2014年10月4日土曜日

フィレンツェは人生3度目の訪問

フィレンツェ自体は3度目の訪問だが、いつ来ても綺麗な街だ。
11年前、10年前と2回いままで来ているが、そのときと比べると、
自分もアジア人だが、アジア人率が格段に高くなっていると感じた。

中国人観光客が増えたからだが、ここだけは日本人観光客も変わらず多い。
だから、日本語で「こんにちはー」とか言ってくる物売りも多いのだが、
私は「ニーハオ」と言われる率の方が高かった…。

余談だけど、世界の今まで行った場所の中で、日本人旅行者率が極端に低くなってるのです。
旅行という観点で「外に出る日本人」が少なくなってきていると思うな…。


・ドゥオーモ
ここの日本人率が非常に高かった!そして大聖堂の中であるのに「わーすごーい!きれー!」と大声で言っていたのを誰かに「シー!」と抑えられていた。若い人たちだったから仕方ないが、興奮を抑えきれなかったのだろうか…。大聖堂や教会という環境に慣れていないとそうなるのかもしれない。
登った日は残念ながら雨が降っていたが、雨が降っていても綺麗で、雨や霧でさえも映える街だと思った。





・ミケランジェロ広場
ここからのフィレンツェの街は格別。今回は、夕焼けを見れたが、広場は夕焼けを見る観光客でいっぱい。
フィエーゾレの丘という場所がフィレンツェの北東に位置し、そこから見る街も格別だが、今回は時間がなく行けなかった。





・ウフィッツィ美術館
朝9時に並び始めたが、1時間待ちという、観光地らしい苦しみをひさびさに味わえた。
この中でもラファエッロの「聖家族」が見れたことや、この街に関係の深いニコロ・マキャベッリが見れたことなどが印象に残っている。
レオナルドの受胎告知

ウフィッツィ美術館から見たポンテベッキオ

ラファエロの聖家族
ピラトの虐殺を逃れエジプトに向かう途中の様子

マキャベッリ
・サンマルコ教会
ここには、有名な絵があるのでそれを見に行ったが、サヴォナローラが拠点にしていたという教会のようで、彼の遺品や像があった。
ギルランダイオによる最後の晩餐
11年前、この絵を見たくて一生懸命探したことを覚えている
ようやく会えました・・・

メディチ家が統治していた時代、異端とされ処刑された
サヴォナローラ
サヴォナローラ処刑の様子


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