2014年9月1日月曜日

旅の中で行きたかった場所の一つ…ハドリアヌスの防壁

カーライルの町は小さく、町自体の観光は徒歩で十分。
大聖堂がなんか格好良い。

たくさんの花があふれるように咲いていたレストラン

さて、今回は長くなってしまいました。
最後まで読みきった人には、もれなく、ハドリアヌスの防壁写真(3MB)を送りますからね、
教えてくださいね(笑)。


目的の場所へはバスで移動。
「ハドリアヌスの壁」です。

ハドリアヌスというと、ピンとくる人も多いのでは。
わたしはまだ見てないですけど、テルマエロマエで市村正親さんが演じたのがその皇帝です。

話は戻り、今年3箇所目のローマ遺跡巡り。
スペインのイタリカを7月に訪れたとき、その地がハドリアヌスにゆかりがあると知りました。
前にも書いたのですが、わたくし、塩野七生氏の著作の大ファンで、
かれこれ12年以上読み続けています。
その中で『ローマ人の物語』というシリーズがありまして、ハドリアヌスに関する記載で、
いくつか印象的な場面があります。

その一つに、「皇帝ハドリアヌスは、属州で生まれ、属州で死んだ」というもの。

帝国ができてから500年を過ぎた西暦70年頃になると、
現在のイングランドもその帝国の範囲に入ってきます。
ハドリアヌスが皇帝になってから、北方民族からの侵略を防ぐために、
ハドリアヌスの防壁と後世になって呼ばれている壁が作られました。
この壁の計画をはじめ、この皇帝は在世中に帝国内のあらゆる場所を視察し、
その防衛を強固なものにしたと言われています。

その功績から、5賢帝の一人とされていて、後世評価が高い皇帝の一人なんです。
ハドリアヌスはきっと、当時のローマ帝国にとって、これから先何が必要で、
自分が今できることは何かを考えられる人だったのでしょう。



<Roman Army Museum>
要塞がここにあり、壁が築き上げられたことから、ローマ軍博物館がここにあるのも納得がいく。

この図からもわかるとおり、ハドリアヌスが周らなかったローマ帝国は、サルディーニャとコルシカのみ(それぞれ流刑地だったと記憶している)で、
あとは隈なく視察している。この当時の交通手段を考えると、時間も相当かかっただろう。
首相不在が長く続く国会…ってなかなか想像できない。
Fort(要塞)には村を隣接してつくり、兵士の家族を住まわせていたという。
そしてそこでは、しっかりとラテン語をはじめとした教育がなされていたもよう。
イギリス小話が教室の後ろに掲示されていました。
イギリスらしいなって読みながら思わず笑ってしまった

結構この博物館ハイテクで、3Dの映像があったり、
映像さんが話して授業をしてくれたり。
子どもがその様子を見て食い入るように聞き入ってました

ローマ軍団内の規律が厳しいことでも有名で、またかなり組織化された役割分担も資料として見つかっているみたい。
右は黒くて見にくいけど、くさびかたびらです。
うお、漢字で書くと、楔帷子なんだ(笑)

<Roman Vindolanda>
要塞(Fort)の跡地
ここがまた当時の様子を想像できるように可能な限り説明をしている点が嬉しい

これは浴場跡。兵士たちの憩いの場だったみたい。

いままでスペインのイタリカやモロッコの遺跡を見てきて、
遺跡は見たものの、発掘されたものなんかはあまり見れてこなかった。
ここでたくさんの発掘品が見れたことはとても嬉しかった。
いくつか写真とともに解説を。
鍵。しかも、かなり多種類の形で、今も使用されている形のものもある。

 こんだけ綺麗に残っているローマ金貨とデナリウス銀貨を見ているとわくわくしてきちゃう。
特に大きい金貨は、ハドリアヌスの時代のもの。
 ガラス細工や銀細工。精巧なものが作られていた。上は「母と父」と刻まれている。


ここで発掘されているもので、タブレットがあります。
木片にラテン文字が書かれているもの。
内容がおもしろくて、手紙に使われていたり、買い物するときのメモに使われていたり、
こういった文が解読されちゃうのだから、手紙を書いた本人が後世の世界中の人々に読まれていると知ったら苦笑するだろう。


<ハドリアヌスの防壁>
最後に、目的の壁です。
当時、陸からの侵入を防ぐのを目的に造られたのだけど、
本当に島全体を横断するように造られているからたまげる。
今でこそ当時の原型はとどめていないが、そうだったんだろうなと想像することは可能。
丘のくぼみがあろうが、崖があろうが、壁が隙間なく造られていたんだろうな。

造られた当初は土塁だったようですが、
後世に石が積まれ、今ではこれがスコットランドとイングランドを分けている線にもなっている。



土曜日だけあって、観光客多かったし、
日本人も数組見かけました

イングランドの湖水地方の北にあたるのでしょうけど、
おもしろい地形で、なんだかのんびりしているのです。
幸い、この日は晴れていて、歩いていると汗ばむくらいの陽気でしたが、
イギリスの天気はいろんな人が「陰鬱な」と表現するのを聞きます。

塩野さんは著述で、こんなニュアンスのこと(これらの言葉は使われていません)を言ってます。

スペインの陽気な天候のもと生まれたこの皇帝は、
雨が多く陰鬱な雰囲気を醸し出すブリタニカの属州地で
幾日も過ごさねばならなかったというのは、どんな気持ちでいたのだろうと。

帝国の恒久の平和を願って駆け回っていた皇帝だったんだろうな。

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