2014年12月16日火曜日

ヨルダンの首都アンマン

ここはおもしろい街だ…興味深いって意味で。
泊まったホステルは9ヨルダンディナール(だいたい1500円)、7泊以上をせざるを得ない。

今日はシュウさんとニュージーランド人トムとで、ジェラシュの遺跡を見に行った。

アンマンの北バスターミナル(アンマンのバスターミナルは至る所に数多くあり、なにがなんだかわけわからん)に0.4ディナールで向かい1ディナールでジェラシュまで。
あと10分で出発するから!」という運転手の声。でたーっ!
それは確実に「あと30分いや1時間待つかな?!」ということですよね(笑)。

気を取り直して、こうやって、アンマンの外に出ると、アンマンの街自体が丘の上にひろーく広がっているのを感じることができるし、意外と標高が高いことに気づいた。


40分ほどでジェラシュに到着。
降りてすぐに遺跡が見える。8ディナールを払い、中へ。
この遺跡は、ペトラ遺跡がナバタイ人の遺跡であり、またローマの影響も受けた遺跡であるのと違って、ローマ帝国の遺跡であるそうだ。
ハドリアヌスの凱旋門が観光客を迎えてくれる。

 歩きながら、シュウさんが詳しく書かれているガイドブックで説明してくれ、とっても助かる。
大規模に修復がされており、でもある程度もとの形も残ってた遺跡なんだなあと歩いてわかる。
 柱に囲まれた広場も圧巻だったし、敷設されていた街道も素敵だったし、
ただ、地震が多い地域だろうから、石組みの建物って、危険性が高いんじゃないって感じたのね。
で、遺跡内でお茶を売っている人に聞いてみたら、柱自体に耐震構造があって、最近の日本の建築でも、
動いて揺れを逃がす、みたいな建築方法があるけど、それを採用していた。
ああこれは写真かビデオを撮るべきだったが、忘れてたなあ。
右に残る瑕は、引いて移動させるためのもの?


ほぼ完璧に修復されているローマ劇場
柱頭・・・

遺跡内のチャイ売りでひと休憩

凱旋門から通るローマ街道
きっと地震がなければ、この道も平らでぐにゃぐにゃはしていなかったはず

 700年ごろに大きな地震があったそうで、それでほぼ壊滅してしまった街なのだそうです。
泉なのですが、水が出る穴が今でも見てわかる
そうして、またアンマンに日帰り。
アンマンの街を見て分かる通り、白い石組みで建物を構築しているんだけど、
これは国で決まりがあるみたい。イタリアのフィレンツェも自治体で決めて高さや色を制限しているんだけど、収入によって白い石や大理石を使う割合が異なるそう。
この国旗は大きくて有名

アンマンのおじいさん、チャイ飲んでてたまたま出会った。
この人、興味深かった人なんだけど、6,7カ国語を操れる人だった。
定食屋さんでちょっと話しただけだけど、スペイン語の発音はネイティブに近かったし、
おれのとのコミュニケーションは英語だし、日本語の漢字の意味についても分かっているものがいくつかあり、
いくつもの漢字の意味を聞いてきた。
言語習得が趣味だという、齢70。たまげた。

アンマン城にあった復元されたモスク?教会?↓


アンマン城跡、入場料は2JD(だいたい300円)

アンマン城から見たローマ劇場

モスク前で祈る老人と子供

街の小さなバス停
これ、JICAの協力の下建てたと碑が立ってました

シリアのアレッポという街から移り住んできたケーキ職人
アレッポは空爆により悲惨な状態で、昔の姿をとどめてないという
イラク、シリアからヨルダンに移り住む人が少なくないと感じた

帰ってきて、夜は久々に飲みに出かけたんだけど、ヨルダン、アルコールについては比較的緩やかな国で、酒店もあるし、バーもある。Amstelを1杯だけ飲み、楽しんだ。

Amstelは「ヨルダンがオリジナルだよ」と地元の人は言うが、本当にそうか?!チリでも、ドイツでも見かけたと思うけどなあ。

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