同じだそうです。

チクラヨでは、モチェの文化(シパン博物館)とシカン文化の遺跡(ワカ・ローロ)と博物館を見に行きました。

モチェから整理していきます。
なんかこうやって書いていかないと、混乱したまま次の遺跡、次の文化ってなってしまいそうで・・・。もうすでに、シパンとシカンが区別つかなくなっています。

まずは、モチェ文化のシパン王墓博物館から。

ここは写真撮影禁止、荷物預かりという超厳重チェックで入場。
ですから写真が残っておりません。
モチェ文化の遺跡にはこれから向かいますので、そのときに詳しく書きます。(と、自分にいい気駆る。)
モチェ王国最後の王がセニョール・デ・シパンというのですが、その方が発見されたのが最近で、1987年だということ。そしてその王墓から大量の金銀細工が出土されたということ。
博物館内で、金細工を見たのですが、精巧という言葉に尽きる。
また、モチェの文化では、いろいろな神がいて(ローマの古代宗教みたいですね)、中にはカングレホ(カニ)やプルポ(たこ)を模した神もいたそうな。いま現在、セビーチェで大変お世話になっております。
では、モチェはこのへんで。


次に、シカン文化。
シカン文化は、モチェに次いで出てきた文化です。ここも、黄金が関係していて、出土・発見も最近です。
そして、発見者は、日本人の島田博士という方で、この地域の方々やガイドは、この島田博士をAdmireしていました。Admire・・・適切な言葉が見つからないのでそのまま使います。

発見された中の一つ、ワカ・ローロ(黄金の墓)に行きました。
「ワカHuaca=墓、ローロoro=金」という意味で、今では大規模墓地として位置づけられています。
模型があると想像しやすくて助かる

墓の形がなんとなくわかる・・・?

30度くらいあるよねと参加者で話していたけど、
ガイドは「18度!」と。たしかに風はあったけどさー笑

至るところに貝殻。装飾品としても貝殻が多数発見されている。
交易もさかんであったよう。

 
ここから出土された黄金製のマスクや装飾品がシパン博物館に展示されています。
家族のマーク、家紋みたいなものでしょうか、
そういったものがあったそうです。

これちょっとインパクトあるんですが、
王の首はなく、逆さまに埋葬されていたそうです。
そして、あるべき頭のところには黄金マスクが。
ちなみにこれは東の墓。

西の墓にはこのように埋葬されていたそうな。
こちらの王は、家族や他の生き物が装飾品と共に埋葬されていたそうな。

黄金装飾ですが、精巧です。
ここまでの鋳造技術があったのですね。
日本も大仏を鋳造していた時期です。

出土した黄金マスク
日本でも2009年くらいに展示されたそうです。
見に行った方いるんじゃないかな?

超でかイヤリング
 というわけで、ペルー北部の文化に少しだけ触れてみました。
ちなみに、今日移動してきたチャチャポヤスというところで、チャチャポヤス文化に触れてきました。
その話はまた次回。

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