2014年9月19日金曜日

ベルリンで訪れたかったところ ベルリンの壁跡


「ベルリンの壁跡」

滞在期間が2日ということもあり、大急ぎでまわったのだが、
分裂した時代がいつだかわからない世代だけど、1989年に東西ベルリンが統一したという事実は覚えている。
あの壁を工事用具で使う鍬(あれなんていうの?)みたいなもので壊している映像…。
当時9歳になったばかりの私は、なんかすごいことが起きているんだ、と漠然と感じていた。
その後年を重ねていくにつれ、その歴史に関する映画を見たり、ドキュメンタリーを見たりして、
事の重大さをも感じ取れるようになってきた。
「Die Mauer」というドイツ映画(だと思うが)で、東ドイツの水泳選手が、壁の下にトンネルを作り、
西側に逃げようとしたというものもあったと思う。

死を賭してまで、西側に行きたかった理由…そういったものもこの訪問で感じ取れるかなと思っていた。

ぜひ、訪れたかったところである。
ちなみに、ベルリン周辺は統一前、東ベルリンで、
ベルリン市内が、西ドイツと東ドイツに壁で1961年から1989年まで分断されていた。
つまり、ベルリン市内にある西ドイツは東ドイツに囲まれていたということで、
アメリカ中心に西ドイツに援助する際には、飛行機を使って物資を輸送していたというから、
そりゃもうさぞかしいろいろ大変だったろう。
そして、その歴史の背景にあるのは、東側にロシア(当時ソ連)、西側にアメリカという国々。

さて、ベルリンには、壁跡が幾箇所かに分かれて残っている。
一つ目の場所は、イーストサイドギャラリー。市内中心部より東側に位置し、東側の壁に絵画が描かれていることから、きっとそう呼ばれているのだろう。
何枚か写真を載せますね。


二重の壁になっていたのです、当時





次の場所は、ブランデンブルク門という有名な門があるのですが、その近くの門跡。
当時門があった場所を、くっきりと地面に跡として残している。
これを撮ったのは深夜であったにも関わらず、大勢の観光客で門の前はごった返していた。
これが当時の写真
1989年11月9日である




これが当時のベルリン市内の様子


最後に、市内中心部よりわずかに北部にある場所。
ここは、家々の真ん中を分断するように壁を通していた場所。
家のど真ん中に分断線が引かれた人の家は、東から西に逃げられないように、西側の窓を石で塞がれたという。
壁が作られた当初、政府の体制が整う前に、荷物をもって急いで西側に逃げ出す家族の姿、
一瞬の隙を見てさっと西側にジャンプして鉄線を越える兵士の姿、
また、壁を越えようと試みて、射殺された、あるいは逮捕された民間人の姿・・・
そういったものをこの近くの資料館で、映像として見ることができたのは本当に貴重な時間だった。

壁を越えようとして犠牲になった人々の写真

東側から見た西側の風景

実際に残っている壁

文字通り、命を賭して
こんな高いところから飛び降りるまで切迫していた状況
当時の家の、ちょうどこの真ん中に分断された線がある

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