2014年4月14日月曜日

キガリにあるKigari Genocide Memoriam

この日はキガリ市内を巡ろうと考え、まずはバスターミナルからも近い、
キガリ虐殺記念館に行った。
バイクタクシーでニャブゴゴバスターミナルから500フラン(80円ほど)。


入り口は厳重に警備されていて、入念な荷物チェックもされた。
館内は入場料無料であったが、寄付のつもりでオーディオ解説(10ドル、1000円くらい)を借り、館内を歩いた。
壁面に丁寧に説明が書かれているから、オーディオはいらなかったなと思いながらも、
英語の勉強とばかりに必死に聞いた。

前日に訪れたキゴンゴロのムランビ虐殺記念館の壁面説明をより詳しくしたかんじ。
「そこまでフツを駆り立てたものってなんだったんだろう」と昨日疑問に思っていたが、
ここで少し答えが見つかる。
ツチは少数派で、経済的に裕福、権力も握っていた立場だったのか。
フツの人々は、「すべてを奪ったツチ」という見方を大方していたのだろうか。
そしてその少数派ツチを殲滅しようと、94年だけではなく、何年も前からフツは攻撃をしかけていたのか。
特に、女性と子どもの被害が多かった理由は、「ツチを根絶やしにするため」か・・・。

ここでは、ビデオがいくつも見られる。
当時生き延びた人々の証言だ。
その中で印象的だったのが、
「すべてのフツが悪ではない、5%は良くて、5%は中立、そして90%は悪だ。」という女性。
その良いとされる5%の中には、フツから見て「裏切り者」として、犠牲者になるフツ族の人もいたという。
また、
「家にまで遊びに来ていた、一緒に働いていた同僚が、その日(4月7日)いきなり『おまえのことは知らない』と言い出した。そしてナタを振りかざして私に切りかかり、殺したと思ったのだろうか、そのまま去っていった。」という男性。

そういう証言や資料を見ながら歩いていくと、
1994年に人生をやむなく終えた人々の写真が飾られている部屋に行き着いた。
5,6000枚はあろうかという写真。それでも本当にごく一部の数。
笑っている人、家族と写っている人、子ども、老人・・・
そうして見ているうちに、なんだか涙が勝手にこぼれてきてしまった。
部外者で、外人なのに、なんで泣いているんだおれは・・・と思ったそのとき、
笑い声だか嗚咽だか分からないほどの声が後ろから聞こえてきた。
何人もの人に抱きかかえられ、号泣している遺族であろうその人は、
一枚の写真を抱きしめていたのだ。


・・・20年経っても、こうだ。


記念館の最後には、「子どもの部屋」というものがある。
そこには、死に方が書かれていて、この子はこうやって殺されたと記されているのだ。
2歳の子どもは「壁に叩きつけられて」と。
9ヶ月の子どもは「母の手によって、マチューテ(刀)で」と。
最後に書かれていたのが、
「未来のこの国を担うであったろう子どもたち」という一言。

そして、この記念館をあとにしました。
外に出ると、埋葬の儀式が行われていました。
20年経って改めて身元が分かった人なのだろうか、
それとも、発見されたのが最近であった人なのだろうか、

そんなことを思いながら、帰途につきました。

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